「ジングル・ドージョージ・ベル」、或いは「和の聖誕祭」。

ここ数日、世の中はクリスマス一色だった…。

しかし我々の様に、ニューヨーク在住の日本人がこの時期の日本に居ると、クリスマスに「和」を求めてしまいたく為るのは、一体何故だろう?(笑)

と云う事で、今年のクリスマス・イヴは、49年間の筆者の人生で恐らくは最も忙しく、最も「和」なイヴと為ったので、今日はその「和の聖誕祭」を時系列的に記してみよう。

24日の朝は7時半に起き、1人で9時過ぎに先ず向かったのは虎ノ門の「大橋茶寮」…父の代からご縁の有る、元裏千家東京道場の石田宗雅先生が濃茶席を担当する茶会、「葵會」で有った。

この「大橋茶寮」は、当に都会のオアシスと呼びたくなる程静かな、嘗て政治家や財界人が利用した元料亭で、その趣ある佇まいが素晴らしい。そして寒風の中やっと入った濃茶席では、何と人生2度目の正客を命ぜられ(拙ダイアリー:「初めての『正客』@『今冥途』」参照)、再びドギマギしながら黒楽で濃茶を頂き、その後義理の叔父のビッグな茶碗が出て来た偶然にビックリしながらも、何とかイヴの日の最初の「お勤め」を無事果たす。

そして「お茶」の次に控えしは「落語」…虎ノ門を後にして向かったのは、上野の鈴本演芸場で有った。

先日或る会でご一緒した金原亭馬生師匠が出演するとの事で、ご招待を受けたこの日の寄席の目玉は落語家達が役者をする「鹿芝居」だったが、時間の都合で落語だけを聞く事に。が、その馬生師匠の落語は何と「猫の皿」で、デパートの柿右衛門展・即売会のフリから始まった噺は、実際に骨董を扱う筆者も大爆笑!…馬生師匠、流石の名演で有った。

「猫の皿」が終わると、師匠自身に拠る粋な座敷踊りを経て、今度は「獅子舞」。来年の幸運を祈って、クサマヨイ共々獅子に頭を噛んで貰う…これで筆者の頭も、来年は少しはマシに為るかも知れない(笑)。

獅子舞に頭を良くして貰い、上野を後にすると、今度は千駄ヶ谷国立能楽堂へ「第五回 広忠の会」を観に。

能楽堂に着くと、「坂本教授」を始め知人友人が来ていて、ご挨拶頻り。この日の会は、能楽囃子方大鼓葛野流亀井広忠師の「亀井広忠舞台生活三十周年記念」(昼の部)と「八世観世銕之丞静雪十三回忌追善」(夜の部)と題された1日2回公演と為って居て、昼の部は略式五流能の形式を取り、能は観世宗家に拠る「鸚鵡小町」で有った…宗家の「鸚鵡小町」、観たかった(涙)。

さてこの日、我々がお邪魔した夜の部だが、観世銕之丞師と淳夫師親子に拠る舞囃子「乱 双之舞」から始まり、続くは「三読物」と呼ばれる一調三題…即ち梅若玄祥師の「勧進帳」、観世喜正師の「起請文」、そして大槻文蔵師の「願書」で、中でも玄祥師の「勧進帳」は本当に、本当に、素晴らしかった!

そして、休憩を挟んでの大トリは、片山九郎右衛門師の「道成寺」。考えてみれば、クリスマス・イヴの晩に「ベル」(鐘)の登場する演目を持って来るとは、当に「モーシュー・ジングル・『ドージョージ』・ベル」…洒落が効いているでは無いか!(笑)

さて、人生でもう何度観たか分からない「道成寺」だが(20回は観ているだろう)、この曲の持つ独特の緊張感は、囃子方が舞台に入って来た時から始まり、狂言方に拠る鐘の準備、「鐘後見」に拠る鐘の吊り上げが終わり、小鼓の最初の掛声と一打の響きで最初の「頂点」を迎える。

宗家大倉源次郎師のこの日の最初の「一打」は誠に驚くべき物で、能楽堂を一瞬の内に桜の息吹でムンムンする道成寺の境内に変えてしまった、嘗て聴いた事の無い程の恐るべき一打で、これから起こる事件を予兆させるに余り有る物だった。

そうして始まった「道成寺」。藤田六郎兵衛師の笛、前川光範師の太鼓、そして何とも気合が入り、且つ繊細な広忠師の最高の出来の大鼓と、源次郎師のこれも気合十二分の小鼓(特に「乱拍子」!)…完璧なる囃子方の、完璧なるコンビネーションが冴えに冴えた「道成寺」でした。

公演後は、広忠師と源次郎師を楽屋に訪ねてご挨拶をし、その後は元女流能楽師のMさんやかいちやう等の友人達と、行き付けの青山のイタリアン「D」で楽しいクリスマス・ディナーを楽しんだ。

翌クリスマス・デイは、仕事数件を昼間にこなし、夜はかいちやう宅での「『聖夜茶会』&忘年会」へ。

20名程の茶人、大学教授、美術館関係者、美術商、クリエイター等が集まったが、茶室には数人ずつ分けかれて入り、遠くにクリスマス・ソングを聴きながら、燭台を灯した暗い茶室で亭主や連客と1年を回顧しながら頂く一碗のお茶は、また格別で有る。

お茶の後は、無礼講の忘年会へと場は変わり大盛り上がりと為ったが、年の瀬の「聖なる茶」は、本当に色々有った筆者の一年の「垢」を、完璧に落としてくれた。

こうして、2日間に渡る筆者の「和の聖誕祭」はお終い…そして今年も、残り後6日で有る。