これが、これが、これが、恋。

昨日、気温が何と19度迄上がったニューヨークでは、日曜から「サマー・タイム」が始まった。

普段ならいざ知らず、時差ボケの身に取っては時計を1時間進める事に何の異論も無いばかりか、却って有難い。しかしこのサマータイムは、春の訪れを告げると共に、1年の1/4がもう既に終わりかけて居る事を告げる、恐るべし時告鳥なので有る。

そしてもう1つ、春の訪れを告げる(笑)、微笑ましい地元のニュースを。

数ヶ月前から、ヘルズ・キッチンに在る我が「地獄パレス」の斜め前、警察署の隣に在る背の低いビルが改装されて居て、或る晩ふと見ると、マッチョな黒人ガード2人がドア脇に立っていたので、「あぁ、クラブが出来たのだな」と判った。

寒空の下、ドア前に並ぶ顔触れから、其のクラブは明らかにゲイ・クラブらしかったので、ゲル妻と「1回行ってみようか」等と云っていた矢先、最近のニューヨークではかなり背の低い、その3階建てのビルが滔々完成したのだが、何とその建物は「ニューヨーク市初の『ゲイ専用アーバン・リゾート・ホテル』」だったので有る!

そのホテルの名は「The Out NYC」(しかし「ジ・アウト」って…スゴい名前では無いか?:笑)。

ソーホーやチェルシーでは無く、ヘルズ・キッチンに出来たこのゲイ・ホテル、勿論「ストレート」でも泊まれるらしいが、ゲイやレズビアンへの気配りが多く、既に複数組のゲイ・カップルがウエディングの予約をしていて、ホテル・アメニティーには「コンドーム」や「ルブリカント」(!)も入っているそうな…行ってみたい様な、みたく無い様な、で有る(笑)。

「The Out」…ニューヨークの新しい「恋の名所」になるかも知れない。

さて、そういった意味も含めて、21世紀のニューヨーク程、「恋」に寛容な場所も無いだろうが、18世紀の「大坂新地」では、そうは問屋が卸さなかった…筈だ。その18世紀大坂新地を舞台した、超名作「恋物語」の現代翻訳版を読了した。その作品とは、角田光代著「曾根崎心中」(リトルモア)で有る。


「此の世の名残 夜も名残 死に行く身を譬(たと)ふれば あだしが原の道の霜 一足づゝに消えて行く 夢の夢こそ あはれなれ」


上に記した書き出しで始まる「道行」が有名な、ご存知「曾根崎心中」は、元禄16年(1703年)5月に大坂竹本座初演、近松門左衛門竹本義太夫の為に書いた人形浄瑠璃で、初演前月に実際に起きたお初徳兵衛の心中事件を脚色した、最初の悲劇的「世話浄瑠璃」で有り、この作品を切っ掛けに「心中ブーム」が起こった程の人気作と為った。

昨年、横浜の神奈川芸術劇場で上演された、現代美術家杉本博司氏演出の文楽でもフィーチャーされた様に(拙ダイアリー:「古典芸能の未来:『杉本文楽 曾根崎心中』@神奈川芸術劇場」参照)、この作品は「観音巡り」と「心中道行」と云う2つの「道行」に挟まれた、遊女を1人の人間として愛すると云う「近代的恋愛」が主題だが、近代歌舞伎に為ってからは、徳兵衛を陥れる九平次を「敵役」としてフィーチャーし過ぎて、本来メイン・テーマで有る筈のお初徳兵衛の「恋模様」が薄れてしまう演出が多くなって居た。


「神や仏に掛置きし 現世の願を今こゝで 未来へ回向し後の世も なをしも一つ蓮ぞやと 爪繰(つまぐ)る数珠の百八に 涙の玉の数添ひて 尽きせぬあはれ 尽きる道」


が、この角田版「曾根崎心中」では、「女」としての著者自らが、お初の眼や口を通してその熱い「恋」を見語りしているかの様な文章が、時に生々しく、そして余りに切なく読者に迫る。その思わず感情移入してしまう、筆力と構成力…誠に天晴れな作品と為っている。

著者は300年前の「曾根崎心中」を、見事に21世紀語に置き換えた。そして、本作中筆者が最も好きだった場面の1つ、著者渾身の、初が徳兵衛に恋をした、いや初が「これが恋か」と理解した場面に、今日のダイアリーのタイトルが記される。


「未来成仏 色疑ひなき恋の 手本となりにけり」


「恋」は危険だ…知らなければ、それで済むが、知ってしまえば、只では済まない。

そして300年前も今も、「恋」は命懸けで無ければならない。


(「」部は、近松版「曾根崎心中」よりの抜粋)