「光」を飲み、「酒」を飲む@文壇バー。

東京に戻った。

が、京都での最終日は、業者を数人訪ね、何品かの出品を頂く。

しかしこの日眼にした、最も心に響いた作品は、実は仕事を離れ、個人的な興味でほの暗い茶室で拝見した、何幅かの「慈雲さん」の書で有った。

慈雲尊者こと慈雲飲光(おんこう)は、1718年に大阪中之島に生まれ、1805年に亡くなる迄、関西を中心に儒学顕教密教、禅、神道等を幅広く研究し、世に名高い梵語研究書「梵学津梁」を記した真言僧で有る。

慈雲の飽く無き探究心と共に、評価が高く素晴らしいのが筆者も大好きな「書」で、その自由闊達な運筆や字の構成、字句の選択は、恐らく日本でも慈雲よりメジャーと思われる白隱や仙がい(「がい」は、「崖」の「山かんむり」を取った字)の書に、勝るとも劣らない。

そして、この日拝見した慈雲さんの書は、例えば縦に書き始めたと思えば最後には横書きに為って居たり、絶妙な文字配置でバランスを取った抽象絵画の様だったり、紙本に「どうさ」を塗って墨を厚く施してみたり、と技術的にもバラエティーに富み、その動き廻る文字は厳しく選ばれた、例えば「無万敵」等のグッと来る精神性の高い字句を、より一層際立たせるのだ。
薄暗い茶室で拝見し、何度も「欲しいっ!」と思った数々の慈雲さんの書…何とも至福の一時で有った。

慈雲さんを見せて下さった方とは「W」で美味しいお昼を頂き、その後数人の顧客の作品査定をした後は、ダッシュで東京に戻り、作家S氏夫妻と神楽坂での「爆笑ディナー」へ。

食後は「もう一軒!」と云う事に為り、新宿5丁目の文壇バー「K」にて、S氏考案の「泡盛カンパリ・カクテル」等を飲みながら(当然ゲルゲル妻だけだけど…)、またS氏が東大教授に「背負い投げ」の指導を受けるのを拝見しながら(笑)、S氏の友人で筆者も敬愛するアーティスト、秋山佑徳太子の事などを話す。

しかしS氏の、まるで慈雲さんの墨蹟の様に自由闊達な話術は、我ら地獄夫婦に完璧に時を忘れさせ、気が付けば何と深夜2時過ぎ…今日からS氏を慈雲「飲光」為らぬ、慈雲「飲酒」と呼ばせて頂こう(笑)。

「飲光」と「飲酒」は、自由闊達な精神を共有する、と思う(笑)。