"NYFF50 Diary" Part III:「愛の殺人」と「ワン・パターンの美学」。

山中伸弥京大教授が、ノーベル医学・生理学賞を受賞した!

これで日本のノーベル賞受賞者は、19人…何もノーベル賞が正しく世界最高権威とも思わないが、この数はアジア諸国の中でも群を抜いて多いので、我が国は充分誇りに思って良いと思う。

新聞記事に因ると、山中教授は町工場の息子に生まれ、神戸大学アメリカ留学を経て日本に戻ったらしい。そして筆者よりたった1歳だけ年上の(人生実績は、エラい差だ…)、マラソンと「ユーモア」が得意な先生との事。

何時も思うのだが、この「ユーモア」と云うのは、何の世界でも一流に為る為の必須条件では無いだろうか…海外で上手くやって行くにも「ユーモア」は最大の武器の1つだし、「ユーモア」とは下品な笑いや「おバカ」とは全く異なり、頭の良さやセンスが必要とされる。況してや、笑う笑わせると云った余裕の無い人間には、大きな仕事等成し遂げられないのではと思う(例えば今の日本の政治家に、何れ位ユーモアの有る人間が居るだろうか!)。

それに「ユーモア」ってヤツは、仕事以外の局面で最も活用されるのだから、若く、英語がキチンと出来て、外人とユーモア溢れる会話が対等に出来る山中教授の様な日本人がもっと現れて、これからの日本を引っ張って行って頂きたいと切に願う。

では早速、今日も「NYFF50」で観た作品を紹介しよう。

しかし、何と素晴らしい演技だったのだろう!この作品の価値の99%は、夫婦を演じたこの2人のフランス人老優の、奇跡的な演技の賜物と断言したい…その2人の名優とは、夫役のジャン=ルイ・トラティニアン、82歳、妻を演じたのは85歳のエマニュエル・リヴァ

今迄数々の名作に出演して来た2人だが、トラティニアンと云えば「男と女」と「暗殺の森」、リヴァはと云えば「ヒロシマ・モナムール」だろうが、今年度カンヌ映画祭パルム・ドール」を受賞した本作「Amour」(→http://www.filmlinc.com/nyff2012/films/amour)が、人生の最終盤を迎えた2人の、新たな代表作に為る事は疑いが無い。

さてこの映画は、消防隊員が施錠と目貼りをされ密閉された、パリのアパルトマンのベッド・ルームに、着飾り美しく死化粧を施され、花に彩られた老女の死体を発見する所から始まる。

そして映画はいきなり、才能溢れる若きピアニストのコンサート風景に変わり、その演奏を聴きに来た老夫婦の、長い年月を経て穏やかな愛の巣と為ったアパルトマンでの日常へと場面を移すが、或る日突然神は、老夫婦の人生に於ける最大最後の試練を彼らに与える。

その試練は過酷で、しかし老夫婦は当然必死にそれを克服しようと試みる…何故なら、彼らにはそれぞれ長い人生の知恵と経験が有り、況してや2人の間には強い信頼と確固とした愛も有るのだから…老夫婦はそれらを駆使する事に拠って、その試練を克服出来ると信じたからだ。

だが事態は、彼らを嘲笑うかの様に悪化の一途を辿り、夫はその試練を終結させる為に、妻に対し「殺人」と云う名の、最後の「愛の実践」を施し、2人の「愛の人生」は完結する。

本作を監督したミヒャエル・ハネケは、前作「白いリボン」(拙ダイアリー:「テロリズムの萌芽:『The White Ribbon』」参照)でもそうだったが、非常に狭い社会や空間の中で、或る切っ掛けで萌芽した「ネガティヴな事柄」が育って行く過程に於いて、人間の思考や行動がどの様に変わって行き、どの様な結末を迎えるのかと云う、謂わば生体反応を調べる実験の様に人間をモルモット化し、その実験経過と結果を冷徹に報告する、恐ろしい監督だ。

この「Amour」と云う作品は、ストーリー自体も云ってしまえば良く有る話で、音楽はほんの数回だけ流れるシューベルトピアノ曲のみ。物語の舞台も、老夫婦の美しかった人生が沢山詰まった、大き過ぎず品の良いパリのアパルトマンに限定され、登場人物も非常に少ないと云う、「装飾」皆無なフィルムで有る。

