耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。

日本に戻って来た。

先週街中はお盆ウィークで空いて来て居たが、こう云う時こそ仕事が捗ったりする物で、個人宅で重要な漆工芸品や掛軸、茶道具を観たり、業者と一寸驚く重要な屏風に関する打ち合わせをしたり。

そんな中オフの時間は代官山の「O」で母の喜寿の誕生日を祝ったり、都内のホテルの高層中華「T」で神宮の花火を観ながら、箱根と日光の旧いホテル業の家系で有る父方の親戚達6人で親族会を催したり。

はたまた某顧客とステーキ・ディナーを堪能した夜は、食後高円寺へと向かい、ギャラリスト2女史と某企業アート・プランナー氏の飲み会に乱入して、夜半過ぎ迄日本のアート界と未来に就いての激論を交わし、某現代美術家宅では作家自身作の手料理に舌鼓を打ちながら、陛下と総理の談話の差異と民主主義の終焉、そして王政復古に就いて語る。

或いはアーティストK氏のステュディオを訪ねて新作を拝見した別の晩は、その足で神田の弟の店「I」へ向かい、ギャラリストや公的機関の方と5人で食事。食後は山の上ホテルのワイン・バーで一杯傾け、夜半過ぎに解散…とは為らず、腹が減った我々はこれ又1時過ぎに、神保町で油そばを食べて仕舞うと云う体たらく。

が、仕事の合間を縫って、相変わらず展覧会も観捲るワタクシ…先ずは「特別展錦絵誕生250年 春信一番写楽二番 フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」が開催中の、三井記念美術館だ。

鈴木春信が多色摺木版画「錦絵」を明和2年に創始してからの250年、日本の木版画は世界最高峰の技術を誇って居るが、本展はその春信と写楽をメインにフィーチャーして錦絵の歴史を追う企画。春信好きの僕に取っては(拙ダイアリー:「美人の定義」参照)もう堪らない企画で(笑)、18世紀の小顔・細腰の美少女達を堪能した。

また根津美術館で開催中の「絵の音を聴く」展では、第1室に飾られた伝狩野元信の四季花鳥図屏風を実見し、現在僕が顧客から預かって居る作品との相違点を色々と確認…そしてその後向かったサントリー美術館では、「藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美」を観る。

本展はご存知藤田伝三郎が集めた茶道具・仏教美術・室町絵画等を中心とした展示だが、のっけから益田鈍翁旧蔵とも云われる素晴らしい興福寺千体仏が並び、僕の口内には涎が溢れ出す。

興福寺千体仏は文字通り世に数多く存在するのだが、これ程質の良いモノは市場では余り見掛けない…流石藤田伝三郎で有る。そして僕の興味は、快慶作の地蔵菩薩像や春日厨子、上畳本を経て、古井戸茶碗「面影」と御所丸茶碗「藤田」へと向かい、口の中が乾く暇は無かった(笑)。

現代美術系も然り…横浜美術館で開催中の展覧会「蔡國強 帰去来」は、狼の群れのインスタレーション「Head On (壁撞き)」が矢張り凄いが、例えば懐かしの月岡雪鼎作肉筆春画「四季春画画巻」を基にした「人生四季」は物足りず、個人的には正直イマイチ。

そして、今話題の東京都現代美術館へも…ずっと観たかったオスカー・ニーマイヤー展は、西沢立衛氏の協力も有った様だが、靴を脱いで歩いて観る等中々見応えが有る良い展示で、ニーマイヤーの夢の有る造形を感じ取れる。特にルーシー・リーの「碗」を思い出させるニテロイ現代美術館は、是非行って見たい建築だ。噂に因ると、来年のヴェニス建築ビエンナーレの日本代表も決定した模様…新国立競技場も含めて、建築への興味は尽き無い。

美術館側から撤去を要請された会田誠の作品が展示される、「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展は、会田一家の作品が展示される部屋だけが混雑して居て、未だに美術館及び学芸員からの説明が全く無い事に憤懣やる方無いが、あれだけ大騒ぎして此処迄沈黙して居る状況とこの混雑を見ると、「人寄せの為のヤラセだったのでは?」「炎上商法」の疑念が出ても仕方が無いと思う。

その問題と為った「檄文」を読んでみたが、何しろ至極真っ当な事を云って居て、過激でも何でも無い。そして本人が総理大臣に扮した「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」の出来は素晴らしく、ご本人そっくりな事もだが、展示されたその演説原稿が秀逸で、英単語にルビが振って有る所等超リアルで笑えた(笑)。

また父とご先祖様の墓参の日には、中央線を高円寺で途中下車し、キタコレビルへと向かう…チンポムの「耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ 展」だ。

行ってみると丁度卯城氏が居て、来月頭にロンドンのサーチ・ギャラリーで始まる個展と本展に就いて、詳しく説明をして呉れる…この展覧会は、デビューした10年前から今迄チンポムが発表して来た問題作がどの様に規制され、リジェクトされ、改変させられたかを見せる物で、都現美の会田作品と共に言論と表現の自由を標榜する展覧会。

それは例えば、「耐え難きReal Times」を上海ビエンナーレに出品した時の「日の丸」の改変の理由だったり、「耐え難きSuper Rat」に於けるピカチューのコピーライトの問題だったりするのだが、それらを網羅する現在の美術界に対して提起された全ての問題点は、本展の入り口に貼り出された「ステートメント」に書かれて居るので、観に行かない者には知る由も無い。

そしてこの刺激的な展覧会を見終えて卯城氏に別れを告げ、Garterの江幡氏ともバッタリ再会した後、小雨の中高円寺駅に向かうすがら、僕はその数日後に発表されるべき「戦後70年首相談話」に思いを馳せて居た。

さて、終戦記念日の陛下の戦没者追悼式でのお言葉は「ここに歴史を顧み、『先の大戦に対する深い反省と共に』戦争の惨禍が再び繰り返されない事を切に願い」と、『』部が追加された事からも分かる様に、例年よりも、そして首相談話よりもかなり踏み込んだストレートな物と為った。

その陛下のお言葉に比べると、前日に出された首相談話は正直伝聞的・間接話法的な内容で、特に侵略戦争の経緯を「国際秩序への挑戦者となって行った」と置き換えた処等は、自己美化の極みに聞こえるし(「挑戦者」って一体何なのだ?)、何しろ非核三原則の軽視や安保法案強行採決等の、昨今の政治行動との矛盾だけが際立つ。

一体我々は何時迄こんな言動不一致な首相、短時間で盗用がバレるレベルのロゴ・デザイナーや天文学的に予算オーヴァーの競技場、昭和過ぎるダサいユニフォームを擁する、東北復興を完全無視した不要オリンピック、言論や芸術に対する統制風潮、レヴェル4の火山から近い原発再稼働の恐怖等に耐え、忍ばねば為らないのだろうか…。