闘争本能と一体感を生む「オリジナリティ」。

日曜日、ショックなニュースが入って来た…大好きだった俳優フィリップ・シーモア・ホフマンが、注射器を腕に刺した侭、オーヴァー・ドースで1人風呂場で死亡した。未だ46歳だった。

ホフマンは、誰が何と云っても名優だった。彼の演技は「ビッグ・リボウスキ」や「ブギー・ナイツ」、そしてアカデミー主演男優賞を獲った「カポーティ」も素晴らしいが、個人的には何と云っても「Along Came Polly」と「Pirates Radio」(拙ダイアリー:「反重力で行こう!」参照)が大好きだった。

彼の様に、真に個性的でイッちゃってる俳優は本当に貴重だった。ホフマンの冥福を心より祈りたい。

さて、週明けから再び激しいスノー・ストームが襲ったニューヨークだが、先週末土曜は、筆者の「食の盟友」で、ジャズ・ピアニストのH女史のバースデー・ディナーを友人達と…週末出勤を終え、史上初の「スーパー・ボウル」開催で、恐らく1割位は人口が増えた気がするニューヨークの街を擦り抜け、ミッドタウンの中華料理店「C」へと向かう。

特にタイムズ・スクエアの人込みは酷く、年末のカウントダウン並みの大混雑。道を封鎖しての特設放送スタジオや、アトラクション施設に群がる全米からの観戦・観光客達でごった返していたが、ニュースに拠ると、スーパー・ボウルの開催地には、毎年全米からの観戦客と共に、何と「売春婦」も大挙してやって来るので、取り締まる警官も大忙しなのだそうだ(何と無く判る気がする:笑)。しかし個人的には、何故アメリカ人が此処迄「スーパー・ボウル」に熱狂するのか未だに理解に苦しむが、仕方が無い。

何とか着いた「C」も、チャイニーズ・ニュー・イヤーが重なっての大混雑。予約時間も大分過ぎた頃、漸く空いた席に辿り着くと、早速皆で乾杯。そして海月や蒸餃子、スペアリブ等の美味い前菜を食べていたら、店内では華やかな「ライオン・ダンス」が始まり、H女史の赤の服も目出度く同化しつつ、如何にも新年の寿ぎ感一杯…H女史の誕生日も一緒に祝う事が出来、ダブルのお祝いと為る。

その後は、「C」のシグナチャー・ディッシュで有る「グランマルニエプラウン」(通称「海老マヨ」)や北京ダックを頂き、〆は「海鮮麺」。今「〆」と書いたが、賢明な読者のご想像の通り、実際此処で「〆」とは為らず、その後チェルシーの、これも食の盟友Mがオーナーをして居る「T」で、酒やデザートを結構頂き、最終的には全てMからの「バースデー・プレゼント」としてご馳走に為って仕舞った我々…。

H女史とは、何時も一緒に食べ(過ぎ)た後に「懺悔歌」を取り交わす仲なのだが(余りに素晴らしい歌が多いので、何時の日か出版したい位だ:笑)、今年もH女史のご健啖をお祈り申し上げると共に、此処に一首贈らせて頂きたい。


食べぬれば 膨るる腹とは知りながら なほ食べ過ぎる 春の言祝ぎ
新しき年の吉事に孫一詠みける


さてその翌日。上に「熱狂するのが理解出来ない」と書いた「スーパー・ボウル」を、マヨンセとTVで観てみた。

正直を云えば、ハーフ・タイムショウの「ブルーノ・マーズ & レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のライヴがお目当てだったのだが、何を隠そう筆者は子供の頃大のアメフト・ファンで、ルールも大体覚えているし、何しろ「オークランド・レイダース」の大ファンだったのだ!

