もしも利休がデュシャンを招いたら。

最近、記憶に残る2人の人物が亡くなった。

先ずは山口淑子…別名李香蘭、享年94歳。この女性の死は、戦後70年を迎える日本の「一時代の終わり」と云っても過言では無い。

1920年、山口は満鉄関連の仕事で中国本土に居た日本人両親の下に生まれたが、漢陽銀行頭取や天津市長の義理の親族に為る事に因って中国名「李香蘭」を与えられ、イタリア人オペラ歌手に歌を習い、北京のミッション・スクールで学んだ。

日中両国語に堪能だった彼女は、奉天放送局の歌手に抜擢された後、満州国の映画会社から「中国人」女優としてデビューし、歌った主題歌も映画も大ヒットと為る。その結果、山口は一躍「中国人」女優・歌手として大スターと為るが、日本敗戦後は中国人としての「漢奸」として軍事裁判に掛けられ、あわや死刑と為りかけるが、日本人だと云う事が証明され国外追放処分と為る。

1946年の帰国後は、山口淑子と為り日本映画界で女優として活躍、その後アメリカに渡りハリウッド映画やブロードウェイにも出演、その頃イサム・ノグチと知り合い結婚し、鎌倉の魯山人のアトリエ内に住むが4年後に離婚、その後香港で映画に主演・主題歌を歌いヒットさせ、それらの歌は今でもスタンダードに為っている。

1958年に外交官との再婚時に芸能界を引退した彼女は、1969年にワイドショーの司会としてテレビに復帰し、ベトナム戦争や中東の取材、金日成重信房子等のインタビューも行う程の活動的ジャーナリストと為ったが、1974年に参議院選で当選し、1992年の引退迄参院外務委員長や自民党婦人局長等を歴任した。

と、文字通り「劇的」な人生をこの女性は送った訳だが、中国・日本・アメリカを股に掛けて生き、中国語・日本語・英語を話し、俳優・歌手・ジャーナリスト・国会議員をこなし、アメリカ人彫刻家と日本人外交官と結婚した日本人女性…当時こんなにインターナショナルで、活動的な日本人も居た物かと熟く驚く。

そしてもう1人は、ジャズ&フュージョン・ピアニストのジョー・サンプル(拙ダイアリー:「これぞ『ジャズ』!」「『十字軍戦士』達の帰還」参照)…僕は学生時代、一体どれだけ彼から学ばせて貰った事か!

クルセイダーズの名盤「Stretch」や「Street Life」から始まり、ジョーのソロ・アルバム「Rainbow Seeker」や「Carmel」等、もう彼がピアノやフェンダー・ローズで奏でる曲を、何度コピーした事だろう?「Merodies of Love」や「Voices in the Rain」…彼のファンキーでメロウなピアノは永遠である。ジョーのご冥福を心より祈る。

と云う事で、今日の本題。今週はAsian Art Weekなので、レセプションや顧客達とのディナーも欠かせない。先週金曜の柳孝一ギャラリーを皮切りに、日曜夜はクリスティーズ、月曜の夜はセバスチャン・イザードとレセプションが続いたが、そのレセプション後は日本からの顧客達とのディナーを、ユニオン・スクエアの「T」で開催。

また今秋は日本美術ディーラーに拠る現代陶芸の展覧会も多く、エリック・トムセンでは深見陶治展、ジョーン・マーヴィスでは川瀬忍展を開催。川瀬氏も来紐育して居られた。

そんな今週、顧客と共にもう1人の重要人物が日本からニューヨークへと来られて居たのだが、その人物とは武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏。

今回千氏は、武者小路千家ニューヨーク支部「随縁会」の設立5周年の記念茶会の為に来紐育されたのだが、火曜日の夜は千氏を囲んでその「前夜祭」と云う事で、アーティストやTVキャスター等の友人達とチェルシーの行き着け「B」で食事。

そして昨日の夜は、その千氏と現代美術家杉本博司氏とのトーク・イヴェント「An Evening with Tea Master Sen So'oku & Hiroshi Sugimoto: From Sen Rikyu to Marcel Duchamp」を拝聴しに、ジャパン・ソサエティへ。

超満員の聴衆を集めて始まったお2人のトークは、イメージ写真を多用した分かり易い物で、千利休マルセル・デュシャンとの300年以上を経た「年月」、日本人とフランス人云う「人種」や「言語」、日本とフランス、或いはニューヨークと云う「場所」と云った差異を乗り越えた、「現代性」「レディ・メイド」「革新性」と云った数々の共通項を通して、現代芸術・現代茶道の在り方が語られた。

利休とデュシャンの「捻くれた」面相比較に始まり、各々のアーティストの作品を対照させながら進んだトークは、「或る一定レヴェルに達し、その後超個性的芸術を創造した優れたアーティスト」で有る利休とデュシャンの、「裏の裏をかくアート」の検証へと続く。

それは例えば、利休が秀吉を朝顔の茶会に招く有名なエピソード(「朝顔が庭に美しく咲き乱れて居るので、観にいらしては如何か」と朝茶に誘われた秀吉が利休の家を訪ねると、庭には朝顔等一輪も咲いておらず、秀吉は不審に思いながらも茶室の躙口を入ると、床に一輪だけ朝顔が活けて有った、と云う逸話…利休は秀吉が来る前に庭の全ての朝顔を刈り取り、一番美しい一輪だけを活けて持て成した)の様に、「美しき作為」を以ってしての、究極の美の表現の事。

また、デュシャンの「泉」と利休の「竹花入」に見る「レディ・メイド」の精神、則ち「アーティストは常に『新たなる美』の『発見と創造』をせねばならない」「『現代性の連続』こそが『伝統』と為る」と云った箇所等は、芸術に係る身としては、自省を兼ねて肝に命ぜねば為るまい。

そしてトーク終了後の質疑応答の際、僕がお2人に尋ねた質問は(千氏の著作タイトルを捩って)…

「もしもデュシャンが利休の茶事に招かれたら、どうなると思いますか?」

で有った。

利休とデュシャン。時空を超えた、世界美術史上稀代の「現代美術家」で有るこの2人に拠る茶事、その鋭過ぎる「鬩ぎ合い」が恐ろしい気もするが、想像するだに楽しく是非観てみたいと思う…が、当然それは叶わない。

が然し、この晩トークを行った2人の芸術家は、近い将来、過去の2人に拠る「想像茶事」に勝るとも劣らぬ茶会・コラボレーションを催すに相違無い。そしてそれを見逃す事は、革新的伝統現代芸術の誕生の瞬間を見逃す事に等しい。

杉本博司と千宗屋。稀代の「現代」アーティストの2人の今後から、目が離せない。