「理不尽な死」:Mozart's "Requiem"@Avery Fisher Hall.

さぁ、もう直ぐクリスマスだ!

クリスマス・ソングと共に、既にテレビから聞こえるデパートのセール告知CM(サンクスギヴィング後だと、クリスマスとの間隔が短過ぎて儲からないかららしい)は聞こえて居ても、それでも未だ「気が早い!」と思った特にニューヨーク在住の人は、現実を直視して居ない。

何故なら一昨日金曜日、毎年恒例の「クリスマス・ツリー」がロックフェラー・センターに到着し、既に何時ものスケートリンクの上に鎮座ましまして居るからだ!公式にツリーが飾られ、公開されるのは来月4日との事…ニューヨークのクリスマスは、もう直ぐ其処なので有る(マズいなぁ…一体何が?:笑)。

そんな今日は、お知らせから。

ロバート・ジェイムズ・ウォーラーの大ベストセラー小説「マディソン郡の橋」(クリント・イーストウッドメリル・ストリープで映画化)で一躍有名に為ったウィスコンシン州マディソンに、個性有るコレクションと展覧会で知られる「Chazen Museum of Art」が在るのだが、そのChazen Museum of Artで12月13日から来年2月16日迄、何と「Ikeda Manabu and Tenmyoya Hisashi」(→http://www.chazen.wisc.edu/visit/events-calendar/event/ikeda-manabu-and-tenmyouya-hisashi/)と云う展覧会が開かれる。

この展覧会は、現代美術家池田学と天明屋尚の作品がChazen Museum of Artの「パーマネント・コレクション」に最近加わった事を記念する企画で、その新収蔵品以外にも両アーティストの作品を集めて開催されると云う、アメリカ初の二人展である。このマディソンと云う所は決して行き易い所では無いのだが、僭越ながら筆者も本展に小品を貸して居る事も有って、是非観に行きたい!

そしてこれを切っ掛けに、村上・奈良・草間・杉本に止まらず、日本の若手現代美術家の作品がもっとアメリカの美術館で紹介される様に為って欲しい。

と云う事で、今日も先ずは現代美術から…今週が「現代美術ウィーク」と云う事も有って、今週末は派手なギャラリー・オープニングの多かったチェルシーヘ。

先ず訪れたのはPace Gallery…Paceではカシミール生まれのアーティスト、Raqib Shawの展覧会「Paradise Lost」を開催。「盆栽」的立体作品はウームと云った感じだったが、神話等をモティーフとして金や七宝、色石等を象嵌した豪華絢爛で装飾的な絵画の方は、何方かと云うと工芸寄りかも知れないが、非常に面白い。

次に向かったのは、François-Xavier Lalanneが10番街のガソリンスタンドに羊をインストールした「Sheep Station」も大好評なギャラリスト、Paul Kasminで開催中の「Brancusi in New York 1913-2013」。

このショウはブランクーシが1913年に5点の作品を展示した、「ニューヨーク・アーモリー・ショウ」デビューからの100周年を記念する物で、全てエステイト・コレクションからの出展。5点のエディション物のブロンズと6点の写真作品が展示されているが、ブロンズ作品の年代には作家の死後の年代が付いている(例えば「Le Nouveau Né」の年代は、「1920-2003」と表記されて居る)ので、再制作作品なのだろう…その場に一緒に居た友人が「洗面所に合いそうだ」と云って居たが、ピカピカ過ぎて何と無く「味」に欠けて居たので、それも妙に頷けた。

そしてこの秋の本命David Zwirnerでは、27点の新作(!)とミラー・ルーム、ヴィデオ・アート迄を擁しての大規模な草間展「Yayoi Kusama: I Who have Arrived in Heaven」が、アーティスト本人も来米して(!!)始まった。

この展覧会、お馴染みの絵画やスカルプチャーは兎も角、LEDライトを駆使したミラー・ルーム「Infinity Mirrored Room-The Souls of Millions of Light」が中々良かったのだが、しかし何しろ凄かったのは、草間本人が出演し歌を歌うヴィデオ作品「Manhattan Suicide Addict」で、何と云うかもうアートの範疇を超えて居て、筆者には到底理解出来ない(笑)。

そんな「コンテンポラリー」気分の中、気分転換にマヨンセと行ったのは、リンカーン・センター「アヴェリー・フィッシャー・ホール」での、ニューヨーク・フィルのコンサート。この日の演目は、その「コンテンポラリー」気分とは正反対の「クラシック」極まりないバッハ、ヘンデル、そしてモーツァルトの声楽曲だが、何と云っても目玉は最後の演目「レクイエム」で有る!

