知の巨人の「専門外」展覧会。

暑さが戻って来て仕舞った先週は、重要顧客との食事が相次ぎ、流石の僕のお腹も一杯一杯。

贅沢極まりない話だが、昼・夜・昼・夜と続く食事の効果は覿面で、恒例の血液検査もコレステロールの高め安定で終了…然も有らん、で有る。

そんな先週末は、先ずは表参道のフレンチ「L」で編集者と打ち合わせをした後、青山のバー「W」での某女性誌の座談会に出席し、モデレーターを務める。追って此処でも詳しく報告するが、コレクターやディーラー達と語る「贅沢」と「アート・コレクター」に関する非常に楽しい座談会だったので、乞うご期待だ。

そして帰ニューヨーク前最後の週末だと云う事で、国立新美の「オルセー展」等幾つかの展覧会にも駆け込む…が、其の中でも最も感銘を受けたのは、何と云ってもワタリウム美術館で始まった「磯崎新 12 x 5 = 60」展で有った!

この展覧会は、今年83歳と為った建築家磯崎新氏の「建築外的思考」に焦点を当てた企画展で、氏の例えば美術・映像・音楽・写真と云った、具体的な意味での「建築以外」、そして近代建築の解体と再編を試みる、思想的な意味での「アーキテクチャ」と云う「建築外思考」をフィーチャーする。

そんな本展で僕が感銘を受けた磯崎氏の「建築外」を挙げれば、それは例えば氏の事実上の処女作と云える、1957年のアーティスト吉村益信のアトリエ「新宿ホワイトハウス」や、その5年後に本郷菊坂の自宅で開催された、吉村の壮行パーティー「Something Happenes」…この「ネオダダ最後のイヴェント」と呼ばれるパーティーでは、土方巽とギュウチャン(篠原有司男)が全裸に為り公然猥褻罪で逮捕、その現場には瀧口修造岡本太郎丹下健三一柳慧等が居たと云う。

映画やデザインの仕事で忘れられないのは、1965年の勅使河原宏監督作品・安部公房原作の名作「他人の顔」の美術協力や、デュシャンの「停止原器」から着想を得た「モンロー定規」。舞台美術では、1990年のリヨン国立歌劇場公演、「エキゾチック日本」の解体を狙った演出吉田喜重・衣装山本耀司の「蝶々夫人」。

また、磯崎氏が過去に何度か興味を持った「茶室」建築では、パリ装飾美術館での「間」展に於ける「モンドリアン茶室」や(今年のヴェネチア・ビエンナーレでの、杉本博司氏のガラス茶室「聞鳥庵」を思い出す)、中村外二とのコラボ作品「白鷺庵」、そしてエンターテイメントの分野では、内装アーティストにキース・へリングやケニー・シャーフ等を起用した、僕も実際何回か行った事の有るニューヨークの巨大ディスコ「パラディアム」。

そして最後に驚いたのが、アイゼンマンと共催した建築思想カンファレンス・シリーズ「ANY」で、その中でも特に1992年湯布院で開催された「ANYWHERE」の参加者達を飛行機の前で写した、集合写真で有った。

この古き良き、得も云われぬ雰囲気の有る写真には錚々たる面子が写って居て、磯崎氏以外にも例えば蓮實重彦ピーター・アイゼンマン荒川修作柄谷行人ジャック・デリダ浅田彰、ダニエル・リベスキンド安藤忠雄レム・コールハース…が、その写真前列右手にしゃがんだ人物に見覚えが有り、良く見るとそれはニューヨークの友人、現代美術家のインゴ・ギュンターでは無いか!

この展覧会は、上に記した事象を含む「12」ずつの「建築外的思考」「コラボレーション」「栖 1998-1999」「旅(東洋篇 オリエント)」「旅(西洋篇 オクシデント)」「12 x 5 = 60の年表」や、「鳥小屋(トリーハウス)と呼ばれている軽井沢の書斎」実寸模型等で構成されるが、その他にもダンサー田中泯に拠るパフォーマンスや、ヴァイオリニスト庄司紗矢香等が出演するコンサート、或いは磯崎氏本人+藤森照信氏に拠るトークショウ、「モンドリアンの茶会」等の豪華イヴェントが予定されて居て、何れも見逃せない。

「建築家」とだけ呼ぶには大き過ぎる、「知の巨人」に拠る「専門外」のスゴい展覧会…ワタリウムへ急げ!

と叫びつつ、明日漸くニューヨークへと戻る。