「骨董屋の始まり」を経験する。

気が付けば8月…そして酷暑の日本に来た。

何しろ成田空港のデッキに着き、ドアが開いた瞬間に入って来たムッとする空気はまるでバリ島のそれで、未だたった数日の滞在にも関わらず、恰もヤマトが地球に帰還する際に瀕死の沖田艦長が呟いた如く、今年の過ごし易いニューヨークの何もかもが懐かしい(涙)。

今回機内では「ディオールと私」を観て、ファッション界に於けるブランドの「襲名」の大変さを想うが、それは例えばコンテンポラリー・バレエに於ける「襲名」(拙ダイアリー:「『相続者』の義務」参照)の様な、アートに於ける伝統革新継承とは少々異なるかな?と云う感想。

それはファッションに於いてはブランドの「クオリティ」と「名」の維持と共に、「売上」を最優先に考えねばならないからで、其処がファッションとアートとの根本的に異なる処だし、異ならねば為らない。

そんな来日後も時差ボケの中、素晴らしい菩薩像や仏頭を観たり、クオリティの高い焼物の個人コレクションを査定したり、重要顧客との食事や家族との52回目のバースデー・ディナーを熟しながら、昨晩は某アーティスト、ギャラリストと作家と、或る物凄く興味深い企画の打ち合わせ。

打ち合わせ場所に指定された「陰影礼賛」な茶室の外には、大きくて黄色い不気味な満月が登り、飾られた現代美術家の作品と共に妙にデカダンな雰囲気を醸し出して居たが、その後の美味しい四川料理と文化的リテラシーの極めて高い会話が、時差ボケで緩んだ僕の脳味噌を締め直して呉れた。

そしてここひと月の間に、NY→ナント→パリ→NY→ボストン→NY→デンヴァー→NY→成田と飛んだ報いか、座骨神経痛が再発した為に近所の整骨院に通って居るにも関わらず、来日2日目には地方出張へ。

この出張は、プライヴェート・セールで売却した某作品を買い手の元へと「嫁入り」させる為の旅だったのだが、束の間の「花嫁の父」気分を味わえるので、こう云った旅は何時でも愉しい。

その上今回のプライヴェート・セールには、実はその成立過程に、僕の20年を越すキャリアでも誠に面白い「初体験」が含まれて居たので、今日はその事を記そうと思う。

その話をする前に…皆さんは「骨董屋さんの起源」をご存じだろうか?諸説有る様だが、その中でも有力なのは「富山の薬売り」だと云う説だ。

江戸時代17世紀に始まったご存じ「富山の薬売り」は、置き薬を持ち歩いては街道を歩いて旅し、村々の家を訪ねて薬を売り、行き帰りで取り替えたりして商売をするのが生業だった。

その顧客たる村人達は、或る時から不要になった焼物や漆工品等の日用品の売却を薬売りに依頼する様に為り、薬売りは本業の旅すがら、A村で買った品を隣のB村で売ると云うビジネスを始めたと云う…これが今で云う「骨董屋」の始まりだと云う説で、その「骨董屋起源説」を裏付ける証としては、歴史を持つ骨董屋さんに富山出身、或いは北陸出身の人が確かに多い事から、成る程と思わせる話なのだ。

さて、今回僕が「嫁入り」させた作品に話を戻そう…それは今年の春の或る日、新幹線の某駅から車で暫く走った所に居る顧客Aさん宅を訪れた時に出会った、世にも美しい工芸品。

僕は一目でその美しさに胸打たれ、「如何程なら売って頂けますか?」とAさんに聞くと、「⚫️千万円位なら…」と仰る。急いで米ドルに換算すると、安くは無いがウチで頂く手数料を載せても何とか売れそうな気がしたので、「是非やらせて下さい」とお願いすると早速商談成立し、その場で作品をAさんから預かる事と為った。

桐箱の中で動かない様に丁寧にパックし、風呂敷に包んで紙袋に入れ大事に抱えると、次の顧客Bさんに会う為に駅に向かい、新幹線へと乗り込んだ。そして新幹線を2駅乗ると、タクシーに乗ってB宅へと到着。

外国絵画をメインに収集するBさんの邸宅の居間に通され、暫くするとBさんがやって来てお茶を飲みながらの四方山話が始まったのだが、此方はご挨拶の為の訪問の積りだったのに、Bさんは僕が「向き」の良い話を何も持って来なかった事が不服らしく、「何だ、手ぶらなのか…君の顔だけ見ても仕方ないじゃな無いか」等と悲しい事を仰る(涙)。

「すみません、今日はお見せするモノは何も無いんです」と云った矢先の事で有る…Bさんの眼がキラッと光ると、カバンと共に椅子の横に置いて居た「紙袋」に注がれた。

「ん?…桂屋さん、その紙袋は何です?」

「いや、これはついさっきお客さんから預かって来たんですが、全然Bさん向きのモノじゃ無いんで、お見せしても仕方ないと思います。」

「そんな事云わずに、見せて下さいよ…それ何なの?」

「いや、でも本当にBさんがご興味を持ちそうなモノじゃ無いんで…。」

「良いから見せなさい!」

と押し切られた僕は渋々荷を解き、その美しい工芸品を机の上に静かに置いた。するとBさんは「おぉ、何と美しい!」と驚いて目を見張り、 僕から作品の説明を聞きながら目を皿の様にしてその作品を観始めたかと思うと、徐にこう云った。

「桂屋さん、これ幾ら位なの?」

「えーと、ついさっきお客様から預かって来たばかりなので、ハッキリとは決めて無いんですが、大体⚫️千⚫️百万円位ですかね…。」

と、たった数時間前にAさんと約束した金額に手数料を載せた額を告げると、Bさんは、

「桂屋さん、私、これ頂きますから。」

と僕に静かに告げたのだった。

何と!…日本の古い工芸品等には全く興味等無い筈のBさんが、ウン千万円のこの作品を買うなんて、僕は驚くやら嬉しいやらで、一寸したパニック状態に陥ったのだが、気を取り直して今一度Bさんの意思を確認しても購入意思は変わらず、お買い上げ頂く事と相為ったので有る。

はてさて今回のこの商売を顧りみれば、Aさんからこの作品を預かってからBさんに売れる迄に掛かった時間は「2時間半」(その後のお金の遣り取りや、運送の時間は勿論別だが)、売り手と買い手の距離は新幹線の駅にしてたったの「2駅」…そしてこんな事は、僕の20年以上のキャリアでも初めての体験だったのだ!

その事を帰りの新幹線で考えた僕は、窓側の席で暖かい珈琲を飲みながら、恰も自分が或る村で得た骨董を直ぐ隣村で売る事の出来た「薬売り」の様に思えて来て、何と無くホンワカした気分で富士山を眺めたのでした。