「道行く人よ、心して/目を留めよ、良く見よ」。

今日本に来て居る…重要な仕事の為の、超短期間滞在の弾丸出張だ。

その仕事の合間を縫って、土曜の夜は久々のかいちゃうとNYから来日中のライターK女史と会食。先ずはかいちゃうの所で、或る歴史的イヴェントに使われた中国絵画の軸と美しい青磁花入を眺めながら、美味しい「洋菓子」で一服頂いた後、代官山の中華「B」に移動し飲茶三昧。

前菜から始まり、蒸し餃子各種やスペアリヴ、XO大根餅やエビマヨ、大好きな水角や叉焼パイ、〆の豚高菜炒飯迄かなり頂いたが、偶に美味しい飲茶を頂くとキリが無くなる程食べて仕舞う…猛省。

さて今日は、今回の超短い滞日中にラッキーにも2つの素晴らしいアートに触れる事が出来たので、その事を記そう。

先ずその一は、昨日久々に観た歌舞伎、「歌舞伎座新開場一周年記念 鳳凰祭四月大歌舞伎」昼公演の内、膵臓癌から復活した坂東三津五郎丈が元気な姿を見せた「寿靫猿 鳴滝八幡宮の場」と、坂田藤十郎が「一世一代」の「お初」を演じた「曽根崎心中」で有る。

写楽好きの原子力研究者、H教授ともバッタリお会いした歌舞伎座場内は、「靫猿」で大和屋が登場すると、割れんばかりの拍手!大和屋は一寸痩せた様に見えたが、足踏みも力が有り、踊りは相変わらずの上手さで、ほとほと感心する。また、この演目では又五郎も大層素晴らしい芸達者振りで有った。

そして近松作の、お馴染み「曽根崎心中」。前置きに「坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候」と有ると云う事は、今年「83歳」に為る山城屋が「19歳」のお初役を演じるのは「これで最後」と云う意味で、これは観て置かねば為らない。

結局、山城屋のお初と翫雀の徳兵衛は流石の出来だったのだが、如何せん余りに斬新で美しかった杉本文楽の「曽根崎心中」が頭に残って居た所為か、82と55の親子が25と19の恋人を演じる「無理」が見えて仕舞い、少々滑稽に思えて困った。

その点、面を掛ける能と人形を遣う文楽の方にアドヴァンテージが有るのは仕方無いが、歌舞伎をこれだけ長く観て居るにも関わらず、初めて持ったこの「違和感」に我ながら驚く…何れにしても、色々な意味で記憶に残る舞台と為った。

そしてもう1つは、国立西洋美術館で開催中の展覧会「非日常からの呼び声 平野啓一郎が選ぶ西洋美術の名品」だ。

此処で、質問…皆さんは美術館や博物館の「常設展」を、何れ位ご覧に為るだろう?平野氏が本展カタログの冒頭で述べて居る様に、美術館に長蛇の列が出来るのは大概「特別展」で、然も外国からの有名コレクションや有名作品の展覧の場合が多い。

其れは日本に住む、特に西洋絵画に興味の有る人に取っての「一期一会」的切迫感や、「皆観てるんだから」的なミーハー感覚迄色々な理由が有るだろうが、一度東博や西美で特別展を開催した際に、「貴方は当館の『常設展』を、今迄何度観た事が有りますか?」と云ったアンケートを取ってみたら面白いと思う。

さてこの展覧会は、その様に一般の人が普段余り触れる事の無い西洋美術館の「所蔵品」を、作家平野啓一郎氏がゲスト・キュレーターとして作品選択・監修をしてリプレゼントした物で、ヨーロッパ文化に詳しい氏が小説家としての視点からコンセプチュアルに絵を語る、と云う試みで有る。

土曜の朝イチに向かった西洋美術館、本展の会場は地下3階。其れ程広くない会場だが、日頃の美術館の展示から隔絶された、何処かコレクターの「地下秘密倉庫」を訪ねて居る様な「プライヴェート感」が溢れる…然もその朝の会場には、幸運にも筆者以外には監視員しか居なかったのだから、尚更で有った。

「幻視」「妄想」「死」「エロティシズム」「彼方への眼差し」「非日常の宿り」の6パートに分かれ、繋がって行く展示は、まるで氏の小説を読んで居るかの様で非常に新鮮。その上、例えば個人的に大好きなデューラーの「騎士と死と悪魔」やムンクの「抱擁」が、そのコンセプトと云う「物語」の「挿絵」として観れると為れば、こんなに贅沢な企画は無い。

そしてその中でも、平野氏の選んだ2作品が、筆者の心を鷲掴みにしたのだが、先ずはヴィルヘルム・ハンマースホイの「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」。

この作品は、何しろフェルメールを思い出させる。作者の眼のフォーカスは、テーブル上の銀の皿に来て居て、タイトルに有る「イーダ」には全く来て居ない…そしてその思想は「カメラ・オブスキュラ」のメタファーと為る。先日ニューヨーク・フィリップスで自作「フェルメール」が64万ドルで売却された、杉本博司氏にも見せたい素晴らしい作品だ。

もう1点は、筆者の思う西美所蔵作品中の最高傑作の一つ、ディーリック・バウツ派の「悲しみの聖母・荊冠のキリスト」。

この余りにもエモーショナルな作品の見所は、各々の顔に描かれた「真っ赤な目」と「涙」だ。そして本作を観る筆者の眼は、彼らの顔から、額に書かれた言葉「道行く人よ、心して/目を留めよ、良く見よ」へと飛び、自分が今身を置いて居る日常から、マリアの息子に対する母の思い、そしてキリストが迎えるで有ろう「死」と云う未来へと飛んで行く。

この展覧会は、綿密な構成で常設作品を「心して/目を留めよ、良く見」るべき作品だと再認させた上で堪能させてくれる、才能溢れる小説家に拠る「ノヴェライズド・キュレーション」とでも呼びたく為る様な、そして普通の展覧会とは一味違った必見の展覧会で有った。

と、感動を引き摺りながら、明日ニューヨークに戻る。