"Incurably romantic."

オークション・ウィークも終わり一息吐いて居る最近、昼は仕事をしながら座骨神経痛の為の鍼治療…。

そして夜はと云うと、前回日本に行った時に家の近所に在る「disk Union Jazz TOKYO」で手に入れた、或る中古CDを良く聴いて癒されて居る。

そのCDとは、ジャズ・ピアニスト菊地雅章(プーさん:拙ダイアリー:「プーさんと、どら焼き」参照)が、1995年にリリースしたピアノ・ソロ・アルバム「Love Song」だ。

プーさんが1人佇む、モノクロームなジャケットもシブいこのアルバムの収録曲は、「In Love in Vain」「Incurably Romantic」「So in Love」「Someday My Prince Will Come」「Stella by Starlight」「The Man I Love」「Only the Lonely」「Love Song」の計8曲。此処には、プーさんのオリジナルは1曲も入って居ない。

然しこのアルバムの魅力は、僕に取って果てし無く、深く、そして時に優しく、哀しい。

何故なら、普段のプーさんの行状からは恐らくは中々理解し難い「ロマンティシズム」や、曲が全てスタンダードで有るが故にそれを演奏するプーさんのテクニック、1音1音に籠められた感情表現の総てが僕の脳髄を直撃し、その後じんわりと浸透して、全身に廻るからだ。

その中でも特に「In Love in Vain」(→http://www.youtube.com/watch?v=c1iL1vA0pxs)や「So in Love」、「Only the Lonely」や「Love Song」は涙無くしては聴けない…何故このピアニストが産み出す「1音」は、こんなにピュアで美しく、切なく響くのだろう?

在り来たりの書き方しか出来ないが、それは恐らくはプーさんが自身の人生で経験して来た、時に優しく、時に壮絶な「Love」の為せる技で、それは彼が嘗て子供の頃、空襲後の焼野原越しに浅草から銀座の服部時計店の時計塔の鉄骨を見た思い出から、若い頃電話口で予告した末に命を絶った友人の事、天才で有るが故に起こって仕舞う周りとの軋轢迄、人生に於ける歓びや哀しみ、希望や絶望をプーさんの「指」が覚えて居るからに違い無い。

このアルバムに収められた珠玉の「love song」を、一体誰が選曲したのかは判らない…が然し、この極限迄研ぎ澄まされたプーさんに拠る「love song」のソロ・ピアノ演奏が、孤高な彼のこの上無く素晴らしい「インプロヴァイゼイション」のプレイに決して引けを取らない演奏と為った理由は、単えにプーさんの曲解釈の独創性と音のピュアリティ、そして彼の人生を代弁する「指」に尽きると思う。

此処に収録された8曲を聴くと、プーさんが「incurably romantic」(不治的にロマンティック)で、多くの「love in vain」(無駄な愛)も経験して来たに違いない事が、身に沁みて分かる。

そしてこのアルバムを最後迄聴いて仕舞った者は、今年75歳に為るプーさんが長い年月で経験して来た「それ等」を共有せざるを得ず、居た堪れなく為ったり、悲しく切なく為ったりして仕舞う…プーさんの音楽は、それ程ストレートで、ピュアで感動的な、世に云う「芸術の極み」なのだ。

この名盤「Love Song」を聴き終わり、溢れ出る涙が乾いて暫くしたら、「Only the lonely」なプーさんを久し振りに訪ねてみようと思う。


PS:プーさんの最近の演奏を添付して置くので、良かったら(→http://m.youtube.com/watch?v=jxmR-A-lssM)。