マーカス・アレンやボー・ジャクソン、ジム・プランケット等の大好きな選手が居たレイダースは、何処か不良っぽい雰囲気が漂っていて、その反抗的且つヒールな感じが堪らなかった。レイダースの「黒に片目海賊」のマークの付いたスタジャンを着て居た事も懐かしいが、何故か或る時からNFLに全く興味を失って仕舞って居たので有る。

それはさておき、今年のスーパー・ボウルは、シアトルの鉄壁ディフェンスにデンバーのオフェンスが手も足も出ず、前半から思ったよりも大差が付いて仕舞い、一寸興醒め。そして迎えたハーフ・タイムショウは、マーズの流石のパフォーマンスと、筆者と同世代の「レッチリ」の奮闘振りに感動したが、今回久し振りに観た「スーパー・ボウル」で思った事が2点程有った。

それは「何故これだけのアメリカ国民が、『スーパー・ボウル』に熱狂するのか」と云う疑問への答え、と迄は行かないが、そのヒント位には為るかも知れない。

先ず1つ目は、アメリカ人の持つ「闘い」への憧憬と必要性で有る。アメリカン・フットボールは、当然アメリカで生まれたゲームで、その生い立ちを筆者は詳しく知らないが、ルールを知れば、それがラグビーやサッカーとは著しく異なり、特に「短期戦略に基づいた」スポーツで有る事が判る。

そもそもアメリカ人は「短期決戦」型のスポーツを好む国民で、アメフトでは「10ヤード行ったら、また始めから」だし、4ダウンで攻守交替。野球でも3アウトで攻守交替の9回戦制、またバスケットボールでの30秒ルールも有る。

これは明らかに、サッカーやラグビーの「45分間ハーフ、攻守交代なし」的なゲーム形式とは根本的に異なり、オリンピックでの成績をみても、アメリカは「100m走」等の短距離をスピードを競う競技では抜群の強さを誇るのに対し、マラソンやサッカー等「時間が短く区切られて居ない、長丁場競技」ではメダルが取れないと云う事実にも、象徴されて居るだろう(もし3日間掛かったりする「クリケット」競技にアメリカ人が出たら、途中棄権するに間違いない:笑)。

その点アメフトは、そのアメリカ的「短距離・瞬発力型」システムの最たるスポーツだが、更にこのゲームには「戦争」を彷彿とさせる要素が、至る所に垣間見える。例えばコーチからクォーター・バック、そしてハドル内で行われるQBからオフェンス・メンバーへの作戦通達等、軍隊組織の命令系統と何も変わらないし、またオフェンス・ディフェンス共に全てのポジションの「役割分担」が、これだけ軍隊の様にハッキリ別れているスポーツも珍しい。

また其処で行われる肉弾戦は、結果「1対1」で有ったりする。そしてこの戦略的且つマッチョな闘いこそ、アメリカの象徴且つ理想では無いか?彼等は、最終的に人間の闘いには「戦略」が必要だと云う事と、その闘いは「1対1」だと云う事を知っているのだ。

もう1点はスーパー・ボウルが、そして全米の観客が持つ、強い「一体感」だ。何時も不思議に思って居たのだが、これだけの多人種国家アメリカが、どうやって国民意識を一体化させられるのか…それはアメフトや野球に代表される様な、「オリジナリティの創出」なのでは無いか。

衆知の様に、この国の歴史は浅い。そこで自分達が世界NO.1になるには、他国や他文化を学ぶのも大事だが、自らの新文化を創り、他国に追随させれば良い…その戦略の一典型がスポーツで有り、その「これは、俺達のスポーツだ!」感が、国民の一体感を生むのだろう。

世界を「戦略」(知恵)のレヴェルでリードするか、或いは「1対1」で闘えるフィジカルな面でリードするのか…アメリカ(&アメリカ人)が常に念頭に置いている、そのどちらにも必要な「闘争本能」と「一体感」の何れをも、今の日本人が持っているとは到底思えない。

日本は今こそ世界をリード出来る、そして国民が「一体感」を持てる様な「ジャパン・オリジナル」を創出せねばならない。そしてそれには「良きリーダー」が必要不可欠と考えさせられた、第48回スーパー・ボウルで有った。