知った顔もチラホラ見えた超満員の会場でのこの晩最初の演目は、バッハの「カンタータ 第51番:すべての地にて歓呼して神を迎えよ」。トランペットがフィーチャーされ、ソプラノが約20分間も歌い続けばならないので、歌手に取っては大変な曲だが、この日のスェーデン人ソプラノ、ミア・ペルソンの歌がイマイチも良い所で、ガックリ…2曲目のヘンデルのオラトリオ、「サムソン」からの「輝けるセラフ達よ」も同様でモヤモヤする。

そしてインターミッションの後は、愈々お目当て、モーツァルトの「レクイエム」。

筆者に取ってこの「レクイエム」と云えば、何と云っても大学生時代に観たミロス・フォアマン監督のアカデミー作品賞受賞作「アマデウス」。素晴らしい脚本や、トム・ハルス演じるモーツァルト(ハルスがモーツァルト肖像画にそっくりで驚く!)とマーリー・エイブラハムのサリエリの素晴らしい演技、そして当然の事ながら全編に流れるモーツァルトや珠玉の名曲達、例えば「交響曲第25番」や「魔笛」、ベルゴレージの「スターバト・マーテル」やこの「レクイエム」に魅了されて仕舞い、その後もう何百回聴いたか分からない。

さてこの日の「レクイエム」、カナダ人指揮者ラバディがこれまたソプラノと同じくイマイチでガックリ…が、メゾ・ソプラノのステファニー・ブライスと、これがNYフィルデビューと云うテノールフレデリック・アントゥンが素晴らしく、幾許か機嫌を直したのだが、こんな「不完全」だったパフォーマンスでも、久し振りに「レクイエム」を生で聴いた50歳男にこの名曲に就いて考えさせるには充分だった。

ご存知の通りこの「レクイエム」は、モーツァルト35歳時の絶筆で、未完成の侭遺された。そしてこの「レクイエム」の中で、モーツァルトが自分自身で完成させたのは第1曲(「永遠の安息」)だけで、残りは弟子のジュースマイヤーの補筆に拠る物らしいから、この「レクイエム」と云う曲は、絵画の世界で云えば所謂「Attributed to Mozart」な作品。

…にも関わらず、この「レクイエム」が素晴らしいのは、偏にモーツァルトが放つ「神への疑問」、つまり今自分に起こりつつ有る「早過ぎる死」に対する理不尽な想いと、「神よ、未だ若く才能の有る私に、何故こんな仕打ちをするのですか?」と云う強い反発と絶望的な問い、そして最終的に死を受け入れざるを得ない諦念が鏤められて居るからだ。

そしてこの点こそが、本作がヴェルディフォーレのそれと共に「三大レクイエム」と呼ばれながらも、趣を異にする所以なのだと思う。

若き天才作曲家が一世を風靡した後落ちぶれ、35歳にして自らの葬送ミサ曲を書き、書きながら「何故だ?」と苦しみもがきながらも、最終的には選択の余地等無い「理不尽な死」を受け入れざるを得ない生涯…。

この日のレクイエムからは、自身に迫った「死」に対するモーツァルトの恐怖、そしてその「理不尽な死」に対する葛藤と、それを彼に強いた神に対する彼の強烈な「反発」を、ひしひしと感じて仕舞ったのだが、それは己の年の所為だったか…。


◎筆者に拠るレクチャーのお知らせ(愈々、今度の土曜日です!)

●「特別展 京都 洛中洛外図と障壁画の美ー里帰りした龍安寺襖絵をめぐって」

日時:2013年11月16日(土):15:30-17:00

場所:朝日カルチャーセンター新宿教室

サイト:http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=220110&userflg=0

問い合わせ:朝日カルチャーセンター新宿教室(03-3344-1941)迄。