「なんとなく…」。

父の密葬が終わって一週間。人が亡くなった後に初めて判る、その「人となり」も多い。

例えば父の手帳を見ると、外食で食べた料理のメニューや、家族の誕生日や結婚記念日をキチンと記し、意外にも几帳面な所に驚く。
また、書斎のデスクの引き出しからは、「孫一からの手紙」と書かれた大きな封筒が出て来て、中には筆者がロンドンやニューヨークから父に宛てた手紙や、家族からのカードが沢山入っていて、これは晩年の父がやっと家族的に為った事の証だろう。

その中の幾つかを母と読んでみると、今から20年前、筆者が現在勤める会社のロンドン本社に訓練生で入った直後の手紙が有って、読み返して見ると、自分が如何に謙虚だったかと驚く…20年と云う歳月は、人を育てると共に、増長させるに充分な年月なのだ…反省せねば為らない。

そんな実家での雑務の間に、物置小屋に未だ取ってある、嘗ては千枚近くも有ったが今は数百枚に減った、筆者の「レコード」コレクションを見てみた。

筆者のコレクションには、クラシック、ジャズ、ディスコ、R&B、ロック、フォーク等、各ジャンルのLPやシングル、12インチのレコードが含まれて居るが、その中でも我田引水的に最も充実していると思って居るジャンルが、70年代後半から80年代前半に掛けてのディスコとR&B、そして「AOR(Adult Oriented Rock)」なので有る。

今の若い人は、こんなジャンルがロックのカテゴリーに有った事すら知らないと思うが(アメリカでは今でも「ソフト・ロック」と云うカテゴリーが有るが、それとも少し違うと思う)、「AOR」は70年代から始まり、「クロスオーバー」や「フュージョン」とシンクロしながら登場し、メロウな曲調とロマンティックな歌詞で、当時の「なんとなく、クリスタル」な若者達に絶大に人気を誇ったのだ…そう、今では何とも恥ずかしいが、筆者がこのジャンルに興味を持ったのも、田中康夫の「なんクリ」の影響なので有る。

さて筆者に取って、当時の「東京輸入盤レコード店」(これも今の若者には意味不明だろう)ベスト3と云えば、ロックの渋谷「シスコ」、ソウル・ディスコの六本木「ウィナーズ」、そしてAORの青山の「パイド・パイパー・ハウス」で有る。

そのパイド・パイパー・ハウスに通い、ジャケットを眺め、曲を聴き、店員から情報を得ながら、必死にお金を貯め勉強した結果、手元に集まったアーティストの名を挙げれば、今は亡きケニー・ランキン(「You are so beautiful」)、ポール・デイヴィス(「I go crazy」)マイケル・フランクス(「Antonio's song」)、ルパート・ホルムズ(「Him」)等の他、ビル・ラバウンティやニック・デカロネッド・ドヒニーやエアプレイ、大御所ボズ・スキャッグスクリストファー・クロスボビー・コールドウェルスティーヴン・ビショップ等、枚挙に暇が無い。

好きだったAORのアーティストの中には、例えばキャロル・ベイヤー・セイガーやディヴィッド・ポメランツ、ピーター・アレン、エアプレイのディヴィッド・フォスターの様に、歌唄いとしてはそれ程有名で無くとも、ソングライターとして非常に優秀な人が居たり、ナラダ・マイケル・ウォルデンやトミー・リピューマ、上記ディヴィッド・フォスター達のプロデューサー・ワークも素晴らしかったりして、知らないアーティストのアルバムを買う際の目安と為った。

また、AORのアルバムを買う時のもう1つの楽しみが、上記の様な名プロデューサー達が起用するスタジオ・ミュージシャン達で、ジャケットに記載される、例えばアンソニー・ジャクソンジェフ・ポーカロスティーヴ・ガッドマーカス・ミラーポール・ジャクソン・JRやパウリーニョ・ダ・コスタ等の超一流且つ豪華な名前を見付けると、彼らが一体どんな演奏をしているか、ワクワクしたモノで有る。

しかし、最近のダウンロード文化やシングル指向では、アルバム・ジャケットの観賞(ジャケ買いして意外と当たったり、外れたり…)や、ライナー・ノートの熟読(本当に学ぶ事が多かった!)等の機会も無いだろうし、アーティストとプロデューサーが苦心して考えたで有ろう曲順や、超詳しいオタッキーレコード店員と、友達に為る事も無いだろう。

「なんとなく…詰まらん」(笑)と思うのは、筆者だけだろうか…?