660年前の「ブログ」。

弾丸出張から帰って来てからと云う物、数億単位の大きな仕事の調整の為、雨と暑さ、そして時差ボケの中東奔西走し続けて居たので、流石にバテて来た。

そんな時は「食事」で元気回復するのが、毎度の事ながら僕の流儀(笑)。

最近お世話に為った某美術誌の正副編集長で有るI氏&T女史と、神田の居酒屋「S」で美味しい魚の数々を頂く。肉好きの重要顧客とは、料亭「K」で素晴らしく美味いすき焼き。

また、憂国の同志のIT社長K氏+ベネチア帰りの国際文化機関O氏とは(後に「アジアの女王」も加わった)、珍しく超混みだった某ホテルの「K」で、或いは連載中の雑誌のY編集長&編集W女史とは、新橋の「S」で寿司を堪能。

そして久々に友人と訪れた、中々予約の取れない代官山の激ウマ地中海料理「A」では、鮎やイサキ、スペアリヴ等の、Kシェフのパンチー且つ繊細な超美味しい料理を堪能したり(Kシェフ、無理言ってスミマセンでした!)…あぁ、ビバ・ジャパン!で有る。

そして昨日、久々に晴れた土曜日は、東京美術倶楽部で開催された「Tokyo Antique Fair 2014」にイザ!

行ってみるとそれ程の混雑も無く、ジックリと骨董品を見る事が出来た…訳も無く、知り合いの古美術商達と情報交換に明け暮れる。

然しそんな中、古美術商K君のブースで観た李朝(っぽい?)「竹花入」の味が本当に良く、その上価格も超リーズナブルだったので、自宅用に思わず手が出て仕舞う。うーむ、誰が何と云っても、良い味だ!(笑)

またフェアを観て居た途中には、ヴェニス帰りのかいちゃうと偶然にも連絡が取れ、茶道具の展覧をすると云う下の階で久々の再会を喜ぶと、かいちゃうのご好意で、長次郎二代の端正な黒茶碗や個性的な遠州茶杓、利休消息やケラ判付黒棗等の、利休に纏わる名品達を拝見する…眼福至極で有った。

そして講演会をされるかいちゃうに別れを告げ、京橋に顧客を1人訪ねた後向かったのは、サントリー美術館で開催中の展覧会「徒然草 美術で楽しむ古典文学」。

本展は最近サントリー美術館が購入した、兼好法師(1283頃〜1352頃)の名エッセイ「徒然草」を絵画化した絵巻物を中心に、肉筆本や絵本、屏風等を展示する物だ。

サントリー美術館のこの新収蔵品は、江戸期の絵師海北友雪に拠る絵巻物20巻で、極彩色の長大な作品…が、僕に取ってこの展覧会の魅力は、正直絵画よりも久し振りに読む「徒然草」その物の方だったのだ!

「無常観」文学の極みとして知られるご存知「徒然草」は、「枕草子」「方丈記」と共に日本三大随筆の一と呼ばれるが、その作者で有る兼好法師は宮廷の神祇官の家に生まれた。

兼好は、若い頃は天皇の蔵人を務めた宮廷人で有ったが、20代後半には早々と出家し修行に励んだりしたが、仏道一筋の生涯とは為らず、歌人として、また能筆家としても活躍する。

その兼好の「徒然草」が何時頃書き始められ、書き終わったかは不明で有るが、「徒然草」に書かれた登場人物の官位や世間の出来事から、恐らく50代の初めには書き終えて居たのでは無いかと云われて居て、60代には足利尊氏等にも会ったりして居るらしい。

そんな兼好が付き合った宮廷人や僧侶、足利尊氏等の武士と云った、「クラス」(階級)を超えた付き合いで見た風俗や得た教養、会った人物を鋭く冷静に描きながらも垣間見える「批評精神」、そして其れを表現した、非常にクリアで素直な「名言」に、僕は強く惹かれて仕舞ったのだ!

徒然草」に出て来る名言の数々…例えば、

「万の事も始終こそをかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。」(凡ゆる事は、始まりと終わりが、特に趣深い。男女の恋愛も、唯ひたすら逢う事だけでは無い。)

「一道にも誠に長じぬる人は、みづから明かにその非を知る故に、志常に満たずして、終に物に伐る事なし。」(一つの道に真に精通して居る人は、自分の欠点をはっきりと知って居るから、自己満足せず、結局何も人に自慢しない物だ。)

等々は、現代でも十二分に通用する、人間不変の真理。そして、その有名過ぎる文頭の、

「つれづれなるままに、日暮し、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」(ひとり手持ち無沙汰なので、一日中硯を前にし、心に映っては消える些細な事を、取り止め無く書きつけると、異常な程狂おしい気持ちになる物だ。)

からすると、この「徒然草」は、当に現代人が書く「ブログ」その物では無いか!

僕のヘッポコ・ダイアリーとは比べ様も無いが、兼好法師の「徒然草」は、現代日本人に取って再読必須な「660年前の、超タメに為る『ブログ』」で有る…そんな事を教えられた、エデュケーショナルな展覧会でした。