故に、恰も舞台演劇を観ているかの如く、ハネケに拠って固く閉ざされた空間が、次第に大きな「柩」と為って観者に迫り、その柩に込められた夫婦の死の重さは、最後まで緩やかな緊張感を含みながら、観る者に恐るべき余韻を残すのだ(実際本作を観た後、クサマヨイや友人とチェルシーで食事をしたのだが、全く楽しく無くて困った)。

この「Amour」は、来年50に為ろうとする筆者に取って、余りにも苦しく切ない作品だったが、それでもトラティニアンとリヴァの本当に素晴らしい演技に涙し、「愛の殺人」に就いて今一度考えるに相応しい…それだけでも、本作品を観る価値は十分に有ると思う。

そして本作のテーマで有る、「殺人」に因って人生に於ける愛を完結させると云う「神への挑戦」は、自分が年齢を重ねるに連れ筆者を、そして誰をも悩ませ続けるに違いない…。

かなり暗く為って来たが(笑)、今日はもう1作品紹介したいので、少々長くなるが、もう少しお付き合いを。

さて映画作家とは、何とも因果な職業で有る…それは何故なら、独創的な「作風」や「手法」を何時も問われるからで、しかも或る監督がその独創的なそれ等を持ち、そしてそれ等が分かり易ければ分かり易い程、尊敬もされれば、バカにもされるからだ。

そんな事も考えた、都合4本目と為った「NYFF50」作品は、ブライアン・デ・パルマ監督の新作「Passion」(→http://www.filmlinc.com/nyff2012/films/passion)。

先ず始めに云って置きたいが、筆者は誰が何と云おうと、デ・パルマが大好きで有る(キリッ:笑)。

勿論「ファントム・オブ・パラダイス」に始まり、「キャリー」や「殺しのドレス」、「ミッドナイト・クロス」、「ボディ・ダブル」や「スカー・フェイス」等の名作はいざ知らず、敢えてペーパー・バック・ノヴェル風に徹した「ファム・ファタール」に至る迄、これでもかのB級ホラー&フィルム・ノワール的製作姿勢を筆者は評価して止まないので、「アンタッチャブル」や「ミッション・インポッシブル」等は、個人的には余り認めていない。

その事を押さえた上で、さて新作の「Passion」で有る(笑)。

本作の主演は、レイチェル・マクアダムスノオミ・ラパス(元祖「ドラゴン・タトゥーの女」!)だが、このマクアダムスが、如何にもデ・パルマ好みの「B級」「蓮っ葉」「セクシー」「悪女」を安っぽく見事に演じて居て、大変ヨロシイ。

序でに云えば、ラパスが観に行くバレエで踊っている女性ダンサーも非常に美しいので、見逃さない様に(笑)…彼女が出る場面には、見逃し易い理由が有るので、念の為。

そして肝心の内容だが、要はイジワル上司のマクアダムスに、部下ラペイスが復讐すると云う単純な話で、其処にデ・パルマお得意のエロティックなシーンやレズ(っぽい)シーン、「夢」や「足元」、「双子」や「画面分割」等、相変わらずフェティッシュ且つワン・パターンな要素のオン・パレードなので、デ・パルマ・ファンとしては、逆に妙な安心感が有る(笑)。

が、映画の最後の最後には、デ・パルマ「苦肉の策」(笑)と思わせる結末が待っているので、お楽しみに。

しかし、此処までワン・パターンだと、もう此れは「美学」と呼ぶしか無いのでは無かろうか?…そしてそのワン・パターンを、再び繰り返すで有ろう、デ・パルマの次回作が楽しみだと思ってしまうのは、筆者だけだろうか?

そう云えば、別々の日に上映された「Amour」と「Passion」だったが、各々の上映後、舞台に登場したハネケとデ・パルマの姿を見た。

陰と陽、細と太、実と虚…作品の質の違いは有れども、それを如実に顕しているかの様な2人の余りの外見の違いに、2人が「映画監督」と云う同じ職業に就いているとは到底見え無かった事を、追記して置こう(笑)。