連夜の「チボ・マット・ジアポネーゼ」。

オークションが終わってから「アフター・セール」に精を出して居る…お陰様で現在迄に30万ドル以上を売り、春の成績も少しはマシに為って来た。

さて、此処の所の二晩は、友人達との会食が続いた。

先ず月曜の晩は、作曲家Aちゃん、ミュージシャンのMさんとそのボーイフレンドのインド人H君、そして地獄夫婦の5人で、ミッドタウン・イーストに在る馴染みの和食店「つくし」へ。実は前回、Aちゃん、Mさんと一緒に食事をした時に「つくし」の話に為り、「次回、絶対に行きたい!」と云う事に為って居たからで有る。

シカゴ・ブルズピッペンにも、エミネムにも何処と無く似ている気がする(笑)「つくし」のマスターのHとは、同い歳且つ20年来の友人で、「つくし」が49丁目の1番街と2番街の間に在った頃からの付き合いなのだが、正直一筋、男気溢れる本人の性格とは正反対に、彼は4月1日生まれなので有った(笑)。

なので、その翌日だった一昨日の晩は、毎晩寝る前に「一篇」、奥さんのY子さんに読んで貰う様に」と、敬愛する中原中也の詩集を「バースデー・プレゼント」として携え、いざ「つくし」に出撃。

月曜だと云うのに満席の「つくし」に着くと、マスターHは相変わらずだったが、「つくし」の料理も相変わらず超旨く、モスリムのH君からインドの文化・宗教の事等を聞きながら、枝豆や竹の子、茄子の煮浸し等から始まる絶妙の味付けの料理を頂く。

その後も「茸の冷製スープ」、鳥や鰈の唐揚、じゃこやマカロニのサラダ等を食い尽くし、〆の「メンチカツ入りカレー」や「高菜チャーハン」、ラーメン迄全てを食べ終えると、デザートはH特製の「ドーナッツ」や「焙茶ムース」、抹茶アイスで全員大満足の大団円を迎えた。

何と云う、貪欲な食欲…とてもメンバーの中に、ピロリ菌退治中やダイエット中だったり、若しくは風邪で抗生物質服薬中、そして宗教的食事制限中の人間が居たとは到底信じられん(笑)…流石、全員「Cibo Matto」(crazy food)で有った!

そして4月1日と云う日は「エイプリル・フール」、且つマスターHの誕生日で有ると同時に、大変お世話に為った茶人の故山田尚先生のバースデーでも有る。

そんな訳で昨日の晩は、「先生を偲ぶ」と云う目的で、所縁有る極少人数の友人との食事会を催した。

メンバーは、近々京都に支店を出すと云う、先生のパートナーだった織物作家のTさん、コロンビア大学名誉教授のM先生、ハイヤー会社のS氏、建築家Kさん、グラフィック・デザイナーのK氏夫妻、そして我ら地獄夫婦の8名。

そして場所は連夜の「和食」と為ったが、先生が好きだったアッパー・イーストの「W」を選んだ。

余談だが、生前の山田先生は何処か亡き父に似ていた。それは2人とも同じ昭和3年生まれで、東京の下町の出身だった事(神田と深川)、そして2人とも若い頃に結核を患って居た事や、日本文化の普及研究に生涯を捧げた事に因るのだろう。

そんな先生が亡くなって早3年…時は残酷な程、早く過ぎ去って行くので有る。

皆で山田先生に献杯後、先生の想い出話やワシントンのナショナル・ギャラリーで開催中の若冲展、これからフリアー・ギャラリーで開催される狩野一信展の話で盛り上がりながら、美味しい「揚げ出し豆腐」や「海老真丈」、「ミノ煮込み」や「ロブスター・ロール」、最後には「白玉ぜんざいアイスのせ」迄頂く。

筆者は、結局前日はメンバー最高年齢として、しかしこの晩は「若い世代」として、年齢幅の広い友人達と楽しい時間を過ごしたが、こう云った世代間の壁の無さもニューヨークの良い所なのだ。

こうして2日間に渡る、「チボ・マット・ジアポネーゼ」(Japanese crazy food)な夜を過ごした筆者は、今JFK空港のラウンジに座り、もう直ぐ再び日本への機上の人と為る。

今回は1週間程の短い出張では有るが、重要な仕事の為、着いた翌日の早朝から国内出張と云う、「泣き」のスケジュールと待って居る。

考えただけで疲れるが、これが終わったら休暇を取ろう…取れれば、の話だが(涙)。

Anyway, see you in Japan soon !