「無始無終」。

成田屋が検査入院したらしい。

甚だ心配なニュースだが、無事を祈るしかない。勘三郎を失い、玉三郎は体力が落ち(もう「娘道成寺」を、ひと月公演の間踊れない)、ここで団十郎が倒れたら歌舞伎は一体どうなって仕舞うのだろうか。新歌舞伎座のオープンに団十郎の「顔」は絶対に必要だ…しっかり静養して、近い将来元気な顔を見せて貰える様、心より願って居る。

さて、分かりやすく云えば「今の彼女と上手く行かない」と云って、3年前に「僕達、もうダメだね」と振った前カノに戻った。

しかし前カノに戻ってみたら、その彼女は3年目と同じ処か、より性格が悪く為って居た…と云うのが、今回の選挙結果では無いか(笑)。「別れたら次の人」こそが最も前向きな姿勢だと思うが、今回国民が出した結果は後ろ向きも甚だしい。

そんな怒りと絶望の収まらない侭、今は亡き政治思想家Y先生の有能な秘書だったEさん、同士K社長と共に訪ねたのは、沼津の松蔭寺で有る。

松蔭寺は、天祥和尚が東海道五十三次の「原」宿に弘安二年(1279)開山、その後慶安年間(1648頃)に再建されて妙心寺派に属し(現在は「白隠宗」総本山)、享保二年(1717)に白隠慧鶴が第五代住職と為った、白隠禅師所縁の寺だ。

さて今週の土曜日から、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムに於いて、「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」が開催される(→http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html)。そして、前にも此処に予告したが、筆者は来年2月9日(土)午後3時半-5時、朝日カルチャーセンター新宿に於いて、「渋谷の『白隠』と海を渡った『白隠』」と題された展覧会関連講座を実施する(詳しくは→http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=188251&userflg=0)。

自民党が大勝した選挙の翌日に、同士K社長やEさんとY先生所縁の松蔭寺を訪ねる事に為ったのも何かの因縁、そして筆者が白隠さんに就いて話す事に為ったのも、何かの縁。

縁に引き寄せられて、雨の東京から車で向かった沼津だったが、筆者が車中で予言した通り、松蔭寺に着く頃には雨は上がり、薄らと陽の光さえ差し始めていた。筆者が神社仏閣に大事な用で行く時には、降っていた雨は「必ず」上がるからで、こんな事からも筆者の日頃の行いの良さが伺えるだろう(笑)。

松蔭寺に着くと、先ずは白隠さんのお墓に墓参。白隠さんのお墓は、戒名も何も全く刻まれていない、3つ並ぶ「角の無い」墓石の内の真ん中に在り、持参した線香を焚いて、今この場に自分が居るご縁に感謝する。

本堂に向かうと宮本住職が我々を迎えて下さり、客間に通され改めてご挨拶を済ませると、早速Y先生の思い出や「白隠展」、戦後ソ連から北朝鮮領に抑留され、そこで死に埋められた数千人の日本人の供養の為に住職が訪れた北朝鮮のお話等を、Y先生が大好きだった釜揚げうどんを頂きながら伺う…ハッキリしたご住職のお話は大変面白く、勉強に為った。

食後は白隠堂をご案内頂き、「自刻」との伝来も有る木造白隠坐像を拝見…黒く煤けたお顔に、ギラッと光る、斜視気味のギョロ目!まるで白隠の描く達磨其の物で、「白隠さんの描いた達磨像は、全て『自画像』では無いか?」と思った程だ。

また帰りがけには、境内の松に掛けられた「擂鉢」のお話を伺う。

即ち、備前池田侯が参勤交代の折に松蔭寺に立ち寄り清談された後、白隠禅師に何か欲しい物はないかと喜捨を申し出ると、当時白隠の名声を聞きつけて多くの禅僧が日本各地から集まり、食料に困っていたにも関わらず、白隠は「擂鉢を壊してしまったので、1つ贈って下さい」と伝えた。

池田侯は禅師の高潔さに感動し、地元備前焼の大きな擂鉢を数個作らせ届けると、白隠はその内の1つを、雨や潮風で枯れない様に境内の松の折れた枝に掛けたと云う…白隠の絵画にも擂鉢の絵が多いのは、その理由からだろう。

さてこの逸話は、今残されている白隠画の数の多さを当に証明する。白隠があれだけの作品を描いた理由には、禅の教えを広める為と云う事も有ったが、もう一つのより大きな目的は「食う為」で有った。

有力商人の檀家からの報酬や、村人からの一握りの米を得る為で、それは、白隠の禅僧としての名声を聞き及び、その下で修行を希望し全国から集まった、一時期700人を超す禅僧を養う為だったからだ。

どんなにお経を覚え、悟った顔をしても、食わねば生きて行けない。そして生きていなければ、悟り等到底開く事等出来ない…当に「動中工夫勝静中百千億倍」(どうちゅうのくふうは せいちゅうにまさること ひゃくせんおくばい)の教えの実践が、白隠の作品数の多さを証明しているので有る。

帰りがけに住職にご挨拶した時に、ずっと気に為って居た質問をしてみた。それは白隠さんの「卵塔」と呼ばれる墓石は、何故あんな形をしているのかと云う事だった。

宮本住職はニッコリと微笑んで、「卵には角が有りませんね…何処から指で辿っても、ぶつかる所が無く、終わる事なく永遠に回り続ける。卵は円と同じで、始まりも無く終わりも無い。これが答えです」とお答えに為られた。

「無始無終」。

我欲と金に塗れた政治を変える為に生涯を賭したY先生が、松蔭寺を訪ねていた理由は、そう云う事だったのかも知れない。

選挙の翌日、日本の将来を憂慮し危惧する気分だった筆者は、禅の精神の清らかさに新たなる勇気を与えられ、再び小雨となった中、お土産に頂いたお味噌を抱えて、帰京の道を急いだので有った。