慈善と傲慢、そして悪への無抵抗:「雪の轍」。

云う迄も無いが、僕達の人生に於いて男と女、或いは夫婦の関係性は永遠のテーマだ。

そして、例えばその男女2人の年齢や社会的地位、収入、教養の度合いや身心の健康状態の「差」が甚だしく異なったり、或いは2人がお互いから逃れられない閉ざされた環境に有る場合等は、尚更だろう。

最近、そんな夫婦間の機微を描いた映画を2本観た。

先ず1本目は『Theory of Everything(邦題「博士と彼女のセオリー」)』…ご存知宇宙物理学の天才、スティーヴン・ホーキング博士の半生を描いた作品だが、然しこの映画のミソはその脚本が単に天才を讃える伝記モノ等では無く、嘗てのホーキングの妻ジェーンに拠って書かれた「Traveling to Infinity: My Life with Stephen」を原作として居る事で、ホーキングが1963年にルー・ゲーリック病(ALS)を発症する以前から彼の傍らに居た、1人の女性の眼から見た天才を描いて居る点だろう。

僕がホーキングを知ったのは、大概の人がそうで有る様に1989年の「ホーキング、宇宙を語る」を読んだ時の事だが、超文系の僕でも自然科学(エッセイ)には学生時代からかなりの興味が有って、例えばライアル・ワトソンリチャード・ドーキンス、リチャード・バーンやカール・セーガン河合雅雄多田富雄等貪り読んだ物だ。

然し、そんな憧れを持って臨んだこの作品に於けるホーキングは可成り生々しくて、僕が驚いたのは、例えば通常罹患後3〜5年で死亡する例が殆どで有るALSに為った後に、彼が子供を2人を作っている事(男性器の筋肉は動くのだろうか?)。

また学生時代からずっと彼を支えたジェーンと離婚をして居る事(彼女を解放してあげたのだろう)や、映画では看護師と再婚した所で終わって居るがその看護師とも2011年に離婚して居るので、ホーキングが「バツ2」で有る事だ…事はそう単純では無いが、車椅子の天才物理学者も「男」で有り、男女間の愛は慈善とは異なると云う事なのだろう。

そして2本目はトルコ・フランス・ドイツ合作、第67回カンヌ映画祭パルムドールを獲ったヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品『Winter Sleep(邦題:「雪の轍」)』。そしてこの「雪の轍」は長尺も良い所だったが(3時間を優に超える)、決して飽きる無い、実に素晴らしい久々の芸術的大感動作品で有った。

トルコ・カッパドキア大自然の中でホテルを営む、教養豊かで裕福な元俳優の「領主」的老主人公と、慈善活動に生き甲斐を求めるその若く美しい妻、出戻りの妹、家主で有る主人公に家賃を滞納する聖職者一家との人間模様を描く本作の主題は、カッパドキアの美しくも厳しい自然と土地にこそ存在する。

そして歴史の流れの中で観光地化した土地(カッパドキア)は、其処に存在する雪深い厳しい自然と共に、夫婦間の「見せ掛け」を象徴し、この土地で育まれた濃厚極まりない人間関係は、慈善や宗教の表向きのイノセンスやピュアリティの裏に隠された、アロガンス(傲慢さ)を抉り出して行くのだ。

本作に於ける老主人公と若き妻(然しこの女優は美しい!)や姉との会話、そして関係性は甚だ哲学的だが、特に劇中交わされる「悪への無抵抗」に関する会話は、トルコがイスラーム国家で有る故に実に興味深い。

「悪に対して抵抗しない」事に因って、相手に「後悔の念を起こさせ、改心の機会を与える」と云う思想は、「眼には眼を」と対極に在る。そしてそれは自らが慈善活動をした時に、例えば「感謝の言葉」の様な「見返り」を心の何処かで決して求めない、と云った事に通じるが、然し夫婦間の「傲慢さ」を赦す事に対しても通用するのだろうか?

この「雪の轍」は年齢・思想・教養・立場・生い立ち・富等が悉く異なる男女が、どの様な手段で夫婦間の困難を超えられるのかを描くが、最終的に鑑賞者にその答えは与えられない…が、優れた芸術とはそう有るべし。

「夫婦」と云う関係性への全く異なるアプローチを持った「セオリー」と「雪の轍」の2作品だったが、特に「雪の轍」は必見の大名画だと思う。