「『京の夜』納め」と、旅の途中の読書感想。

今年の日本滞在も、後数日。

それでも筆者の「モノ探し地方廻り」は続き、一昨日は朝イチで広島に飛び、顧客と打ち合わせと&ランチを済ませると、急いで京都入り…今回の日本滞在中京都に行くのは、もう一体何回目だろう?

京都に着くと、夕方から2人の顧客と会い、金工品や漆工品の名品の出品を決め、その顧客といそいそとディナーへ。

「蟹」を食べようと云う事に為り、伺ったのは祇園の「N」…しかし、此処で頂く蟹は只の蟹では無く、「間人(たいざ)蟹」と云う蟹…天橋立付近で捕れ、身が詰まってプリプリして居り、味噌が溶けずに確りとしている、筆者が今迄食べた中でも最も旨い蟹なのだ。

前菜からまる鍋、そして間人蟹をたらふく食べた後は、名物鯖寿司と穴子寿司で〆…もう「パラダイス」のただ一言、で有る!その後は、先斗町の現役芸妓Mさんの店を経て祇園に戻り、祇園で今最も流行って居ると評判の、筆者と同じ本名を持つ美しきTママの店「B」で、今年の「京の夜」は〆。「京の夜」よ、来年また会おう…。

さて、今日はひと月に渡る長旅の途中で読了し、興味深かった幾つかの本を紹介しようと思う。


森村泰昌著「なにものかへのレクイエム―二〇世紀を思索する」(岩波書店)。

筆者も作品を蔵する、現代美術家森村泰昌氏の対談集。

本作に措ける対談者は、右翼活動家から小説家迄バラエティーに富み、その名を此処に挙げれば、鈴木邦男福岡伸一平野啓一郎上野千鶴子藤原帰一やなぎみわ高橋源一郎の各氏。

「20世紀の検証」と云う意味での、21世紀に於ける「芸術家M」の芸術活動は、「過去の政治」と切り離す事等不可能で、しかし其所にこそ、芸術の未来への指針が見え隠れすると云う事実が、各対談者に拠って次々に明らかにされる。

森村氏の未だ進行中の「検証」を知るのに、最適の書ではないだろうか。


・林屋晴三・小堀宗実・千宗屋著「名碗を観る」(世界文化社)。

何しろ、豪華な一冊だ!

1人の茶陶研究者と2人の茶の湯実践者が、国宝・重要文化財を含む22碗の「名碗中の名碗」と対峙する本作は、観て読んでも、いや観るだけでも、読者に溜め息を吐かさせずには措かない。

此処にフィーチャーされた名碗達は、本作の為に「全て」「畳の上で」撮り下ろされ、高台や見込み迄、その美しさ、力強さ、優美さ、そして「使われる」事に拠って初めて観る事の出来る、云って見れば「活きの良さ」迄、余す所無く読み観る者にその本性を晒す。
中でも、筆者がこの世で最も好きな茶碗と云っても過言では無い、長次郎の「ムキ栗」(個人蔵)の写真等は、そのマットな「黒」の横顔や高台みならず、濃茶の入った姿が顕す「緑と黒」のコントラスト(何と…何と美しいのだろう!)が、筆者の眼を奪った侭離さなかった。

また所載の名碗中、個人的に好きだったのは、藤田美術館蔵の小井戸茶碗「老僧」(メチャ、欲しいっ!)や、田中丸コレクションの「絵唐津菖蒲文茶碗」、そして光悦の「不二山」(サンリツ服部美術館蔵)で、何れも「この茶碗で飲みたい!」モノで有る。

「もし、私がこの茶碗を所持したなら…」と云った夢想も楽しい著作で有った。


蓮實重彦黒沢清青山真治著「映画長話」(リトルモア)。

筆者も受講していた、立教大学の名物講義「映画表現論」の、嘗ての恩師と生徒に拠る「放談集」。

筆者も高校生時代から、切れ味鋭い批評の大ファンで有る蓮實氏と、今や日本の映画界では知らぬ者の無い気鋭の映画監督2人が、ロメールスピルバーグイーストウッドや溝口等の監督肯定論、「カット」の撮れねスコセッシ(彼ら曰く、です:笑)の否定論迄、メッタ斬りの333ページ(笑)。

「クセ」の有る連中の嵐の様な放談なので、少々読者を選ぶかも知れないが、こと「監督論」に関しては示唆に富む部分も多い…一読をお勧めしたい。


・三山桂依著「おやすみなさい。良い夢を。」(講談社)。

アーティスト、ミヤケマイ氏の処女短編小説集。

巧く云えないが、不思議な、そしてほの暗い後味を残すビターな作品集で、各章の構成も、旧暦の9月から翌8月迄の1年を各月毎の短編で記すと云う、ダイアリー的形式を取っている。

その「12ヶ月」の中でも、筆者が最も好きだったのは「卯月」で、それは何故なら、著者の、恐らくは出さずに居られない、女としての「呻き声」が聞こえて来る様な気がするから。

「死体の埋まっていない桜はないのだから、死体の養分なしでは花は咲かない」から始まる数行は、それ以前のリアル過ぎる程リアルな「女の性(さが)」を空中に放り投げ、そしてそれは、まるで桜の花弁の様に、読む者の心に降り積もる。

そしてこの詞章は、筆者に西行の名歌、

願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃

を、強く思い出させる。

また、アーティストの著作だけ有って、流石に装丁や挿画が綺麗で、また各章のページが色に拠って分けられて居たりして、そう云った凝った本造りも楽しい。


辺見庸著「詩文集 生首」(毎日新聞社)。

芥川賞作家に拠る、「第16回中原中也賞」受賞作で有るが、何しろ巻頭の「剥がれて」での、言葉力が凄い。

長い闘病生活を送る著者が「死と生」を極限迄見詰め、恰もその肉体や生理現象の「滅び」と自身との、闘争の為の武器として叩き付ける「言葉」は、読む者の心に突き刺さって来る。

この著作を読み切るには、強靭な体力が要る…何故なら、著者の言葉が読者の肉体と精神の消耗を誘い、しかしその消耗こそが、この詩文を一段と際立たせるからだ。


日本滞在も後残す所3日…しかし、未だ旅は終わらない…今も地方に向かう列車の中で有る。