縁の味。

ここ数日の東京の余りの寒暖の差は、時差ボケの身体に堪える。

そんな中、早朝の国内便に乗ってプチ出張をしたりと、今にも分解しそうな身体に追い撃ちを掛ける日々なのだが、そんな時に何時も肉体的に且つ精神的に救ってくれるのが、「美味しい食事」で有る。

最近行った店で秀逸だったのは、何と云っても銀座の鮨店「よしたけ」。

友人夫妻に誘われて初めて伺ったのだが、その日8丁目の普通の雑居ビルの3階に在るその店には早く着いてしまい、仕方無くカウンターにぽつねんと座った。
そしてふと見ると、カウンター越しの棚には小さな「ミシュラン君」のフィギュアが…。

さて、そもそも筆者は「一見」の鮨屋が大の苦手で有る上に、況してや「ミシュラン」的権威を持つ鮨屋は尚更…緊張し捲りながらも勇気を振り絞り、未だ若そうな親方に「あの、此方はミシュランの星を取られてるんですか?」と尋ねた。
すると店主の答は「はぁ、3つ程頂きました」…何と此の店、3つ星だったのか!

「いやぁ、ボク外国に住んでるので、日本の店とか知らなくて、失礼しました」と云うと、店主は「いえいえ、気に為さらないで下さい…因みにお客さん、何処にお住まいですか?」

「ええと、ニューヨークなんですが」と云った瞬間、店主の顔が変わり、「そうですか!ボクも昔ニューヨークに居たんですよ!」と仰る。

聞くと、会社の在るロックフェラー・センターと目と鼻の先、筆者も常連の「寿司D」に居られたとの事。お互い偶然に驚きながらも、少しは「一見の『3つ星鮨屋』」に来た緊張が解けたが、しかしこの小さな「縁」は、単なる前奏曲に過ぎなかったので有る!

死ぬ程旨い鮑を食べ終わると、その余った肝のタレに赤酢の鮨飯を少し載せて頂いたりして、店主と話し続けると、今度はニューヨークの和食店事情が話題に。
すると店主が「そう云えば、若かった頃お世話に為った割烹のマスターが居て、『T』って店だったんだけど、未だ在りますかね?」と懐かしそうに呟いた。

ぬわにぃ?「T」だと?在るに決まっているでは無いか…「T」はこのダイアリーにも度々登場するミッドタウン・イーストに在る家庭料理の店で、店主のHは20年来の友、奴の披露宴ではスピーチをした程なのだから。

TとHの話で盛り上がりながら、旨過ぎる鮨を頂き続けて居ると、何処か見覚えの有る器が出て来て、「これ、唐津のNさんの器じゃないですか?」と云ったらやはりそうで、その作家のお父様には、昨秋コロラドでお会いしたばかり…そしてそれを切っ掛けに、話は「焼物」の話へと移って行った。

さて筆者のゲル妻は、萩焼の窯元の娘で有る。焼き物の話から自然に萩の話に為ったので、その事を云ったら、店主が「一寸待って下さい…もしや?」と出した、この間窯を訪ねたと云う作家の名前は、何とゲル妻の叔父の名で有った!

聞けば、女将さんのお父さんが萩出身だとの事…そんなこんなで、唯でさえ美味しいお鮨の味は、驚愕と笑いで益々美味しく為って行った。

美味しいだけの店は幾つも有るが、それだけでは物足りない事も有って、それは「味」とは何も料理だけの話ではないからだ。

ミシュランの星の数も良いが、料理の味は元より店主や相客の人柄の味、そして「縁」の味はひとしおなので有る。