正徳3年の「平安ルネッサンス」。

平安時代室町時代に制作された重要作品に関わる仕事の為に、短期だが日本にやって来た。

NYを出る前のワールド・ウェザー・リポートでは、「日本は気温18度で、桜満開!」との事だったので、コートの1着も持って来なかったのが運の尽き…こんなに寒く為るとは想像だにせず、凍える。

然しそんな中でも日本には、相変わらず僕の耳・口・眼を楽しませる良き音楽と旨い食事、そして興味深い展覧会だけは欠かせない。

先ずは「耳」だが、最近知って大好きに為ったバンドが居て、その名は何と「ゲスの極み乙女。」(何と云うバンド名なのだ:笑)…男女2人ずつの4人組バンドだが、凝った歌詞やタイトルと軽いリズムのノリがもう最高!

然も彼らの曲「猟奇的なキスを私にして」のPV(→https://m.youtube.com/watch?v=dDn04KCpdR0)中のメンバーが、最近お世話に成りっぱなしの友人J君に余りにもそっくりで、それもファンに為った一因だ(笑)…是非一度お聞き頂きたい。

「口」の方はと云うと、神楽坂で弟が経営する「K」で、国立美術館学芸員ヴェニスビエンナーレ担当者の2人と和食、霞町「U」でのディーラーとの焼肉、同じく霞町の和食「N」では家元とコレクター氏と最近の「獲物」の案件話後、場所を茶室に移し、もう1人お家元も参加しての男夜茶会を愉しむ。

そして「眼」…先ず向かったのは、ギャラリー小柳で開催されて居た束芋の展覧会「息花」(既に終了)。

細密な線画で書かれたれた人体の部分部分に、「継木」の様に描かれた花が何とも可憐で不思議な魅力を持つ作品群と、アーティスト自身と「曽根崎心中」のお初(実はアーティスト杉本博司)との空想往復書簡も展示され、興を添える。

次に向かったのは、赤坂草月会館で開催中の「桑田卓郎展」…本展は草月会館1Fのイサム・ノグチに拠る石庭「天国」を利用した、一種のコラボ展だ。

この「天国」は、初代草月流家元の勅使河原蒼風の依頼に拠って制作された物で、1978年に完成。石は瀬戸内海から選ばれ、天窓からの光と最上階からの水と共に多面的な顔を持つ、現代屋内庭園の白眉と云っても良い素晴らしい空間で、この空間に並ぶ桑田のカラフルな陶芸作品はポップで力強い。

そしてこの数日で僕が観たもう1つの「必見展覧会」が有って、それはサントリー美術館で開催中の「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展だ。

さて18世紀の京都は、ジャポニズム印象派を担ったアヴァンガルドなアーティストで溢れて居た19世紀のパリに勝るとも劣らぬ、芸術的才能の宝庫で有った。

パリのカフェやキャバレーで、ドガやマネがアブサンを飲みながら其れ迄のアートを否定し、ロートレックドビュッシーが浮世絵に就いて熱く語って居た様に、円山応挙とその弟子の松村呉春や長澤蘆雪等の円山四条派の絵師達、文人画の池大雅や柳里恭、奇想の絵師曾我蕭白等が京都に生まれ、街ですれ違ったり、時には酒を酌み交わしたりした事を考えただけで、ワクワクするでは無いか!

が、その中でも正徳3年(1716)と云う年は、後に日本美術史に於ける重要な「世代交代」の年として記録される事と為った。何故なら、琳派の大成者尾形光琳が亡くなり、奇想派(…と云う「派」等無いのだが)代表選手の伊藤若冲、そして文人画の巨星与謝蕪村が生まれたのがこの年だからだ。

そして、この展覧会には質量共に誠に多種多様な作品が出展されて居るが、その中の白眉を挙げれば、MIHO MUSEUM所蔵の若冲の2作品、「象鯨図屏風」(拙ダイアリー「平安若冲製『ロミオとジュリエット』」参照)と、40年振りにその姿を現した「金鶏白梅図軸」だろう。

この「金鶏白梅図」は、1974年に東博で開催された「若冲展」以来、個人コレクター宅を一歩も出て居なかったが、この度MIHO MUSEUMの所蔵に為ったとの事。

作風は「動植綵絵」に近く見えるが、制作年代は晩年らしい本作は、大典和尚の讃入りの絹本極彩色の大幅。その中央には華麗な金鶏鳥が大きく描かれ、白梅の枝振りも外隈も若冲独特のモノ…そして枝の間から顔を覗かせる小鳥が超カワイイのだが、何しろ状態が素晴らしい。

この展覧会はこの2作品を観るだけでも元が取れる(笑)…が、若冲と蕪村と云う同郷且つ同い年では有るが、全く異なる画風と思想を持つアーティストが、実は2人共中国・朝鮮絵画から大きな影響を受け、同一の禅僧や儒者から讃を受けて居る事を詳らかにする。

そしてこの2人のアーティストの出現が、アヴァンガルドで大きなヌーヴェル・ヴァーグを当時の京都画壇に引き起こした事は、今となっては疑問の余地は無いだろう。

絵師の世代交代を以って、「平安ルネッサンス」が起きた「正徳3年」。

後から振り返った時、僕らの生きるこの時代の何処かにこんな年が有って欲しい、と切に願う孫一なのでした。