白隠、歌舞伎、向島の夜。

東京都知事も進める「東京オリンピック」。

しかし筆者は、「福島」の事を解決しない内にオリンピックを開催する事は「絶対的に」反対で有る。それは国家としての国際的責任感の欠如も甚だしく、福島を今の状況の侭オリンピック誘致を進める事に賛成する輩は、国際派振っているエセ国際派としか思えない。

世界随一の地震国家で起きた「原発事故」を、2年近く経っても全くフィックス出来ない国が、何がオリンピックだと思う。筆者が他国のIOC委員だったら、とてもこんな危険な国に選手は送れないし、万が一の事が有ったら一体誰が責任を取るのだろう?

今の福島を破壊するには、3・11の規模の地震は要らない…都も国も、福島と国家としての国際的評判を心底考えるのならば、誘致に使うその金を、福島を早急にフィックスし除染を進める事に使うべきだと思うが、如何だろう。

さて、今年も後8日…時の流れに手立て無し、で有る。

そして「ストーンズ50周年ライヴ」に行き、行けなかった筆者へのお土産として、筆者の名前と日付、ダリル・ジョーンズのサインの入った、カッコ良い「ベロ-Tシャツ」を持参したクサマヨイが来日し、感謝しながらも筆者の「自由時間」も終わり(笑)…そんな中、最後のビジネス・ゲッティングに精を出したり、財界人と食事をしたりと忙しかったが、今週末はイヴェントが目白押しだった。

先ずはBunkamura ザ・ミュージアムで始まった、「禅画に込めたメッセージ 白隠展」のレセプションへ…今回の展覧会は、山下裕二先生と芳澤勝弘先生、そして浅野研究所の広瀬さんが、何と「45ヶ所」から集めた白隠さんの名品の数々を堪能できる、スゴいモノだ。

展覧会とレセプションは多くの学者や業者で溢れていたが、先日お目に掛かった松蔭寺の宮本住職や(拙ダイアリー:「無始無終」参照)、嘗てプリンストン大学に留学されていた時に初めてお会いした、高岸輝先生に偶然にもバッタリ。先生はその後、東工大や大和文華館に勤められたが、今年から東大の美術史准教授に為られたとの事…今後も一層のご活躍をお祈りしたい。

さて肝心の展覧会だが、上にも記した様にスゴいの一言。画題やマテリアル、書も絵画も展示構成もバランス良く集められた、114点の達磨、観音、布袋、閻魔、釈迦等々が観者を迎えるが、その迫力は筆舌に尽くし難い!

こうなると「布教のメディア・アートとしての絵画」、「弟子が食う為、食わせる為の絵画」としての白隠作品は、謎解きの面白さや禅的生き方の指南、ユーモアと皮肉を以てして、そして宮本住職が仰った様に沼津の地で愛され、今でもそう呼ばれる「白隠『さん』」を肌で感じる程に、観る者に近しい存在と為る。

特に大きな作品、龍獄寺所蔵「隻履達磨」や萬壽寺の「半身達磨」、法華寺「布袋吹於福」等は見応え充分だし、ロダンの「キュクロープス」をも思わせる「眼一つ達磨」や、何じゃこりゃ的(笑)大龍寺の「白澤」等も、奇怪な、しかしユーモラス且つ愛すべき作品で大好きで有った。

その上画賛と絵、隠し文字や「画中画」をも楽しめ、白隠禅師の画業・書業の全貌を見る事の出来る、何とも素晴らしい展覧会…必見だ!

そして今度は、歌舞伎…今回拝見したのは新橋演舞場、十二月大歌舞伎の昼の部「御摂勧進帳」だ。

この「御摂勧進帳」は、安永年間の歌舞伎の趣を伝える初世桜田治助の代表作で、安永2年11月の中村座にて初演、義経記に松風村雨在原行平を交えた話…一幕目の吉例「暫」から始まり、三幕目の「芋洗い勧進帳」迄見せ場の多い作品だが、菊之助の美しい義経三津五郎の迫力有る弁慶が素晴らしい。

特に三津五郎丈の弁慶は、通常の「勧進帳」の弁慶とは異なり、特に主君を逃がす為に泣いて安宅の関の番兵を騙したりした後の最後の場面で、撥ねた番兵達の首を大盥で芋を洗う様にかき混ぜる「芋洗い」のシーンは、残酷なのに、明るい色彩の為に何故かポップで楽しい場面と為っている。

また、弁慶のそのパンキー且つファンキーな衣装は、まるで「『草間』か『ファンカデリック』か?」と云った感じで(笑)、足元も赤のラインの入ったナイキチックなスニーカーを履いている様にしか見えず(実際は、血管が浮き出た様に見せる「靴下」なのだそうだ)、「これぞ歌舞伎!」な演目で有った!

そして夜は、歌舞伎役者M丈と落語家B師匠、禅僧と石屋さんとの5人で、向島の料亭で忘年宴会。

実は、その前日も落語家の方を含めた数人で食事をしたので、筆者の人生で初めて2日連続で落語家の方に会う事と為ったのだが、ご縁とは本当に面白い。

向島の花街は、最近の不景気で店も大分減った様だが、この晩の「N」は料理も美味しく、芸妓さんも皆綺麗で、その江戸情緒溢れる雰囲気は祇園とは全く異なる所謂「気風」の良い物で、これまた格別の趣が有る。

そんな中、夜中まで盛り上がった話は、M丈と大親友だった勘三郎さんの思い出や歌舞伎に関する蘊蓄から、B丈が大好きだと云うお城やアート、落語や文化教育迄、当に笑いと教養溢れる話題の数々で、全く飽きない。

M丈から聞いた話の中で、一番驚いたのは「三日定法」…これは何かと云うと、役者が急に休演する事に為ると、座としては当然代役を立てる事に為る訳だが、それは何時でも「3日」単位なのだそうだ。

そして驚く事に、11時から昼の部が始まるにも関わらず、その日の朝に頼まれる事も有るそうで、前に演った事の有る役ならいざ知らず、全く始めての役もこなさねばならないと云う…今それだけ立役が少ないのだろうが、何と厳しい世界なのだろう!

また、来年役者50周年を迎えるM丈は、今迄何とたったの1日も休んだ事が無いそうで、それが故に代役をこなす事も多かったらしいが、毎回勉強になると仰って居た…やはり何事も、体が資本なのだ。

そして食事と酒も良い加減と為ると、芸者・芸妓さん達に拠る唄と踊りが始まったが、踊りの家元の前で演奏し踊らねば為らない芸妓さん達は、流石に緊張が隠せない…しかし「吉原雀」等の出来は中々で、皆からは拍手喝采、酒宴に彩りを添えた。

楽しい時は早く過ぎ、翌日も舞台の有るM丈を送り出し、解散。帰り掛けには、B師匠からクリスマス・イヴに鈴本演芸場で行われる「芝浜」にご招待を頂いた…今から楽しみである!

酒宴の後は谷中の禅堂に寄って、住職とサシで深夜の清談し、結局クサマヨイが時差ボケで撃沈していた家に戻ったのは1時半過ぎと為ったが、しかし何とも楽しき「向島の夜」と為りました!