女が男の服を着る時。

やっと天気が良く為ったが、若しかして今年の梅雨は、此の侭明けて仕舞うのか?…車窓に見る、頭を雲に少し隠した富士山を見ながら、週頭は再び京都に出張。

顧客に会ったり、作品を観るのが勿論出張のメインだが、然し京都では「食」を無視する事は出来ない(我ながら言い訳がましい:笑)。そして今回の「食」のハイライトと云えば、先ずはマヨンセ曰く「世界No.1」の味、祇園新橋「P」の「冷やし担々麺」。

時期的に未だメニューには出て居ないので、頼んで作って貰った辛く冷たい絶品の「冷やし担々麺」は、麺を食べ終わった後に暖かいご飯を注文し、その上に残った挽肉や紅生姜入りの冷辛スープを掛けて頂く…謂わば「冷汁」の如き食物と為る訳だが、これがまた信じられない位に美味いのだ!

夜は夜で、顧客と鱧やグジ(甘鯛)を頂いたり、祇園のゲイのママの店「I」で「あんなに短いサクランボの茎を、一体どうやったら口の中で結べるのだ?」な、Hママの舌技を堪能したりして…相変わらず祇園の夜は奥深かった(笑)。

東京に戻っても「食」でのストレス発散は続き、嘗ては「一夜一客」の鮨店だった銀座の「H」で、今回の出張中に成立した大仕事のパートナーと、香港で掛けられる「1人800円の『呪い』」に就いて語りながら美味い鮨を摘んだり(その後のバー「H」でのパフォーマー「ゴッチ君」と、その「♫タッタカター♬」が忘れられない)、母と行った行きつけの天麩羅屋「Y」や、かいちやうとお茶の後頂いた「S」の超美味な黒酢酢豚&北京ダック等々、食い意地のラスト・スパートも甚だしい。

それはさて置き、サッカー・ワールドカップが始った。

流石の本田のゴールを以ってしても、日本は初戦を逆転負けで落として仕舞った訳だが、然しそもそも、同組他チームのランキングが日本より可成り上なのにも拘らず(コロンビア8位、ギリシャ12位、コートジボワール23位。日本は46位)、日本のメディアやファンが、何故あんなに楽観的に「勝てるのでは?」と思えるのかが解らない…「負けて当然」位に思って居た方が、勝った時嬉しいのに。

ニューヨークで留守番中のマヨンセは、そんなワールドカップを友人のブラジル日系人アーティスト、オスカール大岩宅で観戦したらしいが、その頃僕はと云うと、渋谷駅前で立ち並ぶ警官達を横目に見ながら、作家H氏と松濤の観世能楽堂へと向かって居た。

その日観世能楽堂で開催されたのは、観世宗家の主催の「第45回 正門別会」。今回の公演は「翁」に始まり「望月」で締め括られたのだが、僕等の目的は宗家の舞う「松風 見留」…そして今回H氏とこの「松風」をご一緒した理由は、H氏の新作小説が「双子の姉妹が、1人の男を愛する」と云うストーリーだったからで有る。

ご存知「松風」は、古今和歌集源氏物語に拠った田楽の古曲「汐汲」を観阿弥が改編、更に世阿弥が手を入れたと云われる作品。シテは当然松風で村雨がツレ、が、この曲の影の主人公は最後迄舞台にその姿を見せない、平城天皇の孫で業平の兄で有る在原行平で有る。行平は歌人としても名を馳せた、中納言正三位の地位に在った宮廷人だ。

須磨に3年間配流された行平は、彼の地で汐汲をする松風と村雨の姉妹を寵愛する。だが、姉妹を残し都に戻った行平は都で死んで仕舞い、残された姉妹は行平への恋慕に苦しむ。そんな話を諸国一見の僧に話して居る間に、松風は狂おしく為り、行平が残して行った狩衣と烏帽子を纏って舞い始める。

松風は舞いながら行平への妄執の念を訴え、僧に回向を乞うと、姉妹の姿は消え、残ったのは松が風に吹かれる音だけだった、と云うのがこの「松風」の物語で、ミニチュアの汐汲車や松の作り物が舞台に出され、須磨の浜と月夜、そして月下で狂う美女を想像しながら美しい舞を堪能出来る、非常に詩情豊かな名曲だ。

さて、宗家の「鬘物」には定評が有るが、今回の「松風」も誠に優美で、小書の「見留」に因る、松の作り物を身を屈めて足早に回り、橋掛りから松に対して思いを残すと云う特別な演出も、追慕の感が強く素晴らしかった。

そんな今回の「松風」だったが、実は前から気に為って居る事が有って、其れは「行平が残した衣服を松風が着て舞う」と云う処だ。

恋慕の情に狂い、行平の衣服を着て舞う松風は次第に半狂乱と為り、松の木を行平と見立て、縋り付く。このシーンに見えるのは、「好きな男と同化したい」と云う強い気持ちなのだろうと思うが、その後松を行平と思い縋るのならば、自分が脱いだ衣服を松に着せれば良い。

では、女が好きな(若しくは好きだった)男の服を着る時とは、一体どう云う事なのだろう?

僕が些少な想像力を駆使してリアルに考えられるのは、女の子がカレの家に泊まりに行った時に、パジャマ代わりにカレの「ダブダブの白ワイシャツ」を着ている情景位(笑)。

で、此処で僕の最大の疑問を記せば、「21世紀の今でも、女は男の服を付き合って居る最中、或いは別れた後に、(残された)カレの服を着てみたりするのだろうか?」(何故なら、このシーンは余りにも20世紀的だからだ!)と云う事と、「大体、何故女は男の服を着てみたいのか?」と云う事なのだ…因みに僕は、妻や別れた彼女の服を着たいとは、物心付いてから一度も思った事が無い。

何方か(特に女性の方)、ご教授宜しくお願い致します!

とお願いしつつ、僕は今成田空港のラウンジ…長い長い旅を終え、今からニューヨークへと帰る。