ワタクシの、イタい「茶の湯」体験。

日本の友人知人達に拠ると、最近日本で放映された、武者小路千家の千宗屋若宗匠を追い掛けた「情熱大陸」と云う番組の中での、現代美術家杉本博司氏がチェルシーに造った茶室披きの茶会シーンで、客として出席していた筆者とゲル妻が、どうもチラッと映ったらしい。

この日の模様は、拙ダイアリー「雪の日に、茶事をせぬは…:茶室披き@『今冥途』」の回に詳しいが、公私共に如何に茶事や茶会に数出ていても、未だ作法も侭為らず、しかもキチンと座れない筆者は、とても良い「客」とは云えず、況してや「ワタクシ、『茶』を嗜んで居ります」等とは決定的に云い難いので有る。
さて、両親・叔母2人が裏千家から頂戴した御茶名を持ち(父の御茶名に至っては、「宗桂」だ)、幼少期から実家に二間有る茶室に座らされ、苦いお茶を呑まされたにも関わらず、筆者が「こんなに」為ってしまったのには、理由が有ったのだ…。

それは今から30年前、高校3年生の年の事で有る。

担任の先生に唆され、某有名私大の「推薦」を出し、余裕満点で過ごしていた或る日の事(結局その後、当時生徒会長だった同級生で、現在有名クラシック音楽評論家・大学教授のK君に「推薦」枠は盗られ、浪人する事に為るのは別の話…)、両親から「京都のお茶会に行くぞ!」とのお触れが出た。

今と為っては、それが誰の何の茶会だったかも覚えて居ないが、山中の「大寄せ」だった事は確かで、しかし此処で重要なのは、筆者に取ってこの時の茶会は、親の謀略に拠り、「出る」のでは無く「『お運び』をする」事に為っていた事だ。

世の中一般の「『お運び』デビュー」(と云うモノが有るならば)がどんな物かは知らないが、桂屋家では二人前の生地を使って、巨体の筆者用の紋付き袴を新調し、茶碗の持ち方や足運び、踏んではいけない場所や礼の仕方迄、特訓に次ぐ特訓の末、いざ本番の日を迎え、京都の山緑深い好天の下、茶会が始まった。

この日の茶室は、炉を切った四畳半に、襖を取り払った次の間が開け放たれていて、客は総勢20人程で有ったか。

そんな中筆者は、馴れない袴姿でお茶碗を大切に持ち掲げ、緊張し足運びに注意しながら、次の間の客に向かって踏み出した、その瞬間…

「鴨居」が筆者の額を、物凄い勢いで直撃したので有る!

突然の衝撃と余りの激痛に頭を仰け反らせ、「痛っ!」と声を挙げたその時、正座していた客全員が「あぁっ!」と叫び、腰を浮かせ中腰に為った。

足元に注意し過ぎたばかりに、自分が長身(当時183cm.)だった事を忘れていたのだが、最悪だったのは、高額な「桃山時代の茶碗」を運んでいた事迄、すっかり忘れていた事だ。

しかし、で有る…。

更に最悪だったのは、この時に客達が発した「あぁっ!」が、ワタクシの傷付いた額を心配した物では無く、「茶碗」の方を心配した物だったと云う事が、18歳の青年にですら明白だった事なのだ。

そして額に瘤がせり出し、ジンジンする痛さを堪えながらも、茶碗を放すまい、茶を溢すまいと踏ん張り、何とか客に運んだ後もその疑問は消えなかった…。

「オイオイ、そんなの当ったり前だろ?400年生き延びている桃山の『お茶碗様』は、幾らでも替えの利くお前の『デコ』なんかより、大切に決まってるじゃねぇか!」

その疑問に対するこんな答えは、今でこそ「はいはい、左様で御座いますね…」とも思うが、客の誰1人もワタクシのオデコを心配してくれなかったその時は、「こちとら、初心者なんでい!大体、天井が低過ぎんだ…そんなに茶碗が大事かぁ?オラァ?」と思ったのも事実なのだ(暴言汚言、大変失礼致しました)。

そんなこんなで、18歳の青年は、それ以来「茶の湯」に対して強烈なアレルギーを持ってしまった…と云いたい所だが、実はそうでは無い。

それは、「鴨居事件」の一席が終わった後の水屋での事。

理不尽な思いでオデコに出来た瘤を擦っていたら、水屋で手伝って居た或る年配女性が、筆者に声を掛けて来た。

「貴方、オデコ大丈夫?でも偉かったわね、お茶溢さなかった!」

あぁ、この人は、茶碗よりもお茶よりも先に、ボクのオデコを心配してくれている…お茶をやる人にも、こう云う人が居るのだ!

そして、その女性はこう続けたのだ。

「お茶道具って云うのは大事だけどね、それを造ったのは皆人間でしょ?だから『鶏と卵』じゃ無いけど、最終的には絶対に人間の方が大事なのよ。」

これには異論・反論も有るかも知れないが、この話が、現在の筆者の美術品に対する「心構え」の基礎に為ったのは確かで、美術品も茶の湯も「人」を介さねば存在しないし、「人」を大事にしてこそ成り立つのだと云う事を、この時「額の瘤」と共に学んだので有った。それ以来、お茶のお稽古は続か無かったのだが…(苦笑)。

そうそう、お茶に関する「イタい想い出」と云えば、堺のお茶会でも…いや、この話はまたの機会にしておこうか(笑)。

失敗は「成功の母」、そして「学びの父」なので有る。