「砂曼荼羅」が教えてくれた事:「Samsara」を観た。

朝夕がめっきり肌寒くなった、最近のニューヨーク。

そして、この秋程この街が美しく為る季節もなく、一面黄色くなったセントラル・パークを散歩したり、摩天楼を離れて、MET別館の「クロイスターズ」を訪ねたりするのは、至福の一時である(因みに未だ色付き始めてはいませんので…念の為)。

が、何とも悲しいニュースが入ってきた…先日路上で倒れ緊急搬送された、中国全権大使に任命されたばかりの西宮伸一大使が亡くなられたとの事。

ニューヨーク総領事時代の西宮氏の笑顔を想いながら、この場を借りて心より追悼の意を表したい。また、中国各地で起きている反日暴動の鎮静化を祈り、中国政府の措置を期待したい(無理かな?)。

そして、日本人は間違っても日本に居る中国人を襲ったりしてはならない…我々は、そう云った事で領土問題が解決しない事を知っている程には、教養有る人種なのだから。

さて、オークションも終わった週末日曜は、サザビーズとフィリップス、そしてクリスティーズ各社の現代美術の下見会へ。

このシーズンの現代美術のセールは、各オークション・ハウス共「セカンダリー・セール」なのだが、クリスティーズのそれは「First Open 」と名付けられ、またサザビーズも通常の現代美術セールに「Art in Focus」セールが加わり、フィリップスも「Under the Influence」と云うセールで、新規コレクター狙いの、比較的買い易い価格設定のセールと為っている。

ざっと観た中では、クリスティーズではイヴ・クラインサザビーズではジョージ・コンドやガブリエル・オロスコ、フィリップスではアレックス・カオ等、各社共に個人的には何点か「欲しいっ!」作品が有ったのだが、何時もの事ながら手元不如意、今回はギヴ・アップせざるを得ないだろう(涙)。

そして下見会後、悔し涙を噛み締めて向かったのは(笑)、タイムズ・スクエアの映画館…クサマヨイ推奨の「Samsara」を観る為で有った。

サンスクリットで「生・死・再生」や「輪廻」を意味する「サムサラ」は、2011年度ロン・フリック監督作品。4年以上25ヶ国に渡って撮影された、画の非常に非常に美しい、台詞の一切無いドキュメンタリー・フィルムで有る。

そして映画は、可愛いバリ・ダンスの少女ダンサー達の恐ろしく澄んだ瞳から始まり、地球と人類の誕生、人類が宗教と共に歩んだ歴史とその営み、そしてロボットや整形手術、銃や弾丸の製造シーン等を見せて、現代資本主義社会への警鐘を鳴らしつつ、画面はチベットへと戻っていく。

嘗て大学生時代に観た、そして其処で初めてフィリップ・グラスを知った、コッポラ監修の大叙情詩「コヤニスカッツィ」には及ばない物の、流石その「コヤニスカッツィ」の脚本家だったフリック監督だけ有って、例えばイスラム教の最高聖地「カアバ」での信じられない程の数の巡礼者と、一斉に行われるその礼拝の動きや、南米の刑務所での運動時間に行われる集団ダンスのシーン、中国の少林寺拳法演舞会等のスケール感溢れる、謂わば「グルスキー調」とでも呼ぶべき画面は圧巻である。

が、そんな本作中、何しろ一番印象的だったのは、チベットの僧達が色の付いた岩絵具を蒔きながら作る「砂曼荼羅」だった。

僧侶達は、大変な時間を掛けてその美しくも繊細な「砂曼荼羅」を完成させるが、映画の最後のシーンではその砂曼荼羅に「X」をして、せっかく完成した曼荼羅を全て消してしまう。そして、消した為に各原色が混ざり合い、得も云われぬ美しい中間色に為った岩絵具を僧侶達が碗に集めるシーンに、何とも云われぬ感慨が起こったので有る。

それは、「当たり前だが、忘れがちな事」をハッと思い出したからで有る…そう、「物事の終わり」は、何時でも「物事の始まり」に為り得るのだ!

形有るものは全て滅す…そしてチベットの神々の「一時的寄代」である砂曼荼羅も、神々が天に帰ればもう必要がないし、「完成した美しい結果」に対する「執着」も捨てねばならない。

大局的に見れば、人間を含めたこの世の森羅万象の営みに終わりは無く、「砂曼荼羅」の様に全ては仮の姿で有り、形を変えて循環している。

そして、その「輪廻」や「循環」の思想は、宗教を離れた所でも、例えば屋久島の自然等に見いだす事が出来るのだから(拙ダイアリー:「屋久島日記1-4」参照)、全くの非日常事でも無いだろう。

そんな日常と非日常を思想的に旅した、精神性の高い、真に美しい作品でした(芸者が何故か泣くシーンを除いて、だけどね:笑)。