1985年の「夢」と「ボッタルガ」の夜。

恐らくは2000年に来て以来、最も暖かかった大晦日だったが、ニューヨークは昨日2日の夜から何時もの冬に戻り、今朝起きると気温は最高でも氷点下、最低ではマイナス7度迄下がるらしい。

そんな昨晩は「せっかくお正月だから…」と云う事で、ゲル妻が日本某所からせしめて来た、高級ボッタルガ(唐墨)とヴィンテージ物のワインを開けようと云う事になり、A姫とワイン・スペシャリストのP王子カップル、ゲル妻のダンス・メイトでギリシャ人コンテンポラリー・ダンサーのDさん、そして後輩のM君を地獄宮殿に呼んで、「ヴィンテージ・ワインとボッタルガ・パスタの夕べ」を開催する事に(まるでバブル時代の、ホテルのイヴェントの様だ…:笑)。

さて我々地獄夫婦は、片や酒飲み、片や酒は飲まないが、ワイン・セールを開催するオークション・ハウスに勤める人間で有るにも関わらず、ワインに関する知識は恥ずかしながら、皆無と云っても過言では無い。しかし、四半世紀以上経ったワインの「夢の味」を夢想する事だけは、我々の特権なのである!

この晩開ける予定の「ヴィンテージ・ワイン」は実は2本有って、2本とも1985年フランス産「Grand Cru」、ラベルも中々に渋い(片方には「果実酒」のステッカーも有る)、如何にも高そうなワイン…がしかし、如何せんその価値が解らず、しかし最も恐れていたのはその保存状態で、これらのワインが26年間存在した場所を知っているゲル妻は、尚更なので有った(笑)。

7時半を過ぎると、ゲストが次々と到着し、6人揃うと先ずはプロセッコを開けて乾杯、近況を話しながらも早速料理に取り掛かる。

昨晩の料理は、先ずはゲル妻の「アスパラガスのオーブン焼き」と「チキン・サラダ」、P王子とA姫の「イタリアン・ソーセージとホウレン草炒め」、そして持ち寄ったチーズ各種。香ばしい香りが部屋中に立ち込め、食欲をそそる。

席に着き食事が始まったが、話題は当然1985年のワインの事になり、皆P王子に質問攻めの様相を呈したが、ワイン・トレーダーであるPも、iPhoneを駆使しながらもそれに応える…ウーム、何とエデュケーショナルなディナーなのだ!

そして食事も進み、「ではそろそろ、どうかな…?」と誰とも無く云い出すと、愈々1985年を開ける事に…。

先ずはラベルのデザインも状態も古そうな方を選び、ご指名のPが注意深く栓のラベルを剥がすと、何と口付近に蔓延る「カビ」が、皆の眼に飛び込んで来た!

ウーム…皆の顔に不安の影が差し呻くが、Pは「We don't know yet…」と呟き、今度は慎重にコルクを抜き始める。

無事コルクが抜かれ、早速ワインをグラスに移すが、注がれたワインのその色は濁り、まるで「アイス・コーヒー」の様…Pはグラスを撹拌し、鼻を近付け匂いを確認し、一口飲んで重苦しく発した言葉は「It's gone...」。それを合図の様に皆一斉に飲んでみたがワインは酸化し、誠に残念な状態であった。

が、この侭では遣りきれない我々は、「リヴェンジだ!」と云う事になり、もう一本の1985年を開ける事を決断。

再びPが注意深く開け始めるが、此方にもカビが棲息、序でにコルクはボロボロで、茶漉しを使ってグラスに注ぐ。匂いを確認して一口飲んだPの発言を、固唾を飲んで見守る我々…そしてPの口から出た言葉は「This is much better…interesting…」で有った!

「よっしゃー!」と、皆で一口含むと、成る程酸化はしているが、呑めなくは無い。その後ああだこうだと云っている内に、気が付けばボトルが空に為っていた所を見ると、26年物と云う有り難みも有ったのだろうが、意外とイケたのも事実なのだ。

これで気を良くした我々は、Pが母国語レシピを持参した、メインの「ボッタルガ・パスタ」を作り始める。

大皿に生ニンニクを擦り付けた後、唐墨を粉状フレークに削り其処に入れ、オリーブ・オイルを注ぎ、良く混ぜて飴の様にしておく。其処へ茹でたてアルデンテのスパゲッティを入れ、良く混ぜて馴染ませた上に、残りの削ったカラスミ・フレークを掛け、仕上げにスライスした唐墨を惜し気無く載せて、混ぜる…何とシンプルで、贅沢な料理なのだ!

出来立ての「スパゲッティ・アラ・ボッタールガ」、食べてみるとこれがまた死ぬ程美味い!この晩の、イタリア・ギリシャ・日本と云った「海の国々」からの煩さ方のメンバーもこれには大満足で、ご満悦。

或る意味「バブリー」な、1985年のワインとカラスミ・パスタをガツガツと飲み食いしながらも、「1985年、貴方は何をしていたか」話や、母国や他国の文化・政治・教育・宗教迄話も弾み、それに伴いワインの方もインターナショナルに、フランスの後はチリ、中国(!)、ヴァージニアと旅をし、気が付けば深夜2時を廻って居た。

2012年1月2日、こうしてちょっとバブリーな「1985年の夢」は、素晴らしいボッタルガ・パスタと共に、半分だけ叶えられたのでした。