「相続者」の義務。

生暖かいニューヨークに戻ってきた。

さて、昨日のニューヨーク行きANA010便はそれほど混んで居なかったが、日本の航空会社には珍しく、ファースト・クラスにはアメリカ人俳優、しかもオスカー女優が乗っていたので有る。

その女優の名は、メリル・ストリープ…彼女の素顔の美しさは、62歳と云うその年齢を考えても、際立った物であった。

そんなセレブも乗っていたANA010便で、「大いなる遺産」の「相続」に関する映画を観たので、今日はその事を。

その映画とは「Le Coeur et le Courage」(邦題:「ベジャール、そしてバレエは続く」)。

この映画は、モーリス・ベジャールに関する映画にも係わらず、スイスでもフランスでも無く、スペインで2009年に製作され、監督もスペイン人のアランチャ・アギーレ、主演は「ベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)」の芸術監督ジル・ロマン、そして団員のダンサーとスタッフ達で、2007年の巨星ベジャールの死後、この名誉有るバレエ団を引き継いだベジャールの愛弟子ロマンと、バレエ団の「その後」を追うドキュメンタリーで有る。

この作品では、冒頭で主人公ロマンの踊る、筆者の愛するマーラー交響曲第5番第3楽章「アダージョ」を用いた名作「アダージェット」から、ジョルジュ・ドンに拠る大名作「ボレロ」迄、ベジャール振付の名作ダイジェストも堪能出来るが、筆者とベジャールとの出会いも、実は「ボレロ」なので有った。

その「出会い」とは、クロード・ルルーシュ監督1981年度の大作「愛と哀しみのボレロ」。

この作品は、指揮者のカラヤン、ダンサーのヌレエフ、歌手エディット・ピアフ、そしてジャズ・ミュージシャンのグレン・ミラーを各々モデルとした、4家族の流転を描く大河ドラマで有る。

この名作の最後にフィーチャーされたジョルジュ・ドンの「ボレロ」は、当時余りにも衝撃的で、ラヴェルの「ボレロ」に乗せたベジャールの斬新な振付とドンの官能的で妖しくも激しいダンスは、若かった筆者を心底感動させ、完膚無き迄にノック・アウトしたのだ。

その後、渡辺守章氏が翻訳をした「ベジャールによるベジャール」と云う本を手に入れ、そのまた何年後かに、実際にドンの「ボレロ」を日本公演で観た時の興奮は忘れられない…そして今以て、コンテンポラリー・バレエの分野で「ボレロ」を凌ぐ作品には出会っていないので有る。

さて、ベジャールとロマンのケースの様に、偉大な先駆者が残した「大いなる遺産」を相続すると云う事とは、一体どう云う事なのだろうか。

一般社会で考えれば、遺産を相続する者に「権利」と「責務」が生じるのは当然で、それは家の名誉と経済的安定を得る代わりに、その名と価値を落とさず、家の者の面倒をみると云う重圧と闘わねばならない、と云う事で宿命的なのだ…況んや芸術の分野では。

しかし、ベジャールと云う20世紀最大の才能が残した作品とバレエ団を相続したロマンが、ベジャールのレガシーと闘いながらも彼自身の「新作」を発表しようとする姿は、その「遺産」が剰りにも偉大なだけに、非常に誠実且つ勇敢で、尊敬に価する物だと思う。

それ迄に創られた物を壊す事は容易だが、問題は新たに構築する事で有る。そして「相続者」の義務とは、その「構築する事」なのでは無いだろうか。

日本の古典芸能も然り…モーリス・ベジャール(しかし改めて見ると、ベジャールの顔は、当に哲学者のそれで有る!)の名の綴り(Bejart)に、いみじくも含まれる如何なる「art」の「相続」に於いてもそれは同様で有ろう。

「構築」を実現させる物、それは強い「心」(le coeur)と「勇気」(le courage)だけなのだ。


「魔女に『幸運』を奪われても、『心』と『勇気』だけは守り抜く」

セルバンテス作「ドン・キホーテ」第2部:第17章より)