伝統を知った「クリエイティヴィティ」。

先ずは朗報、と云うか腰を抜かしたニュース。ロンドン・オリンピックの男子サッカー予選リーグで、何と何と、なな何と、日本がスペインを破った!

海外では「史上最大の番狂わせ」等と報道されて居るが、確かにアトランタ・オリンピックでブラジルを破った時以来の「大番狂わせ」では有る。しかし勝利は勝利、日頃ニューヨークが大好きな筆者も、こんな時程「日本に居たかった…!」と思う時も無い。この調子の侭の快進撃を期待する!

さて今日のダイアリーは、タイトルに有る通り、1人の「コンテンポラリー・アーティスト」の話で有る…そのアーティストの名は「加川仁」、アッパー・イースト・サイドに有るお茶の伊藤園が経営する日本食店、「DONGURI」(→http://www.itoen.com/donguri)のエクゼクティヴ・シェフだ。

さて一昨日の夜、夜8時過ぎ迄頑張ってカタログ校正をし、ユニオン・スクエアに在る「Tocqueville」と「15 EAST」(→http://tocquevillerestaurant.com/)のオーナー・エクゼクティヴ・シェフ且つ、仲の良い友人で有るマルコ、ジャズ・ピアニストH女史、そしてゲル妻を伴って、空腹と疲労の中「DONGURI」へと急いだ。

マルコは、筆者の仲の良い「食べ友達」で有る。数年前日本で、彼ともう1人世界的に著名なグルメ中国人を加えた我々3人で、1日に4-5食(寿司、懐石、蕎麦、甘味等々)を食べ捲くったのも良い思い出だが(笑)、地元ニューヨークでも彼と話題のレストランに行き、あれこれ云いながら食事をするのが、皆多忙の身でも大きな楽しみの1つなので有る。

この夜はそのマルコと、日頃から親しくさせて貰っている、才能溢れる料理人の加川氏を会わせる事が目的だったのだが、加川氏には「オマカセ」(因みにニューヨークでは、日本料理店での「おまかせ」は既に「スシ」や「ダシ」、「ウマミ」の様に「英語」に為っていて、外人も「オマカセ!」と云って注文をする)をお願いし、彼の実力と味をマルコにも味わって貰おうと云う「会」なので有った。

45分以上も遅れてきたマルコを待てずに、筆者だけ「オマカセ」前に「ワガママ」を云って頂いてしまったのは、カラッと揚がった稚鮎の天麩羅と、鱧の押寿司…ウーム、何と旨いのだろう!そうして、やっとマルコが雨に濡れてやって来ると、皆で乾杯の後、直ぐに「オマカセ」がスタートした。

先ずは絶妙な薄味の、「蓴菜」に雲丹の乗った涼しげなジュレの前菜。そして、これも絶妙の味付の鱧と焼茄子のお吸い物に続き、ニューヨークでは珍しい天然の真鯛や床伏等の刺身盛。その後は驚きの逸品二皿、カッペリーニを使った「蟹とイクラの和風冷製パスタ」とチリアン・シーバスを湯葉で包み、百合根のポタージュで頂く魚料理。最後はラム肉を経て、トリュフ・オイルの香りも微かに香る、茗荷の乗った蓴菜入りの冷たいお蕎麦、デザートは自家製の「葛切」…これを略1人で、しかもあの狭いキッチンで創り出す加川仁とは、何と云う技術力、想像力と創造力の持ち主なのだろう!

さて加川仁の料理は、至って伝統的な日本料理の調理テクニックと食材を尊重し用いては居るが、そこから生まれ出る味や風味、外観も含めてそれ等は全く新しい物で、その意味で正しく「コンテンポラリー・アート」と呼ぶに相応しい「作品」で有る。

「料理」なのだから、食べてしまえば当然後には何も残らないのだが、その辺は「パフォーマンス・アート」と同じで、最高の出来の作品はそれを体験した者に強い余韻を残すし、体験者はその余韻と感動を一生忘れる事は無い。

そして、最高の「パフォーマンス・アート」としてのこの晩の加川氏の料理は、その見た目は非常に美しくフォトグラフィックで、食材同士が交じり合って生まれる味の複合性や、「夏」を念頭に置いた献立と器の取り合わせはコンセプチュアル、これらの料理を産み出す調理技術は修練されたクラフツマンシップ、序に云えば彼のルックスも、ジャニーズ等眼では無い程のヴィジュアル度のかなり高い「イケメン「幸福の溜息」を連発したディナーは、全く以て「『アーティスティック』な晩餐」で有ったとしか筆者には云い様が無いので有る!

料理の創造性(クリエイテヴィティ)は、時に一般的な意味での「芸術作品」を遥かに凌駕する。

その意味で、加川仁は「シェフ」と云うよりは「アーティスト」と呼ぶに相応しい…そして彼の「作品」(「オマカセ」)は、それなりの代償を払ってでも経験すべき逸品で有り、この作品の「芸術体験」をしていない者は、ニューヨークで味わえる和食の真髄を未だ知らないと断言出来る。

「仁ちゃん」が持つ「『伝統を知ったクリエイティヴィティ』だけが、真に新しい物を創り出せる」と云う事を実感できた、至福の一時で有った。