島田雅彦「彗星の住人」読了と、ゴダールの「気狂いピエロ」。

不覚にも、涙してしまった。

「遅くやってきた読者」としては、「徒然王子」まで行き着くのは大変だが、がしかし、純粋な余りに純粋な「恋」とはこう云う物だ、と改めて確認させられた。最近の著者のブログを読むと、聊か気力を失われている様にも見受けられるのだが(特にM上H樹がこんなに売れている現在)、島田氏はこの様な「大恋愛国家小説」が書けるのだから、何の御心配にも及ばない。

「恋」はいつも必要悪で、人の側に存在せねばならない。手を触れなんとする勇気は、日に日に衰えて行くが持ち続けねばならない。バルザック曰く「諦めは日常的な死である」。そう、恋を諦めてはならない。そして「無限カノン」第二部に突入した。ガンバレ、カヲル!!

話は変わって、たまたま「OVATION TV」を見ていたら、ゴダールの「Pierro Le Fou(邦題:気狂いピエロ)」をやっていて、何十年ぶりに見入ってしまった。ベルモンドの若さも驚くが、構成・場面転換がスゴイ。

ゴダール作品は蓮実重彦先生(大学時代映画表現論を教わった)の影響でかなり見ているのだが、「気狂いピエロ」に関して云えば、最初は15−6歳の時、当時国立に在った「スカラ座」で観た記憶がある。これと同監督の「勝手にしやがれ」は、最後のシーンのカタルシスが、憤懣遣る方ない青春時代に何と刺激的だったことか。

高校生の癖に霞町で寝転んで、煙草を咥え、「お前は最低だ」と呟く。大学受験もフランス語だったので、「Allez vous faire foutre」など口走るのは簡単だった。

若かりし頃、気取ってて「最低だ」った…反省至極。