「書き下ろし」の美学。

「偲ぶ会」も終わり、一息吐いた昨日の夜は、菊池寛実記念智美術館へ。

この日の智美術館は、夜間開館の「ナイト・ミュージアム」と銘打って居たが、この晩の目玉は、筆者が夫婦で参加した第2回「聴く」会で有る。

今回の「聴く」ゲストは、能楽笛方藤田流十一世宗家の藤田六郎兵衛師。

筆者も何回かお会いした事の有る藤田師は、宗家の手から手へと430年間受け継がれ、現在ご自身が所持して「毎日」使用されていると云う、一子相伝の「能管」と同じ名の観能会「萬歳楽座」を主宰しておられるのだが、因みにその「萬歳楽座」が、昨年の文化庁芸術祭に於いて芸術祭大賞を受賞した事も、此処に記して置こうと思う。

さて、館に着き、荷物を預け階下に降りると、嘗てメトロポリタン美術館に居らした、学芸員の花里さんにバッタリお会いし久々の対面。

その後、林屋晴三館長や作家の川瀬忍氏にもお会いしご挨拶を差し上げていると、この日のもう一人の主役、金重有邦氏もお見えに為り、前日開催された、父の偲ぶ会に出席して頂いた御礼を申し上げる。

そう、この日の藤田六郎兵衛師の独奏会は、現在智美術館で開催されている、有邦氏の展示会場(拙ダイアリー:「忝なさに涙零るる」参照)で行われ、しかも演奏後には、お二人に拠る「ミニ・トーク」も付いているコラボ企画なのだ。

有邦氏の作品が並ぶ展覧会場には、小さなステージが設えられ、並べられた席も略満席…そして藤田師の演奏が始まった。

笛に勝るとも劣らぬ、藤田師の美声(師は「歌」でCDも出されている)に拠るトークに続いて、最初の曲は、「真ノ音取」(しんのねとり)…何と素晴らしい音色だったのだろう!

その後は強い曲が続き、「翁」の「鈴之段」、宗家相伝の非常に珍しい曲「豊後下がり破」、そして最後の「獅子」(「石橋」)迄、軽妙なトークを絡めながらもアッと云う間の30分…迫力溢れる演奏で有った。

藤田師の独奏が終わると、机と椅子が運ばれ、今度は、「能菅」が楽器の中で最もお好きだと云う有邦氏との「ミニ・トーク」タイム…お2人の個性が出た楽しい対話だったが、その中に、非常に重要な話題が有った。

それは、能の世界での世阿弥、茶の世界での利休のアートは、当時全て「書き下ろし」、また「初演」で有ったと云う事だ。

この「当たり前な事実」を、現代の人々は剰りにも忘れがちなのだが、そもそも能も茶も元来「実験的」パフォーマンス・アートで有ったと云う事で有る。

これは「古美術品は、創られた当時は、全て『現代美術』で有る」と一緒で、その新鮮さが時を超えて残らねば為らない。

そして、伝統とは「改革の連続の歴史」である事からしても、「真似事」や「焼直し」が罷り通る、今の凝り固まった能や茶の世界に、その「書き下ろし」の美学と勇気を、筆者は強く望む。

そして「出雲の阿国」の心意気が「竹の子族」に受け継がれ、「印籠」の美意識が「デコ電」に現れる様な状況と、そこから生まれる新たなるアートを、切望して止まない。

そんな事を強く思った「美術館の夜」で有った。