「初釜」Part.II、そして「文芸誌」の愉しみ。

先ずは大ニュース!

ニューヨーク・タイムズに拠ると(→http://www.nytimes.com/2014/01/16/arts/design/buyer-of-142-4-million-bacon-painting-identified-as-elaine-wynn.html?ref=arts&_r=0)、昨年11月にクリスティーズで売られ、オークション史上世界最高額を記録したベーコン(拙ダイアリー:「『戦後美術』が生んだ世界新記録:ベーコンとフロイドに万歳!」参照)のバイヤーが、カジノ王スティーヴ・ウィン(拙ダイアリー:「破壊された『アート』と、破壊した『人』」参照)の元妻、エレイン・ウィンだと判明したとの事。

ロサンジェルス・カウンティ美術館のボードを務めるエレインは、ウィンと2010年に離婚して居るから、その慰謝料で?…何れにしても流石の一言だが、当該作品は現在ポートランド美術館で展示中で有る。

さて寒い冬には、見込みの深い茶碗で飲む抹茶が心を和ます。

今朝もたねやの「栗月下」をお菓子に、湯気の上がる黒楽茶碗で一服頂いたのだが、その茶碗の作者の周囲が俄かに騒がしくなって来た…来月行われる都知事選への立候補を表明した、細川護煕元首相の事だ。

細川氏小泉純一郎氏との首相経験者コンビで、「反原発」を核に闘うらしい。都知事選で「反原発」と云うのも少々ズレて居る様な気もするが、しかしこれから都政に関する政策も出して来るだろうから、注目してみたい。また小泉氏の自民党への当て付けは、息子をして「やっぱり」と云わしめるのだから、首相当時の氏は好きでなかった筆者でも、何か痛快な気もする。そして細川氏位芸術教養に溢れた人が都知事に為り、経済の専門家等をブレーンに置けば、それはそれで面白く為るかも知れない。

そしてもう1点重要なのは、国政に大きな影響力を持つ都政に於いても、自民党一党独裁政治を阻止する誰かが必要だと云う事で、それは民主主義の根底関わるが故に、今回の細川氏が「波紋を呼ぶ石」に為るべく期待したい。

が、それに付けても毎度の事ながら強く感じるのは「人材不足」…何も70過ぎの首相までやった人が今更出て来て都知事をやるよりも、若く情熱の有る人の方が、オリンピックを迎えるこの街には相応しいと思うのに、何せ若い立候補者が居ない!

そんな遣る方無い気持ちは、月曜の夜、チェルシーに在る現代美術家杉本博司氏の茶室「今冥途」で開催された、ニューヨーク武者小路千家「随縁会」の初釜で吹き飛んだ。

寒さも緩んだ夜の8時前、待合と為って居る茶室下のステュディオで待って居ると、メトロポリタン美術館アンディ・ウォーホル財団からのゲスト等が三々五々やって来て、お互いに挨拶を交わすといざ階上の「今冥途」へ。

先ず寄付の床を見ると、藤原定信筆と云われる「戸隠切」が掛かり、その下には「戸隠切」の一字一字に描かれた宝塔に因み、杉本氏作のクリスタルの「海景五輪塔」が置かれて居る。そして本床には大きなサイズの法隆寺大宝蔵殿「橘夫人念持仏後屏」拓本軸が掛かり、その下には平安期の佛手が…流石の杉本好だ。

床を拝見し終えると、正客の筆者ともう1人外人女性が畳に上がって座り、下の立礼席に残りの客が落ち着く…そしてそこで嬉しいハプニング・アトラクションが有ったのだが、それは「書」が専門のMETのキュレーターJが、突然のご指名にも関わらず「戸隠切」の説明を皆にして呉れた事だ!

