「幽玄の極み」を観た「糺勧進能」@下鴨神社。

先週後半から週末に掛けて、灼熱の関西へと出張をして来た…ので、土曜日の大きな地震も全く知らなかった。

が然し今回の様に、重要クライアント達からプライヴェート・セール向きの幾つかの高額商品の契約が取れたりすると、北新地や祇園の夜もまた一段と楽しい(笑)。

大阪では某美術館学芸員と、また京都では個人コレクターと楽しく美味しい夜を過ごしたが、そんな中、たった数日の間に数多の知人友人にバッタリ会って仕舞う所が、京都と云う街が僕に取って「出逢いの都」で有る由縁…なので、悪い事が出来ない。

朝チェックインしようとした常宿では、能楽囃子方の若手名人のK氏に、そして夜は敏腕若手古美術商S氏にバッタリ。また展覧会を観に訪れた細見美術館では、現代美術コレクターのY氏とバッタリ…本当〜に悪い事が出来ない(笑)。

さてその細見美術館だが、開催中の「琳派400年 古今展」が素晴らしい!

本展は琳派400年を記念してのモノで、細見美術館所蔵の琳派作品と京都所縁の近藤高弘(陶)、名和晃平(Mixed Media)、山本太郎(絵画)の3名の現代美術家に拠るこのコラボ展。展覧会図録が無いのが玉に瑕だが、流石嘗て現代美術を扱って居た細見良行館長のセンスが光る、「ガリレオ」的に実に面白い展覧会なので是非ご覧頂きたい!

また今回は、行きたかった都の新旧3箇所のアート・スポットを訪ねる事が出来たのだが、その一は「将軍塚青龍殿」。

延暦3(784)年、桓武天皇は都を奈良から長岡へと移したが、色々と災厄が起き、和気清麻呂等は狩りに事寄せて天皇をこの山上に招き、見下ろす京の街こそ都に相応しいと進言、天皇はその進言に従い794年に平安遷都を実施するが、その時都鎮護の為に土製の将軍像を造り、甲冑を着せ武器を持たせて、塚に埋める様命じた事が、この「将軍塚」の名の由来。

そして昨年天台宗青蓮院に拠り、この東山山頂に国宝「青不動」を安置する奥殿と大舞台を擁するこの「青龍殿」が落慶したのだが、その大パノラマを堪能出来る舞台に設置されたのが、デザイナー吉岡徳仁に拠るガラスの茶室「光庵」だ。

ガラスの茶室と云えば、現代美術家杉本博司の「聞鳥庵」を思い出すが、実は僕は未だ「聞鳥庵」を実見した事が無いので、その相違も語れ無い…が、「光庵」は良い意味での「軽快さ」が有って、自然の大パノラマ(大文字送り火も!)をバックに中々映える。夕暮れ時に是非一服頂きたい茶室で有った。

2番目は宇治川の畔の「Sandwich」…細見美術館でも展覧されて居た現代美術家名和晃平氏のクリエイティヴ・ステュディオだ(因みにこの日は、有名現代美術キュレーターH女史も来て居た)。

名和氏とはNY以来の再会だったが、ステュディオのHさんに案内して頂き説明を受けながら、「ピクセル」作品、建築やパフォーマンス等の異分野とのコラボ作品の「世に出る前の作品」を拝見する。

日頃「死者のアート」(古美術)とばかり接して居る僕は、決してその「作者」には会えない…なので今回のSandwich訪問の様に、今クリエイトされているアートとその「作者」に会える機会と、「未来の『名品古美術』が作られる場所」を大好き且つ大事にして居る僕に取って、こう云う機会は甚だ貴重でエキサイティングなのだった…Hさん、お忙しい中有難う御座いました!

そして3箇所目は、お馴染みMIHO MUSEUM…バーネット・ニューマンの展覧会「十字架の道行き」と、「曽我蕭白 富士三保図屏風と日本美術の愉悦」展を観る為で有る。

14枚の「受難」、バーネット・ニューマンの連作も確かに素晴らしかったが、今回初公開された蕭白「富士三保図屏風」とのMIHO MUSEUMでの再会は、屏風が立派に展示され、其処に描かれた「虹」も眼に鮮やかなライティングが施されて居て、極めて喜ばしい…矢張り大した屏風だ。

と云う事で、此処からが今日の本題。

今回の京都出張は、実は週末の母親孝行を兼ねてのモノだったのだが、そのメイン・イヴェントで「幽玄の極み」を観る事が出来た…それは下鴨神社で行われた、「糺(ただす)勧進能」。

この「加茂御祖神社 第三十四回式年遷宮奉祝 糺河原勧進猿楽五五〇年」記念「糺勧進能」は、寛正5(1464)年に将軍足利義政や大名、公家や僧侶の前で、音阿弥とその息子又三郎が行った、鞍馬寺再興の為の勧進猿楽興行の再現で、長い間その再興が望まれて居たが、この度「21年に1度」行われる式年遷宮(第31回目)に合わせての待望の開催と為った。

演目は、先ず神主連に拠る神事「弓神事」が有り、その後お仕舞が3番有った後、観世宗家に拠る能「賀茂」を薪能で観ると云う物だったが、今回の催しの最大の楽しみは、国の重要文化財に指定されて居る「神服殿」から、同じく重文の「舞殿」で行われる能を観る、と云う事に尽きる。

「オーッ」と云う掛け声と共に、実際に弓矢を楼門の外に射ると云う珍しい神事が終わると、糺の森に風が戦ぐ中薪に火が入れられ、鏡板の無い舞台奥に橋掛りが本殿から伸びて来て居る為、舞台奥から演者達は登場し、囃子方は舞台に向かって左側に、地謡は右側にと座る。

そして始まった能「賀茂」は実に優美で、中入の頃にとっぷりと暮れた境内に灯る松明や、その松明の火に浮かび上がる装束と面、森の木々の戦ぐ音、パチパチと云う薪の燃える音や時折聞こえる烏の声と共に、観世宗家の朗々とした謡や、この世の物とは思えない程美しく響く大倉源次郎師の鼓の音、そして特筆すべき後場での林宗一郎師の素晴らしい舞は文字通り「幽玄の極み」で、僕は550年前の糺河原へとタイム・スリップさせられたのだった。

幽玄の極み…それは京の都にしかない「味」で有る。