「ハナ」と「パナ」。

しかし「東電」には、開いた口が塞がらない…一体全体、彼らは何様の積もりなのだろうか?

値上げ反対をすれば、電力供給を止める?他社に切り替えて、その他社が供給不十分な場合に東電に戻って来た場合、更に高い使用料を要求するだと?

そんな強気な事を云いたければ、先ず自ら何人の社員の首を切ったか、何れ位給料を幾ら下げたか、幾ら有ったボーナスを何れ程減らしたか(信頼出来る筋に因ると、未だに出しているらしいが)等を、国民に公表してからが「筋」と云う物だろう。

歴史に残る大事故を起こし、情報隠蔽をした上、自らの人員整理やコスト・カット等の財政再建案すら国民の前に満足に提出出来ないこんな連中に、「上から目線」で云われる筋合いはどんな中小企業にも無い。

況してや、アメリカなら即座に「公聴会」に呼び出され、逮捕・収監の可能性すら多大に有る程の社会的責任放棄だと云う事を、彼らは理解して居ないのだ…全く以て全てが甘過ぎて、筆者は吐き気さえ催すが、こうなると、嘗て枝野大臣が東電の対応に業を煮やし、東電の「国有化」を示唆した事を思い出す。

その時経団連会長は、「国有化等、とんでも無い」と反論したらしいが、枝野氏は「そんなら、財界で責任を取れ」と啖呵を切ったとの事。が、この件に関しては、枝野大臣の発言こそ尤もで、米倉経団連会長はその責任を今こそ取るべきで有る。財界の長として、この事態を一体どう考えて居るのだろう?

東電も財界もこんな体たらくでは、国民は、国の東電に対する強い圧力を期待するしか無いのでは無いか!?

ふぅー(溜息)…さて、怒りを鎮めて今日のダイアリーを進めよう。

この間の日曜の夜は、久々に建築家Sとゲル妻共々、ダウンタウンの「E」で食事。

A.K.A.「空飛ぶ建築家」のSは、「情熱大陸」以来、ニューヨークの住人とは云え忙し過ぎて、我々の様な「パンピー」には逢う事が難しく為った売れっ子なのだが、ファッション・ブランドや美術館、現代美術家の為の施設等、世界を相手に手広く活躍している。

そんなSとの食事中、彼が今手掛けている、某有名現代アーティストのニューヨークのアトリエの改装の話に為った。

すると、その作家が日本の「茶室」に興味が有り、茶室を造りたがっていると云う事を聞かされ、我々は興味津々…「『現代美術家が持つべき茶室』とは?」と云う話題で盛り上がる。

狭いスタジオの中に、どれ位本格的な茶室を作るのか…そしてそれは、トラディショナルな茶室で有るべきか、はたまた超現代的でアヴァンガルドな茶室で有るべきか、それが問題だ…これからSには「ハムレット」の様に悩んで頂こう(笑)。

そして「お茶」繋がりでは無いが、昨日は昼から、裏千家主催の「ランチョン・パーティー」に夫婦で出席。

この食事会は、ワシントンD.C.に開いた新しい道場の茶室「和深庵」での茶会の為にアメリカを訪れていた、茶道裏千家家元坐忘斎夫人の容子夫人、長女の万紀子さん、伊住公一朗氏をニューヨークにお迎えしての物で、末端ながら「パトロン」の筆者も招待されたので有った。

家元夫人や米国茶道界の重鎮ディック・ダンジガー氏のスピーチ、嶋野栄道老師に拠る乾杯が終わると、同じテーブルの隣の席には京都の関根秀治裏千家事務総長、向かいにはニューヨーク出張所の弘田佳代子先生もご一緒し、皆でブッフェの食事を楽しむ。

そして食事会の最後の方では、皆テーブルを往き来して挨拶や話をする様に為ったのだが、この日の会話の中で一番の収穫だったのは、実は「お茶」に関してでは無く「お花」、いや「花代」に関しての事だった。

さて皆さんは、「花代」と云う言葉をご存知だろうか?「花代」とは祇園等京都で舞妓・芸妓を呼んで遊んだ時に、お茶屋さんに支払う「料金」の事で有るが、さてそれでは、この「花代」の語源は何でしょう?

答えは「パナ」…この「パナ」とは、サンスクリット語で「銅銭」の意味との事。

御存知の通り、京都にはお寺が非常に多く、祇園町では昔からお坊さんが有力な客筋の一つで有る。その僧侶と仏教に欠かせないサンスクリット語での「お金」(=「パナ」)が、山(比叡山とも)から街に降りて来て隠れて遊ぶ僧侶達の「支払い」の隠語として使われ、それが変化して「花代」に為ったのだそうだ。

僧侶と花街の関係は、旧くは一休禅師と地獄太夫の例を取っても明らかだが(拙ダイアリー:「聞きしより、見て美しき地獄かな」参照)、僧侶にとって、本物の浄土を知る為に「現世の浄土」を知る事も、重要な「修行」の一つなのだろう。

まるで「今冥途」みたいな話だが、その真偽の程は、口の固いお茶屋さんだけが知っているに違いない(笑)。

21世紀の今でも、祇園とは現世の浄土、そして舞妓、芸妓は来迎する仏か菩薩か…男達が苦労して支払う「『ハナ』代」とは、正しく「パナ」なので有った(笑)。