そして、そろそろとお茶が始まり、随縁会のメンバーに拠る手作りの美味しいお菓子を頂くと薄茶が点てられたが、その主茶碗に見覚えが!「ウーム、この高麗茶碗で頂くのは初めてだ…」と感慨深く頂戴する。陽の暮れたチェルシーのロフトでの初釜、心休まるひと時でした。

そして此処からが今日の本題。久々に読んだ「文芸誌」の話なのだが、その文芸誌とは「新潮」2月号。

普段文芸誌を滅多に読まないワタクシだが、この「新潮」2月号を態々ミッドタウン・ウエストの紀伊国屋書店で買って迄読みたかったのには理由が有って、それは今号に掲載されている、ここ数年特に気に為って居る「3人」の文章をどうしても読みたかったからだ。

その3人とは平野啓一郎坂口恭平、そして杉本博司…ワクワクしながら先ずは巻頭の、平野啓一郎の「空白を満たしなさい」以来の新作短篇、「透明な迷宮」を読む。

旅先(ブタペスト)で偶然知り合った男女が監禁され、大邸宅での性の宴で強制的に性交をさせられる。翌日一緒に日本に帰る筈だった女は空港に現れず、其の儘男女はその時別れるのだが、帰国後の或る日、その女から男に連絡が入るのだが…と云う物語だ。

ヨーロピアン・ゴシック感溢れる、一種「日蝕」、或いはキューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」を思い出させる(女の友人が「フィデリカ」と云う名前なのも、「アイズ・ワイド・シャット」での性宴での合言葉が「フィデリオ」で有った事を想起させる)冒頭から、後半に掛けての巧みな心理劇へと進む本作は、エロティックな舞台装置にも関わらず、平野独特の気品有る文体で純文学性を見事に保つ。

「透明な迷宮」に蔓延る嫉妬、羨望、不安、懐疑、安堵、恐怖、そして空虚…我々の根底に眠る感情を、「時代」と共に気付かされる名作で有る!

続く坂口恭平の作品は「蝿」。此方は「日記」とも呼べる、或る種の「幻想小説」だが、この作家の文体には得も云われぬ味とスピードが有って、それは作者の「躁」状態時の「単に異常に『素な人格』」の噴出に相違ない。良くも悪しくも考える間も無く、一気読みしてしまう快作だった。

そして、杉本博司の「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」。此方は今年4月から9月迄、パリの「パレ・ド・トウキョウ」で開催される、著者自身の展覧会「Aujourd'hui le monde est mort. Lost human genetic archive」の為のカタログ・ノートだ。

タイトルと為って居る「Aujourd'hui Le monde est mort.」は、1942年の不条理文学の金字塔、カミュ作「異邦人」の有名な冒頭 「Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.(昨日ママが死んだ。若しかしたら昨日だったかも知れない)」から取られて居て、これはフランス人に対する強烈なメッセージと為って居る。

後白河法王が現生浄土の具現を試みた、蓮華王院(三十三間堂)に因んで33話に纏められた、33の職業の末期は、理想主義者、養蜂家、政治家、コンピューター修理会社社長、コンテンポラリー・アーティスト、コメディアン、耽美主義者、漁師、人ゲノム解読者、そして「ラブドール」迄、皮肉に満ち溢れながら、人類の終焉を標榜する。

と云う訳で、三者三様の文章を楽しんだこの「新潮2月号」だったが、実はもう一つ嬉しい作品が有って、それは「東京ヘテロトピア」内の管啓次郎著「神田神保町の清燉獅子頭」だった。

何故なら、この文章が神田神保町駿河台下、住所は神田小川町)の中華料理店「漢陽楼」をテーマにして居るからで、何を隠そう筆者はこの「漢陽楼」の隣で育ったのだった!「漢陽楼」は創業1911(明治44)年、その頃は今の靖国通り沿いの鞄屋「レオ・マカラズヤ」の隣に有ったが、父親の実家が大正時代から小川町に在った事から、筆者が少年の頃は四六時中「漢陽楼」で食事をし、お姉さんと遊んで貰った事も多々有る。

そして何しろこの「漢陽楼」が有名なのは、そもそも神保町には中国人が多く住んでいたのだが、当時19歳だった周恩来もこの「漢陽楼」に日本滞在中に足繁く通い、大好物の「獅子頭」(肉団子スープ)を食べて居たとの記述が「東京滞在日記」(1918)に有るからである。

久し振りに読んだ文芸誌「新潮」。

お目当ての作家の作品は云わずもがなだが、幅広い執筆陣とその豊富かつ贅沢な内容に恐れ入った…そして、また1つ「寒い夜の愉しみ」が増えました!