「杳子」と「ツィガーヌ」。

ボウイに続き、イーグルスグレン・フライが亡くなった。

僕がイーグルスをリアルタイムで知ったのは、ドン・ヘンリーの歌うタイトル曲とランディ・マイズナーの名曲「Take It to the Limit」、そしてフライのヴォーカルをフィーチャーした「Lyin' Eyes」が大ヒットした「呪われた夜(One of These Nights)」と云うアルバムで、 僕はその暗さに強く惹かれた。

そして次作の「より暗い」名盤「ホテル・カリフォルニア」の中での「New Kid in Town」は、フライの優しいヴォーカルの極致とも云え、ヘンリーとの好対照なツイン・ヴォーカルはイーグルスの要だった。60代での逝去は矢張り早い…残念で有る。

さて、この間の日曜には雪も降ったニューヨーク…東へ西への出張の疲れも有って、家で本を読んだりネットを見たりして居たが、今の日本のメディアが扱うニュースは何と下らないのだろう…。

日本のマスコミの質の低下は今に始まった事では無いが、無性にイライラするのは、例えばSMAPの解散問題の取り上げ方だ。

世界的に見れば歌も踊りもあのレヴェルで、大体40も過ぎて未だに徒党を組んで居る大の男達が解散しようがどうしようが、どうでも良くは無いか?然も驚く事に、NHKも夜9時のニュース(然もANA機内のヴィデオ・プログラムで見たのだ…涙)で数分間も割いてこのバカバカしいニュースを伝え、首相や官房長官も国会で「この問題」に就て答弁し、国全体でアホの上塗りをした。百歩譲って「解散した」と云うならいざ知らず、もっと伝えるべきニュース、国会で掘り下げるべき問題が有るだろうに…本当にイライラする。

そんな中、先週木曜は久し振りにチェルシーのオープニングに出向き、David Zwirnerで始まった「Yutaka Sone: Day and Night」とPetzelでの「Hiroki Tsukuda: Enter the O」2展覧会をハシゴ…その後はチェルシーの「P」で、水戸芸のTさんやA女史&アーティストK氏、K&A&H等と食事。

土曜日の昼前からは、MET日本美術ギャラリーにて日本クラブ主催の「バーク・コレクション・ツアー」でレクチャー。「女性ならでは」の美しきコレクションを受講者の皆さんに解説したが、男女神像と「十牛図」の素晴らしさを改めて確認する。

その夜はステーキハウス「B」にて、日本からのギャラリストN君、最近荒川修作ファウンデーションに入ったT女史、Kファミリーとのディナー、その後ミッドタウン・イーストの「T」に移動すると、アーティストK&A女史、JSのKさんや水戸芸のTさん、文化庁派遣のアーティストお二方が合流し、夜半過ぎ迄盛り上がる。

雪が降った日曜はゆっくり起き、イースト・ヴィレッジでマッサージを受けた後、家で古井由吉芥川賞の名作「杳子・妻隠」を再読了…改めて読んでも、この2編の小説のスゴさに感動する。静かに、然し細部に異常に拘った心理と性、そして病める精神と肉体のバランスの危うさの描写が、鬼気迫る執拗な文体で描写される。

この2編を読むと、物心付いてから自分が女性に対して常に持ち続けて居る、何とも云えない複雑な愛憎感情を見透かされた様な気がして居心地が悪く為るが、「愛」とは所詮「一組の男女が或る特殊な共通項を見つけ、その共有を確認する事」に過ぎないのでは無いか、と云う気もして来る…「杳子」と「妻隠」の2篇は、個人的には世紀の傑作と云って良い。

実はこの「杳子」、1977年に山口小夜子主演・伴睦人監督で映画化されて居るのだが、僕は未だ観た事が無い…非常に映像化の難しい作品だとは思うが、これだけ素晴らしい本なのだから、誰かチャレンジしてくれないだろうか?

翌月曜日は、マーティン・ルーサー・キング・デイの祝日。久し振りに建築家J君&デザイナーAちゃんカップル、写真家G君とディナーをし、近況報告。焼鳥を突きながら、昨年急にご母堂を亡くしたと云うG君を慰め、婚約したカップルの将来を祝福する。

そうこうして居る内に、何と再びの来日…機内では観たい映画ももう無かった為、仕方無くヴィデオ・プログラムに入っていたドラマ「家政婦のミタ」を観てみるが、これが案外面白く、第8話迄一気に観て仕舞ふ。

心に深い傷を負い、決して笑わない家政婦サイボーグ化した松嶋菜々子(「承知致しました」の台詞が耳にこびり付いて離れない)や、優柔不断なダメ父・男の長谷川博己の演技が中々良い(居るよね、ああ云う人…笑)。帰紐育便での残りの回が楽しみスグル。

そして帰国後トリプル、いやクワトロ・ジェット・ラグを抱えて向かったのは、汐留の朝日ホール…嘗てベルリン・フィルのコンサート・マスターだったヴァイオリニスト、コリヤ・ブラッハーのリサイタルだ。

このコンサートに招いて下さったのは、ブラッハーが弾く1730年作のストラディヴァリトリトン」のオーナーで、僕の重要顧客でも有る大コレクターのK夫人…今回のリサイタルは、「トリトン」の貸与の条件として「彼女の為に年2回弾く」、と云う条件を充たすリサイタルでも有ったのだが、客を出迎える美しい夫人の姿は流石の貫禄だった。

人で溢れる会場ロビーでは、例えばニューヨーク時代に僕の生徒さんだったA外交官夫人や、クリエイティブ・ディレクター&キュレイターのAカップル、東大中国絵画のI先生や民放アナウンサーのA女史等、数多の友人知人にバッタリ会い、旧交を温める。

そして肝心のコンサートは、バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調」、ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調」、リヒャルト・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調」、ラヴェル「ツィガーヌ」、そしてアンコールはラフマニノフの「ヴォーカリーズ」と云うラインナップだったが、何しろラヴェルラフマニノフが素晴らしかった!

特に「ツィガーヌ」はバスク人の血を引くラヴェルらしい、例えば「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」の様な、或る意味スペイン人以上にスペイン的な曲で、「ロマ」(ジプシー)の意味のタイトルを持つこの曲は強い「カルチュラル・ボーダー・レスな民族性」に裏打ちされて居て、僕みたいなボーダーレス・カルチャーに興味を持つ者に深い感動を与える。

そしてブラッハーと「トリトン」は、このドラマティックでパッショネイトな曲を完璧に仕上げたのだが、「ツィガーヌ」を聴いて何故か急に思い出したのが、上に記した古井由吉の「杳子」で有った。

この2篇の芸術作品は、一見(「一聴」&「一読」?)すると互いに相反する芸術の様に思える…が、繊細な心理描写を静かに著す小説と情熱を雄弁に語る音楽との、両極だからこその人間の自然な情熱の根本が僕には同じに思えて、その2つを結び付けさせるのだ。

「杳子」と「ツィガーヌ」が僕の中で結びついた瞬間、頭の中では「杳子と『彼』役には誰が良いだろう?」「監督は?」等の妄想が駆け巡り、夜も眠れない(笑)。

嗚呼、誰か「杳子」を映画化してくれないだろうか…?


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。1/1発売の2月号は、日本初の西洋絵画美術館と為った「大原コレクション」を創り上げた、コレクターと画家の偉大なる「コラボレーション」に就いて。