「D」の奇跡。

今年も既に10日が経過…が、今月の僕の「飛行距離」は半端で無く、考えただけでも体が重い。

さて正月3日は歌舞伎の後、新宿のオバちゃん中華「G」で、ベルリンから一時帰国中の渡辺真也君と会い、「牛肉とジャガイモのうま煮炒め」等を突きながら、ディスカッション。

現在ベルリンの大学で教鞭を取りながら研究中の彼は、僕も微力ながら手伝って居るユゼフ・ ボイスとナム・ジュン・パイクのコラボ・アートを基にした映画「Searching for Eurasia」(→http://www.shinyawatanabe.net/soulodyssey/)を完成させ、現在ベルリン映画祭等にエントリーして居るのだが、彼の頑張りに報いる為にも、是非上映に漕ぎ着けたい…頑張らねば!

翌4日帰紐育の日、成田の出発ラウンジでは「教授」とバッタリお会いし、久々にご挨拶。以前よりお元気そうで何よりだった。そして機内では、火星にたった1人取り残された男の救出劇を描く「オデッセイ(原題:The Martian)」と、「ロバート・アルトマン/ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男」の2本を観る。

「オデッセイ」は、リドリー・スコット監督作品。最高傑作と迄は云えないにしても、かなり良く出来て居て、何しろ「最悪の事態」の話なのにも関わらず、話も主演のマット・デーモンもしつこく無く、何処と無く明るい所が流石に秀逸。また「アルトマン」の方は、ご存知「MASH」の監督を追ったドキュメンタリー・フィルムだが、此方も鬼才アルトマン本人と彼の手法を称しての所謂「アルトマネスク」に肉薄する出来で、見応え充分…この2作は、観て決して損は無い。

そんなこんなで、朝起きるとマイナス5度の厳寒のニューヨークに戻ったのも束の間、1日半だけ滞在すると、今度は3年振りのロンドンへ…シニア・メンバー・スタッフの為の、丸2日間缶詰と為る「オフサイト・ミーティング」の為だ。

夜便で発ち、翌早朝ヒースロー空港に着くと、それ程寒くは無いがロンドン独特の小雨が降って居て、外はこれもロンドンの冬らしく真っ暗。ガランとした入国審査を経てタクシーに乗り、荷物を置きにセント・ジェイムシスから一寸入った所に在る常宿の「D」へと向かう。

僕はロンドンに来ると、必ずこのこじんまりとした「D」か「S」(拙ダイアリー:「それでも、ロンドンがお好きですか?」参照)に泊まるのだが、この日「D」に着くと、早朝にも拘らず何と部屋は準備出来ていて、流石と感心。

荷物を置き珈琲を一杯飲むと、その足でキング・ストリートのオフィスに出掛け、オフサイトの初日…朝8:30から夕方5時迄のミーティング&ディスカッションは、マーケティングやクライアント・マネイジメント、セール・ストラテジーやコラボ・トレーニング等多岐に渡っての物で、実際東京→ニューヨーク→ロンドンの「ダブル時差ボケ」の中ではかなり辛かったと告白せねば為らないが、何とか生き延びた(涙笑)。

ロンドン2日目の朝は、時差ボケのお陰で早起きし、水温が上がる迄の数分間を待ってから、円盤固定式のシャワーを浴びると、懐かしの「D」の朝食を頂く。

ホールウィートの薄切りトーストに、熱々のホワイト・コーヒー、ポーチド・エッグと太く柔らかい英国風ソーセージ2種、マッシュルーム、トマトとポテトの「フル・ブリティッシュ・ブレックファスト」…英国では何しろ朝食が一番美味い。

そんなパワー・ブレックファストのお陰で2日目も何とか乗り切り、その後幾つかのミーティングを熟すと、夜は10年以上ご無沙汰して仕舞った、古いお付き合いのロンドン在住日本人顧客M氏とディナー。

M氏と初めて会ったのは、もう20数年前の事…僕がクリスティーズ・ロンドンで人生最大の危機的状況の元、19世紀絵画部門でトレイニーをして居た時の事だ(拙ダイアリー:「本物の『貴族』との再会」参照)。

M氏は19世紀絵画を専門とする画商で、当時ロンドンで、また美術業界で右も左も分から無かった僕は、M氏に公私共に散々お世話に為ったのだが、今回久々にお会いしたM氏は御髪が白く為った位で、相変わらずニコニコと元気そうな笑顔が印象的だった。

そして、メイフェアに出来た新しい和食店でのM氏との会話は、懐かしい人々の話から始まり、外国に長年住む者同士が持つ痛切な憂国論、日本文化の消滅危機、日本や世界政治の甚だしい劣化等に移行して行ったが、僕の生意気でエクストリームな政治的持論を聞いても、M氏の笑顔と懐の深さは昔と変わらず消える事は無く、弾丸出張の僕を暖かく迎えて呉れたM氏は真の大人だ、と感動する。

4時間近く話した後、M氏と再会を約して別れると、外は小雨…僕は1人でメイフェアからピカデリーに出、セント・ジェイムシスへと歩き、デューク・ストリートに入ると、右手の壁に貼って有る「ショパンは1848年、人生最後の公開演奏をしに、この家からギルドホールへと出掛けた」と書かれたブルー・クラーク(銘板)を横目に、路地を左へ折れる。

湿った闇の中、その右手に街灯の柔らかな光と共に佇む「D」へのステップを数段登ると、ドアマンの静かな「ウエルカム・バック、サー」と云う声に招き入れられる。左手に有るフロントで「おやすみ」を告げて飾りの付いた重厚なキーを受け取り、狭い通路を抜けると、大人が3人乗ったら一杯に為りそうな小さなリフト(エレベーター)に乗り込み、動いて居るか居ないか分からない位のスピードでゆっくりと登る。

リフトを降り、迷路の様に曲がりくねった細い廊下を歩き、記憶を頼りに漸く自分の部屋に辿り着くと、低い位置の鍵穴に重い鍵を差し込み、ハンドル形の変わったドアノブを廻す。

重いドアを開け、決して大きくは無い部屋に入り、だが完璧にメイクされたダブルサイズのベッドや磨かれた古風な家具を改めて感心しながら眺め終わると、ジャケットや荷物を置いて、数分間掛けて水が暖かく為るの待ってから、深く大きいバスタブにお湯を溜めて身体を沈める。

そうして英国での日付が変わった頃、湯船の中で長い溜息と共に目を瞑って伸びをし、両手で掬ったお湯で2度程顔を洗うと、翌朝ニューヨークへと戻る事、翌週頭に西海岸に飛ぶ事、その後1度ニューヨークに戻った後、再びアジアに戻らねば為らない事、を考えても、何故か旅の疲れが僕の身体から流れ出て行った気がした…これを「奇跡」と呼ばずに、何と呼べと云うのだ?

「D」と云うホテルは、そんな「パーフェクトネス」を持った、英国的な、余りにも英国的な奇跡のホテルなので有る。


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。1/1発売の2月号は、日本初の西洋絵画美術館と為った「大原コレクション」を創り上げた、コレクターと画家の偉大なる「コラボレーション」に就て。