ホセの喪失。

僕が毎朝、ロックフェラー・センターに在るオフィス迄歩きながら眺める風景は、此処マンハッタンを縮図にした様な街並みだ。

古い武器庫を改造したアパートを出ると、先ずはハドソン河近くを旋回する鴎に挨拶をし、多国籍の小さなレストランが並ぶ、「ヘルズ・キッチン」と呼ばれる地区の通りで店を開いている黒人の花屋に声を掛け、通りの幾つかを過ぎると、今度はブロードウェイを挟んだ所謂「シアター・ディストリクト」と呼ばれる区域に入る。

その中心地、タイムズ・スクエアには朝から観光客の姿が見えるが、夜程の混雑は無く、未だ歓楽的濃密な空気には為って居ない。そしてタイムズ・スクエアを越えて、46丁目を東に入ると北側に教会が在り、その教会と隣のホテルの間の小さな階段に、何時もホセは座っていた。

その「ホセ」と云う名は、彼が如何にもメキシコ人に見えたと云う、唯それだけの理由で僕が勝手に付けたので、実は全く信憑性が無い。でも、彼の陽に焼けたルックスや、中年に差し掛かったと思われる年齢、その小柄な体格の仕草や雰囲気からして、何故か「ホセ」と云う名前以外思い付かなかったからだ。

ホセが座る階段が有る教会の扉は、この世の全ての人を招き入れようと朝から開け放たれて居るが、毎朝その階段に腰掛けてパンを齧ったり、コーヒーを啜ったりしているホセは全くの無表情で、誰にも何も媚びる所が無い。そして彼のインディオらしき顔は、見様に拠っては何とも哲学的で、その厳しい眼差しは何時も何処か遠くを見ている様で有った。

僕は毎朝、其処でホセに会う・・・が、彼を此処で数年前に発見してから、言葉処か、唯の一度も挨拶すら交わした事が無い。

だからその意味では、ホセは僕の友人でも知人でも無いのだが、人の関係性、特に一方的な関係性とは実に不思議な物で、1年中毎朝、晴れの日も雨の日も、風の日も雪の日も、同じ時間、同じ場所で、暑い日はTシャツ姿で、寒い日はダウンを着て佇むホセに、僕は得も云われぬ親近感、いや或る種の畏敬の念を抱いていた。

365日、決められた時間に同じ仕事をするには、恐るべき忍耐が必要だ。そして、ニューヨークと云う街で生きて行くのにも、その忍耐力が極めて必要とされる。

ホセが教会の仕事をしていたのか、はたまた隣のホテルの仕事をしていたかは判らないが、彼の顔に顕れていた、街と仕事に対するずば抜けた忍耐力と、それに対する諦念らしき色が僕の心を揺さぶっていたのだ。

そして、嫌な事が有って落ち込んでいたり、機嫌が悪かったり、天候に悪態を吐いたりしたい朝も、赤の他人で有るホセの、何時も無表情に座り、食べ飲んで、遠くを見つめて居る哲学的な顔に、僕は自然と自省を促されるのだった。

しかし年末年始を日本で過ごした僕が、今年最初の出勤日と為った寒い朝、46丁目を通った時、ホセの姿はもう其処には無かった。

僕は激しく動揺し、辺りを見渡し、協会やホテルの中を覗き込んだりもしたが、何年もの間、同じ時間、同じ場所に居た人間が、その時間近所のそれ以外の場所に居る筈も無い。

それからと云う物、毎朝同じ時間に46丁目を通ってホセを探したが、何時もホセが座って居たあの階段には、数人のアミーゴが屯して居るだけで、やはりホセの姿は無い…ホセは故郷に帰ったか、それとも病気にでも為ったのだろうか?

この何年かの間、一言でも声を掛けて居たら…そう思わない事も無いが、ホセは所詮見知らぬ人だった。しかし見知らぬ人でも、居なくなった途端に大きな喪失感が芽生えるのは、一体何故なのだろう…。

ホセを失った僕の毎朝。

その朝が来ると、僕は元武器庫のアパートを出て、鴎に挨拶をし、黒人の花屋に手を振り、タイムズ・スクエアを抜け、そして誰も僕を待って居ない46丁目を一人ぼっちで歩く。

最初から誰も待っては居なかった道を。


−筆者に拠るレクチャーの開催告知−

日時:2013年2月9日(土)午後3時半-5時

場所:朝日カルチャーセンター新宿

講演タイトル:「渋谷の『白隠』と海を渡った『白隠』」

講座サイト:http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=188251&userflg=0

展覧会サイト:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_hakuin.html

奮ってご参加下さい!