共有する「知の体験」。

天皇陛下が、無事退院されたとの事…これから充分にご静養頂き、お元気に為られる事を、心よりお祈りする。

さて今、内田樹中沢新一の共著(対話集)「日本の文脈」を読んでいる。

読書中にも関わらず、この著作を取り上げた理由は、その53ページから55ページに掛けて、今をときめく日本の「知のリーダー」とも呼ぶべき2人が、共有する或る非常に重要な「体験」に就いて、語り合って居るからだ。

実は、筆者もこの「重要な体験」を共有しているが故に、黙っては居られない…驚く勿れ、その「共有体験」とは「『UFO』の目撃」なので有る。

そして今、「UFO」と聞いて嘲笑った貴方には、ハッキリ云って此処から先を読む資格は無い(笑)。早くこのウィンドウを閉じ、内田樹中沢新一「以外」の哲学書でも読むが良い…何故なら貴方は、たった今内田・中沢両氏をも嘲笑した事に為るのだから…。

では、笑わなかった読者の為だけに(笑)、これから筆者の「UFO体験」をお話ししよう。

筆者が「初めて」UFOを観たのは、小学校4年生の時で有った。

当時少年サッカーの選手だった筆者が、放課後練習をしていた時の事…高く蹴上られたボールを皆で見上げた時、チーム・メイトの1人が、空にラグビー・ボール状の、オレンジ色に発光する「物体」を発見した。
皆は練習を止め集まり、空を見上げながら「何だ、アレ?」等と口々に話していると、突然、何とその物体はゆっくりと降下し始め、我々の頭上50m位まで降りて来たので有る!

その日家に帰り、興奮しながらこの「体験」を親に告げたのだが、唯笑われただけで、非常に悔しい思いをした。

そして2回目のUFOとの邂逅は、大学生の時。

その夜、友達との夜遊び後の深夜3時過ぎ、筆者は中央高速を車で150-60km位のスピードでブッ飛ばして居た。

そんな時、これ程早い速度で走っていたにも関わらず、そして隣のレーンが空いて居たにも関わらず、ライトをハイビームにして背後の暗闇から迫って来る「車」が居た。

「何だよ…」と悪態を吐きながら道を譲ろうとしたのだが、急にそのハイビーム・ライトと後続車の気配がバックミラーから消え失せた…と思ったら、「何か」が筆者の車の「上」を、物凄いスピードで追い越して行ったのだ!

後は、160kmで走る車を「上から追い越した、何か」の、恐ろしいスピードで遠ざかるテール・ランプを呆然と眺めながら、筆者は「また出たか…」と呟くのが精一杯で有った。

「おいおい、笑わせんな…んな訳無いだろ?」「嘘も大概にしろ!」とお思いの方は、今此処でウィンドウを閉じる事を、今一度強くお勧めする…今日のダイアリーはこれから、「UFOを信じない」方には、益々馬鹿馬鹿しく為って行くのだから…。

さぁ、良いですか…良いですね?では、話を続ける(笑)。

筆者のUFO体験「3回目」は、筆者がオークション・ハウスに入る前、3年半程広告代理店に勤務していた時代に、宮古島に出張した時の事だ。

この出張旅行中の或る夜、11時過ぎ頃だっただろうか…夕食後スタッフ数人で暖かな海岸の砂浜に座り、真っ暗な海上に灯りを点した大きな船が停泊しているのを眺めながら(暗くて「船」のボディは見えない)、ビールを飲んでいた。

すると突然、その巨大な「船」の側面部分全体に、小さな「窓」らしき物が無数に開き、其処から強い光が洩れて来た。そしてその光は回転をし始め、次第にその速度を増すと、終には余りに早い回転スピードの為、「土星の輪」の様な光の渦と為ってその「船」を持ち上げ、その数秒後、宙に浮かんだ「船」は光の渦と共に舞い上がり、遥か天空へと消えて行ったので有る…。

今迄書いてきた事には、何の嘘偽りも無い。そして筆者には、実はその後も「夜間飛行中のUFO事件」等が起きたりしているのだが、今日はこれ位にしておいてやる(芥川賞作家風に:笑)。

最後に、此処迄我慢して読み切って頂いた方に、少々長くなるが、前述の「知のリーダー」お2人の会話を引用しておこう。


内田:「こういう話をすると、『大学の教師がふざけたことを言うな』と怒る人がいるんですけど、こういうのって身をもって経験しないとわからないんですよ。UFOって実際に見たら、『見たよ』としか言えない。幻覚でも夢でもなんでもなく、そこにあるんですから。」

(中略)

中沢:「僕も80年代に横尾忠則さんと神宮前なんかを歩いているとね、良く出たんですよ。」

(中略)

内田:「でも、実際に目の前にあらわれると、もう、手に触れそうな感じなんですよ。オレンジと白でピカピカ光ってる。」

内田樹中沢新一著「日本の文脈」(角川書店)より―


これでお分かりの様に、「え〜、UFO?」等と笑ってはいけない…何故なら「UFO体験」とは、「哲学的『知の体験』」なのだから(笑)。