「手と指」の力:Izumi Kato@Gelerie Perrotin, New York。

第88回アカデミー賞のノミニーが発表された。

今回は各賞共実力派揃いの中々のラインナップで、恐らくはイニャリトゥ&ディカプリオの「レヴェナント」旋風が吹くのではと思うが(教授の曲も可成り素晴らしいし…)、個人的には「マッド・マックス/怒りのデスロード」に頑張って貰いたい!

それは前にも此処に書いた通り(拙ダイアリー:「パワフルで高品質、驚愕と期待の『続編』」参照)、云って仕舞えば監督ジョージ・ミラーが、長年このパーソナルなオタク世界観を作り続けて来たド根性と、本作に観るその完成度には敬服するしか無いし、或る意味「映画の総て」が盛り込まれた超絶エンターテイメントの大傑作だからだ。それにしても、今年のアカデミー賞からは眼が離せない。

そして、デヴィッド・ボウイが亡くなって仕舞った…未だ69歳だった。

実は僕は個人的にボウイと話した事が有って、それは僕がクリスティーズ・ロンドンでトレイニーをしていた時の事。当時僕は印象派部門のウェアハウスで、日夜オークション出品作品のカタログをして居たのだが、そんな或る日の午後、ボウイが近代英国絵画部門のスペシャリストと共に、いきなりウェアハウスに入って来た。

当然僕は「うわっ、デヴィッド・ボウイだ!」と飛び上がった。その時のボウイは小柄で細く、カッコ良いダブルのスーツをビシッと着て居て、その透き通るような白い肌と金髪、青い眼が異様に美しく、思わず見惚れて仕舞った程だったが、その後事態は風雲急を告げる…それはボウイと一緒に来たスペシャリストが、彼を置いて資料か何かを探しにウェアハウスから出て行って仕舞い、僕とボウイが30分以上2人っ切りで取り残されたからだ!

僕は特別ボウイの大ファンと云う訳でも無かったが、長い間ブリティッシュ・ロック・ファンだったし、大の映画好きだった僕は「ジャスト・ア・ジゴロ」も「地球に落ちて来た男」も、そして当然「戦メリ」も観ていたから、超緊張しながら「顧客」デヴィッド・ボウイとサシで話をする事に…。

それは、低く静かな声での「君は何処から来たの(Where are you from)?」と云う彼からの質問から始まり、どうして日本人たる僕がクリスティーズに入ったか(当時クリスティーズ・ロンドンには、アジア人は本当に少ししか居なかった)、日本や大島渚の事、そして彼が収集して居たモダン・ブリティッシュ・ペインティングの事迄を、彼は僕の眼をジッと見て話したが、此方から眼を逸らしたく為る程美しい顔立ち、そして極めてジェントルマンな物腰と口調が忘れられない。

顧みれば、何と貴重で贅沢な時間だったのだろう…20世紀を代表するロック・レジェンドのご逝去を、心から悼みたい。

さて日本→ニューヨーク→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→ニューヨークと云う旅程を、たった10日間で熟した酷い時差ボケの中、「一体僕は何者で、今は何日何曜日の何時、そして何処に居るのか…?」等と考える暇さえ無く、4日間に渡ったサンフランシスコでの重要な仕事を終えた今、漸く僕はサンフランシスコからニューヨークへと戻った。

そんなロンドンとSF出張の谷間だった先週末の丸1日半は、例えばバーク・コレクション展@MET日本美術ギャラリーでのトークの下調べをしたり、ジャパン・ソサエティー・ギャラリーの新ディレクターと為ったKさんのハウス・ウォーミング+バースデー・パーティーに顔を出したり、A女史&アーティストK氏やN氏、コレクターM氏夫妻やデザイナーS氏も参加してのメキシカン・ディナー@「R」を堪能したり。

が、今日の本題はアーティスト加藤泉のニューヨーク初個展(オープニング・レセプションを出張でミスしたのは、一生の不覚…)、「Izumi Kato」@ギャルリー・ペロタンだ!

本展では加藤泉渾身の全38作品が1階と地下に渡って展示されるが、1階の大きな絵画と彫刻は、ニューヨークの路面ギャラリーが持つ独特なプレッシャーにも負けない力強い作品群…が、僕が個人的に最もスゴいと思ったのは、実は地下に展示される「Untitled, 2015」と題された、白を基調とした「男女」らしき大型ポートレイトの2作品だ(僕は勝手に「アダムとイヴ」と呼んで居る)。

この内展覧会バナーと為った「男」らしき作品は、実は以前作家のスタジオで制作途中の段階を観て居るのだが、その時この作品が発していた異様な「美の衝撃」は忘れられない…そしてこの両作品の魅力の原動力で有り、今回の他の展示作品にも強くフィーチャーされて居るのが「白」。

「白」と簡単に云っても、強力な主張を持つこの色はタッチに拠って当然その趣を激しく変えるのだが、加藤の「指」や箆に拠って厚塗りされたこの作品の「白」のタッチとニュアンスこそ、美しさと強さ、抽象と具体、現実と架空、そしてシリアスネスとポピュラリティを合わせ持つ、加藤作品の権化と云っても良いと思う。

また僕は今回初めて観たのだが、ドローイングがこれ又素晴らしい。古い方眼紙やノートをコラージュし、其処に色鉛筆やグアッシュで描かれた作品は、加藤自身がパリの蚤の市等で探したアンティークの額に収められ、クラシックな雰囲気を持ちながらも作家「個人」の「息」と「手」を感じる、抽象と具象の間の類稀なる現代美術作品と為って居る…うーん、欲しいっ…。

そう、矢張り僕に取って加藤作品の最大の魅力は上にも書いた様に、作品の1つ1つから感じられる、作家の肉体の一部としての「手指」なのだ!

彼の絵画・素描・木彫・ソフビ作品全ての作品から発せられる、アーティスト個人の「手指」の力とは、云い換えれば最近流行りの現代美術の多くが失って居る、アートが持つべき「アーティスト本人に拠って造られた」と云う根本的な力の事で有り、それはここ数年僕も少々ウンザリして来たコンセプチュアル・アートやグループ制作、デジタル・アート等からは感じられない、生々しくも硬派な「パッション」の事でも有る。

さて、今回の加藤の個展での最初の購入者は、某有名SF映画に出演したハリウッド・スターだったらしい。

展覧会初日前日の未だ作品設置中に、外から覗いて興味を持った男性俳優Qが画廊に入って来て、即購入したと云う…「これぞニューヨーク!」的な話だが、これこそ上に書いた様に、加藤作品の持つポピュラリティとパッションの為せる技だったに違い無い。

73丁目&マディソン街のGarelie Perrotinで開催されているこの素晴らしい展覧会は、2/27迄…硬派なアーティスト加藤泉の、ニューヨーク・デビュー展覧会を是非ご覧あれ!


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。1/1発売の2月号は、日本初の西洋絵画美術館と為った「大原コレクション」を創り上げた、コレクターと画家の偉大なる「コラボレーション」に就いて。