自然と人に就いて考えた、雪の日の「初釜」。

本当に寒かったニューヨークだが、寒さも漸く峠を越え、この週末は摂氏13度と暖かくも雨模様。

そんな金曜日は、マヨンセと裏千家ニューヨーク出張所の「初釜」に出席した。

朝起きると、外は雪…「雪の日に茶事をせぬは」と云うが、実際ニューヨークでお茶の日に雪が降ると、道は渋滞してタクシーを拾うのも侭ならず、特に女性は和服での移動が難しく為るので、風流とは云い難い。

しかし、そんな不便ですら「風流」と思うのが数寄者の心得…何とか捕まえたタクシーを降り、そぼそぼと歩いてアッパー・イーストサイドの裏千家茶の湯センターに着くと、雪模様の所為か客の殆どは未だ着て居らず、我々は二番乗りで有った。

さて、今年の初釜のメンバーはマーゴさんが正客、相客に草賀ニューヨーク総領事夫妻、桜井ジャパンソサエティー理事長夫妻、茶の湯ソサエティ会長のグラント夫妻、茶人ダンジガー氏、嶋野栄道老師、我ら地獄夫妻等の総勢20名。

待合で新年の挨拶を交わし、客同士お互いの無事を慶び合った後は(毎年、初釜でしか会わない人が居るのも面白い)、愈々席入り。床には卒寿と年紀された鵬雲斎大宗匠に拠る「山呼萬歳声」(山は呼ぶ萬歳[ばんぜい]の声)のお目出度い軸が掛かり、昆布の正月飾りが置かれ、如何にも「初釜」の雰囲気で気が引き締まる。

弘田先生のご挨拶に続き、炭手前が始まり、そろそろとお茶が始まった。

先ずは御節の点心が供され、その後酒、雑煮椀、八寸が出されると、お菓子は正月恒例の花弁餅…此処での花弁餅は、もう何年も裏千家の外国人の生徒さんが作って居るのだが、和菓子屋の物かと思う程美味しい。

点心を頂く間、お隣に座られた嶋野老師と、老師が修行された龍澤寺や全生庵の話をして居たが、何時の間にか玄峰老師、フィクサーと云われたT氏やY氏の話に花が咲き、終には如何に今の日本の政財界に大物が居ないかと云う話に為る。

つい先日、児玉誉士夫に関する本を読了したばかりだった事と(拙ダイアリー:「極寒中の濫読日誌」参照)、今現在中島岳志著「血盟団事件」(文藝春秋)を読んでいる処だったので、余りのタイミングに少々驚いたが、世の中はそんなシンクロニシティに溢れて居る物だし、そう云う時こそがその事柄を真剣に考える絶好の機会なので、「そうか」と妙に納得する。

そして中立を挟んで、愈々濃茶が始まった。

湯も良い加減に煮立ち、松籟も極めて耳に心地良い。そして九代大樋長左衛門の黒茶碗に濃茶が練られ、正客の前に置かれる。

マーゴさんが茶碗を取り上げ一口啜ると、「オイシイ!」の一言。外国人茶人のお茶を飲んでの表現は、素直で好ましいと何時も思う。「結構なお点前で…」と云った、染み染みとした奥ゆかしさは無いかも知れないが、特に濃茶の席では点てた方も、正客が最初の一口を啜るのを固唾を飲んで見守っている相客も、その素直な一言で何れだけホッとする事か!(笑)

その後皆に濃茶が呈され、回し飲み終わると、続いて直ぐに薄茶と為る。

緊張が少し緩んだ和気藹々な雰囲気の中で、午年に因んだ馬を型取った干菓子を頂き、お薄を頂くと、今年の初釜も無事終了。

さて、この日のお軸「山呼萬歳声」は、漢書武帝記からの言葉。前漢の時代、元封元年(B.C.110)正月元旦、天子武帝は多くの臣下を率いて嵩山と云う中国五岳の一に登り、自ら祭壇を作って、山の神に天下泰平・国家鎮護を祈願する。

それを見た臣下達は感動し、天子の武運長久を願い歓呼の声を上げるが、それが五岳に木霊し「万歳、万歳、万歳」と三度聞こえたと云う。この故事から目出度い時には「万歳」と呼ぶ様に為ったのだが、禅では臣下の声が木霊したと云うよりも、山そのものが「万歳」と呼ぶと考える。

それは、山の様に「動かなく雄大として、堂々として居る」大自然の姿こそが悟りの境地、仏の真の姿だと考えるからなのだそうだ。

お茶は、「自然」や「季節」と切っても切り離せない間柄に有る。この雪の初釜の日にも、眼に入った露地に敷かれた「敷松葉」や、掛花入の時の花、茶杓茶筅の竹…お茶はどんな大都会に居ても、人が自然の中で生きている事を思い出させて呉れる。

そしてそれと同時に思ったのは、老師との会話で出て来たY氏が終生座右の銘とし、筆者も若き頃読んで涙した「南洲遺訓」に在る、

「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ者は、始末に困る者也。この始末に困る人ならでは、困難を共にし国家の大業は為し得ぬ也」

と云った、「萬歳」を呼ぶ「山」の様な、真のリーダーが今の日本には皆無で有ると云う事だった。

清々しいお茶と雪、お軸と老師との偶然の会話…悠久な自然と人間の在り方に就いて考え、新年の決意を新たにした初釜でした。