新橋演舞場の中心で日本愛を叫ぶ。

暑い…時差ボケの体に鞭打つ暑さにバテる。

そんな中仕事の方もソロソロとスタートし、重要顧客とのミーティングをこなしながら、先ずは今顧客から預かって居る水墨屏風を先生方に観て貰う。

室町期の絵師の落款を持つこの六曲一双は中々の出来映えで、40年前に非常に重要な展覧会に出て以来、全く持ち主の家を出て居ない…そんな美術品だけが持つ「ウブさ」と、決して嫌味の無い時代を経た状態の良さが魅力なのだが、その制作年代関する意見を室町絵画の碩学お二人に伺ったので有る。

数人の学生達、碩学方と屏風を前にした2時間は誠に勉強に為った、至福のひと時で有った。

そして仕事の間隙を縫っての展覧会巡りの方も忙しく、ここ1週間で観た展覧会はと云えば、国立新美の「マグリット」と「ルーブル美術館」、森美の「シンプルなかたち」、そしてオープニングに伺ったのはサントリー美の「乾山見参!」。

その中でも「マグリット」展は作品内容も素晴らしく、その才能に改めて驚嘆。そしてT女史渾身の「シンプルなかたち展ー美はどこから来るのか」展も、国籍・時代を問わない出展内容とコンセプトが非常に面白い。

この森美、ポンピドゥー・センター、エルメス財団共催の展覧会には、長次郎や円空ブランクーシやフォンタナ、オラファーや杉本、カプーア、デューラーや根来練行盆迄が並び、多種多様な出展に全く飽きる事が無く、そしてその美しくシンプルなフォルムの数々に、眼が洗われる。

また「着想のマエストロ 乾山見参」展では、懐かしい「獅子香炉」(拙ダイアリー:『吾輩は「香炉」で有る』参照)に再会して旧交を温めたが(笑)、最近扱った別の光琳・乾山合作の銹絵香炉が某美術館所蔵のモノに勝るとも劣らず、素晴らしく思えたのでかなり嬉しく為った(笑)。

そして毎度の事ながら、アートホリックな僕は舞台にも勤しんで居て、今回は歌舞伎と踊りだ!

先ず週末土曜日、オフィスでの仕事を片付けてから向かったのは、歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の夜の部。

この晩の演し物は、松緑の「慶安太平記」と海老蔵の「蛇柳」、そして菊五郎の「神明恵和合取組」だったが、松緑は頑張っては居るが華に欠け、華が有る筈の海老蔵の「蛇柳」は演出も一寸退屈で、ガッカリする。

が、矢張り流石は菊五郎菊之助で、音羽屋が出ると舞台が一気に締まり、色気が増す。大御所が次々と居なく為って仕舞った梨園でのそんな菊五郎の存在は益々重く為り、僕が今期待して居る菊之助染五郎、壱太郎等がこれから育って行く迄、吉右衛門仁左衛門玉三郎と共に、元気で歌舞伎界を支えて欲しい…頼みますぞ、音羽屋さん!

その翌日はガガのシュー・メイカー氏のお誘いで、今度は新橋演舞場へと向かい「第九十一回 東をどり」を観る。

が、演舞場玄関を入った途端、黒づくめ・巨漢なシューメイカー氏と同じく巨漢サングラス姿の僕は案の定浮き捲り、謎の中国人+サモア人コンビとして只々他の客からジロジロ見られるばかり。

「俺等、場違いだよなぁ」と嘆く、そんな僕等にお構い無しの艶やかな新橋の芸妓達に拠る今回の踊りは、西川左近振付の「咲競五人道成寺」と、尾上菊之丞花柳壽輔振付の「艶姿三趣」。

その中でも目を見張ったのは、「道成寺」で「センター」(笑)を務めた今千代さんで、彼女の踊りの上手さは他を圧倒して居た!

が、例へば京都南座の顔見世の祇園総見や温習会等でもさうだが、踊つて居る芸妓よりも囃子方できりつとした美しさを見せる芸妓、桟敷で見物する黒紋付の美しい芸妓に、どうしても眼が行つて仕舞ふのは何故だらう(笑)…そしてこの日も、僕は時差ボケでウトウトして居た以外は、大鼓の綺麗なお姉さんから眼が離せなかつたのだ!(何故旧仮名遣い?)

公演終了後、艶やかな日本文化の一を堪能した僕等は、心の中で「僕等はこんな外見だが、僕等位日本文化を理解し、愛して居る者は居ないのだっ!」と新橋演舞場の中心で日本愛を叫んだのだが、無論誰に聴こえる筈も無く、虚しさだけが残った。

そしてその虚しさは、思い返せば前回来日中に、都現美山口小夜子デザインの衣裳が余りに素晴らしかったので写真を撮ろうと思い、が、律義な僕は展示室の片隅に居た監視員の女性に、「写真を撮っても良いですか?」と聞いた時の事を思い出させた。

その女性は、当然日本語で聞いたのにも関わらず、何故か「英語」で「No, no no ! No photo !」と叫び、その「英語」での返事の意味が分からなかった僕が、「あの、写真ダメなんですね?」と再び「日本語」で念を押すと、今度は胸の前で大きな「X印」を作りながら、これも再び「英語」で「No photo please, Noooo!」と叫んだのだが、その時に感じたモノと同じ虚しさなのだ。

…こんなにも日本人に見られない僕は、恰も「ひょうきん族」の番組の終わりにブッチー武者(!)にダメ出しをされた懺悔者の様に落ち込んだ訳だが、それもこれも俺の外見が全部悪いのか?

と、天知茂的にニヒルに為りながらも、日本ラヴを叫び続ける孫一なのでした。