「赫赫宗周」、或いは「台北でした最敬礼」。

一昨日から台北に行っていたのだが、先ずは先週末の話から。

先週末の土曜日は、観世流能楽師青木涼子さんの「制作に向けた対話 その1 Noh x Contemporary Dance トーク&パフォーマンス」を観に、青山の東京ドイツ文化センターへ。

この企画は、能を媒介として様々な分野のアーティストとコラボレーションをしている青木さんが、ドイツ在住の米国人振付師Sommer Ulricksonと、ドイツ人アーティストのAlexander Polzinを招いて対談をすると云う物で有る。

残念ながらPolzin氏が急病で出演出来なかったが、能「羽衣」をベースにし、現代作曲家細川俊夫氏の音楽を使用したこのパフォーマンスは、来年ベルリンで上演されるとの事。パフォーマー2人のプレゼンテーションを経て、原初の形でのダンス・パフォーマンスとディスカッションで構成されたこの日の企画は、その完成を楽しみにさせる物だった。

そして翌日曜日、開店と同時に神田の藪蕎麦に赴き、大好物の「天たね」とせいろう2枚を食べて店を出ようとしたら、待っている人の列に見覚えの有る顔が… 何と現代美術家S氏と、ギャラリストK女史のお2人では無いか!

が、S氏には、氏が内装を手掛けたクリスティーズ・ジャパンのオフィスでの展覧会に出品しようと、筆者が目論んでいた某大名品が取れなかった事、そして今回「出馬」が叶わなかった事(笑)の双方を謝ってそそくさと逃げ出し、夜は夜で作家S氏宅でのホーム・パーティーに参加。

今回の出席者は、S氏ご夫妻に作家H氏、その美しい奥様Hさんと愛娘のRちゃん、サバティカルで日本滞在中の、コロンビア大学教授で近代文学専攻のA先生ご夫妻、ニューヨークの友人A姫と筆者の計9人。

文学や選挙等の話題と、S氏夫妻の激ウマ料理で、最後はまるでラビリンスの如き道程を経て(笑)、S先生に駅迄送って頂くと云う、楽しくも有難い時間を過ごさせて頂いた(因みにA姫は実家に戻るすがら、一駅寝過ごしてしまったそうな…)。

そして翌月曜は朝5時起きで羽田に向かい、台北出張。今回の台北出張には2つの大きな目的が有って、その1つは故宮博物院で開催中の展覧会、「赫赫宗周 西周文化特展」を観る事で有った。

この展覧会は、北京故宮博物院を含む本土の8箇所の博物館から集められた、西周時代(B.C.1050頃-B.C.771)のブロンズと工芸品展で、故宮名物「これでもか!」的名品揃いの展示だ。

大混雑の故宮博物院に着き、通訳役の若い台湾人A君と、60代半ば位と思われるY氏と共に観たブロンズ達は、物云わぬ「圧力」を以って観る者に迫って来る。こうなると、根津美術館蔵の卓越した青銅器コレクションもタジタジだが、例えば年記や王の名前等の重要なインスクリプションの入った破片から、王女の為の玉で出来た装飾品の数々、西周前期の「伯各卣」や中期の「刖人守門方鼎」等の、豪快な中にも極めて繊細な細工と彫りの施された、「これぞ中国青銅器!」な作品迄、全く見飽きる事が無い…超古い作品なのに近未来感さえ感じさせる、スーパー・エキジビションで有った。

さて、此処で話は故宮訪問前日、台北到着日に遡る。

台北に到着した日、上記A君とY氏が筆者を空港迄車で迎えに来てくれた訳だが、開口一番大問題の発生を告げられた。

A君とY氏に因ると、何と今回の台北出張のもう一つの目的だった(と云うか、当然こちらの方が最重要目的だったのだが)鎌倉期の名品が、持ち主の都合で観る事が出来なくなったと云うので有る!

が、捨てる神あれば拾う神あり。「オー、マイ、ガッ!」と嘆き呆然とする筆者を、両名が日本美術コレクターの元に案内してくれると云う…そのコレクターとは元裁判所判事のW氏で、90年代には氏の所蔵していた中国美術コレクションが、「シングル・オーナー・セール」として、サザビーズで売却された事も有るらしい。

お宅を訪ねると、和かに筆者を迎えてくれたW氏夫妻…そして何より嬉しかったのは、W氏ご夫妻が大の日本贔屓だった事だ。

天皇陛下から拝領のペアの銀瓶や安藤七宝、籔名山の焼物等を拝見して査定した後、お茶を飲みながら、如何に自分が日本と日本文化を愛し、尊敬しているかをW氏が語った時、尖閣問題で悪化した日台関係を危惧しながら台湾にやって来た筆者は、思わず涙が出そうな程嬉しく為り、気が付くと勝手に日本人を代表して、震災時の台湾の人々からの支援に対する御礼を厚く述べて居た(笑)。

W氏夫妻を訪ねた後は、A君とY氏、運転手さんと筆者の4人で、有名オペラ歌手が共同経営していると云う、激ウマ台湾料理店でディナー。

色々な調理法で作った鳥の冷菜から始まり、マッシュルームのクリア・スープ、エビの炒めや苦瓜、クラブケーキ、魚、青菜と全て驚愕の旨さ!そしてもう一点驚いた事は、有る話から、Y氏が嘗て30年以上もパリで生活をしていて、何とギメ美術館で博物館学を学んだ事も有る「コスモポリタン」だったと云う事だ。

そして筆者が嘗てフランス語を話せた事を知ってしまったY氏は、この事を切っ掛けに筆者にはフランス語で話し始め、此方は片言のフランス語で返しながら、通訳役のA君には会話の内容を英語で説明し、筆者とA氏の間でフランス語での意思の疎通が悪くなると、今度はY氏がA君に中国語で話し、A君が英語に通訳して筆者に伝え、運転手さんはニコニコして只聞いていると云った、「此処は台北なのに、ワシ等一体何やっとんねん!」と思わず関西弁でツッコみたく為って仕舞う程、料理店内は極めて複雑な言語状況を呈したのだった(笑)。

突っ込んで話してみると、クラシック音楽事業を台湾に導入する仕事をしているY氏は超インテリで、彼が筆者に発した、日本美術とそのマーケットに関する数多の質問も異常に的を得て居り、話もアート・マーケットからクラシック音楽(彼は、バッハとドビュッシーが一番好きなのだそうだ)、コスモポリタンとしての自分、中国本土人と台湾人の海外文化学習力の違い、パリとニューヨークの相違点迄、こう云っては何だが筆者が今迄会った中国人の中で、最も好ましい「真のインテリ」の1人だったので有る。

食事後、彼らが取ってくれたホテルに送って貰う車中、Y氏が筆者の顔を見詰めながら、何事か中国語でA君に呟いたので、車を降りる時、Y氏が何と云ったのかA君に聞くと、A君はニヤッと笑ってこう答えた。

「ミスター・カツラヤ…貴方はY氏が今迄会った、東大教授や国家官僚等の如何なる日本人の中でも、最も面白い人だそうです」

お世辞だと重々承知していても、何と無く嬉しい気持ちに為った筆者は、片言のフランス語で食事の御礼を云い、車の窓から手を降るY氏に、そして今回の出張で出会った全ての台湾の人達に、「最敬礼」をしたのでした。