"Richter," or "Richter."

1ヶ月振りに戻ったニューヨークは穏やかな気候で、USオープンでの錦織の活躍の余韻を感じる…然し、若く勇敢な錦織選手は本当に素晴らしかった!

それに引き換え、勇気も忍耐も無くなって来て居る中年の此方はと云えば、相変わらずの時差ボケに悩まされながら、秋の「Asian Art Week」が開幕。

今秋は日本・韓国美術のセールが無い為、下見会では10月に開催されるロンドン・セールや、来年春のニューヨークでのセールに出品予定の作品が数点展示されて居るだけ…なので、14年前にNYに来て以来、初めて競合他社の下見会へと足を運んだりした。

そんな中、僕も生前何回かお会いした事の有るアジア美術の大ディーラーで、数週間前に突然亡くなったボブ・エルズワース氏のお別れ会に出席。

エルズワース氏はアメリカ家具の販売から始め、その後中国家具に興味を持ち、中国と東南アジアを中心とする美術品を収集・販売する世界的なディーラーと為ったが、勿論日本美術にも興味をお持ちで、氏がお持ちだった琳派屏風を売らせて貰った事も有る。

そのオークションの後に何度かお宅にお邪魔をした時、出品して貰った屏風が予想価格の上値を遥かに超えて売れたので、「思ったよりも高く売れましたね!」と云うと、氏は大好きな煙草を吸いながら、「Of course !」とニヤッと笑ったのも良い想い出だ。

エルズワース氏のお宅は、世界的に著名なコレクターが何人も住んで居る、5番街に面した素晴らしいアパートメントのワン・フロア…そして、ウッカリすると来た道を忘れて仕舞う程の数の部屋全てには美術品が所狭しと並び、その脇のテーブルの上には必ず「灰皿」が有った。

お別れ会には、150人を超えるニューヨークの美術社交界の人々が集まり、飲み物が振舞われた後、メトロポリタン美術館のアジア美術部長ハーン氏を始めとする何人かからの弔辞が贈られ、最後はエルズワース氏のパートナーだったMasaさんの心温まるスピーチで終わったが、またアメリカ・アジア美術界の巨星が一つ墜ちたと云う感じで有る。エルズワース氏のご冥福を、心よりお祈りしたい。

と云う事で、今日の本題…「Richter」で有る。

さてこの「Richter」…実は2通りの読み方が有って、美術ファンの人は当然「リヒター」と読むだろうし、音楽ファンなら「リヒテル」と読むに違い無い。念の為に記して置くと、前者は生存する美術家としての世界最高額記録保持者(ゲルハルト・リヒター)で、後者は超絶技巧のピアニスト(スヴャトスラフ・リヒテル)の事だ。

その超絶技巧のピアニスト、リヒテル自身が語る2枚組ドキュメンタリーDVD、「Richter:L'Insoumis (The Enigma)」を観た。

リヒテルは1915年、ドイツ人ピアニストで音楽教師だった父と、その生徒だったロシア人の母の間の子としてウクライナで生まれる。彼は終生ソビエト・ロシアを中心に「在留ドイツ人」として活動したのだが、彼の父親がオデッサで処刑された後は、独学でピアノを学んだらしい。

このリヒテル、東西冷戦の間は「幻の名ピアニスト」と呼ばれて居たが、今では「20世紀最高のピアニストの1人」と称される…その理由は勿論、彼の情感とテクニックを両立させた超絶な腕前に有る訳だが、僕からするとその他にも大きな理由が2つ有って、先ずは僕が今迄もう1人しか知らない程巨大な、彼の「掌」だ(もう1人とは、ニューヨーク在の日本美術商L氏)!

彼の大きな手は、本ドキュメンタリーの中でも一際目立って居て、聞く所に拠ると彼は「12度」(下の「ド」から1オクターヴ上の「ソ」迄!)を平気で押さえる事が出来たらしいから、かなりデカい…そして其の大きな両手から繰り出される早弾きは、もう奇跡としか呼び様の無い物だ。

そしてもう1つは、深く関わり影響を受けた作曲家、特にプロコフィエフショスタコーヴィッチの存在で、リヒテルは彼らの様な同時代の芸術家達との深い交流を以ってして、「ソ連的」な力強い芸術を共に創り出したからでは無いかと思う。

グレン・グールドもコメンテーターとして登場するこのドキュメンタリー作品で、恐らくは初めて「自分」に就いて語って居るリヒテルは、矍鑠として自信に充ち溢れて居ると共に、物凄く神経質に見え、その記憶の正確さと共に恰も「鉄人」の様に見えるのだが、それは劇中(YAMAHAのピアノで)彼の弾くプロコフィエフやベートーベン、シューベルトソナタや、ラフマニノフエチュード、バッハのコンチェルト、ショパンのスケルッツォ等の驚異的な演奏の如く、強く完璧なのだ。

さて、もう一人のRichter、1932年生まれのゲルハルト・リヒターは、旧東ドイツドレスデンに生まれるが、ベルリンの壁に拠って東西の行き来が出来辛くなる直前に、共産主義の呪縛を嫌ってデュッセルドルフへ逃れ、大学で教鞭を取ったアーティストだ。

同じ「名」を持ちながら、片や社会主義国家に留まった天才ピアニストと、片や資本主義社会で名声を得、一枚数十億円の絵画を描いて来た現代美術家

空で歌える程に大好きな、今でも「史上最高の名演」の誉れ高い、リヒテル1959年演奏のラフマニノフ「ピアノ・コンチェルト第2番」を聴きながら、僕は17歳違いの同じ「名」を持つ2人の、こんなにも対照的な「東西」の才能とその芸術に想いを馳せる。

そして、このドキュメンタリーの最後の最後で「I do not like myself…」と云い切った、鉄人的な、余りにも鉄人的な「東側的芸術家」リヒテルに、僕は改めて深い敬慕の念を寄せたので有った。