「師弟愛」、或いは「セッション」。

気候も大分マシに為り、「Asian Art Week」も始まった先週のニューヨークで時差ボケと戦いながら、先ずは日本からの重要顧客Wさんをアテンド。

Wさんと以前約束していた、某美術館に勤める超優秀なアート・ロイヤーを紹介する為にダウンタウンに向かい、今NYで勉強中のWさんの姪御さんも誘って、ロイヤーのオフィスの近所の「D」で美味しいチキンを頂く。

その後はVIP顧客がロウワー・イーストサイドに開いたギャラリーを訪ね、彼にWさんを紹介すると、流石の彼はWさんの美術館を知って居て、お互いナムジュン・パイクの話で盛り上がり、「人は当に『縁』だなぁ」と痛感する。

そして、Asian Art Week…僕の勤めるクリスティーズ・ニューヨークでは、「エルズワース・セール」の大規模な下見会が始まったが、新しく作られたギャラリーを使っての展示が新鮮で、エルズワース氏のリヴィング・ルームを再現したホワイト・キューブや氏の若かりし頃のハンサムな写真、日用愛用品を飾って売却する試みは、如何にも「コレクション・セール」としての華やかさが有る。

昨夜のレセプションも満員御礼…明日の「イヴニング・セール」から始まる、全作品が「ノー・リザーブ」(底値無し)で売却される「エルズワース・セールス」、乞うご期待だ!

そんな中、街中では日本美術の展覧会が花盛り。ジャパン・ソサエティでは平木浮世絵博物館からの「猫」の版画の展覧会「Life of Cats」が始まり、Koichi Yanagiでは美しい桃山期の吉野山図屏風が客を迎え、JADA(Japanese Art Dealers Association )のオープニング・レセプションでは、素晴らしい鍋島焼の数々が並ぶ。

JADAのレセプション後は日米の有力ディーラー、日本の某公立美術館館長、コロンビア大の日本美術教授、プリンストン大の高麗茶碗研究者等の総勢9人で、イタリアン「S」でのディナー…今迄の人生で食べた中で最も美味い「コトレッタ・アラ・ミラネーゼ(ミラノ風カツレツ)」を頂いた。

で、此処からが本題…今日は最近機内で観た、「師弟」をテーマにした映画作品に就いて。

その作品とは「セッション」…デミアン・チャゼル監督の処女作だが「作品賞」を含む今年のアカデミー賞に5部門ノミネートされ、鬼教師役のJ・K・シモンズ助演男優賞、編集、録音の3部門を受賞した話題作だ。

この映画は優秀且つ理想の高い、厳しい音楽教師とジャズ・ドラム専攻の学生との、或る種「異形の愛」と呼んでも良い関係性をテーマとしたドラマで、僕自身は自分の過去を懐かしく思い出し、苦笑したりしながら観たのだが(笑)、今の日本の教育関係者が観たら恐らく卒倒するのでは無いかと思う位、教師の生徒に対する激しい精神的・肉体的ハラスメントに満ち溢れて居る。

なので、この映画を観終われば、原題に付けられた「Whiplash」(鞭打ち)の意味を十二分に理解出来るが、日本ではその直訳では困った事に為るだろうから、音楽映画っぽいタイトルの「セッション」としたのだろう。

が、実は僕は常々体罰やこう云った「追い詰め教育」が100%悪いとは思って居ない派なので、それは「ホンモノ」がそう云った環境から出て来る可能性や、自身の隠された「天分」を知るチャンスに為り得る事を、自身の経験上から知って居るからだ。

そして時に「師弟」の愛の形は複雑怪奇で、例えば男女間でもお互いが納得済みのSM関係が有ったりする様に、所謂「相性」の善し悪しが有る訳で、外から見ればハラスメントでも互いの凸凹がピッタリと合う関係性は確実に存在すると思う。

それは僕が今の会社に入る前、大学を人より2年遅れて出てもバブル経済のお陰で新卒で入り、3年一寸働いた半外資系広告会社での事。僕が最初に配属されたのは、JRA日本中央競馬会の広告を担当する営業局だった。

そして、僕の人生初上司と為ったU局長と云う人がこれまたスゴい人で、業界に名立たる「マル暴」局長の異名を持ち、スラッとした出で立ちだがパンチパーマ、細く鋭い眼に口髭と云った具合で、Uさん好みのトラッドなスーツを差し引いても、何時もポケットに両手を突っ込み、食後など楊枝を咥えて肩を揺すって歩く姿は、もう「マル暴」関係者以外の何者でも無かった。

さて僕が社会人として初出勤した4月1日、Uさんは休みを取って居たので、新入社員の僕がUさんに初めて会ったのは翌日の入社2日目。その時のUさんは、唯でさえ細い眼をより一層細めてニッコリと微笑み、鉛筆とノートを僕の所に持って来ては、「桂屋君、何でも此処にメモするんだよ。何か判らない事が有ったら、遠慮なく聞けば良いからね」と優しい声で囁いた。

そして僕はUさんの笑顔とその優しさに心を打たれ、「見掛けは怖いけど、良い上司で良かった…頑張らなくちゃ!」と心に誓ったのだが、その翌朝から僕のUさんへの評価と誓いは、脆くも崩れ去ったのだった…。

何しろ朝から晩迄、部下がヘマをするとフロア中に響く大声で怒鳴り散らす。書類で頭を叩く等当たり前で、時にはビンタや抓り迄入る。そして右も左も分からない新入社員の僕がヘマをすると、あの怖い顔を僕の顔に至近距離で近付けて、

「おいマゴ、お前人様より2年遅れて会社入って来てるんだから、年からすりゃぁ入社3年目と同じだ。2年間嘸かし人生経験して来たんだろうから、入社3年目が出来る事をお前が出来なかったら、張り倒すから覚悟しろよ…」

とスゴまれたが、実際何度「くぉら、マゴ〜!一寸来い!」とフロア中の社員に聞こえる声で呼ばれ、社員達の注視の中叩かれたか分からない。そして叩かれ俯きながらチラ見した局の先輩社員達はと云うと、当然誰も助けて呉れ無いばかりか、Uさんのシゴキを生き延びた彼等は、何と笑いを堪えるのに必死だったのだ!

聞けば僕の入社する前の3年間、U局に配属された新入社員は皆1年持たずに退社したとの事。そして僕はその後もUさんに、歩き方や姿勢、人の眼を見て話す態度、財布の中身迄注意されたりしたのだが、その「財布事件」は特に思い出深い。

入社後1ヶ月くらい経った或る日の事、突然Uさんが僕のデスクにやって来て「財布を見せろ」と云い、僕がスーツやら靴やらを買った為に7千円位しか入ってなかった財布を見せると、首根っこを掴まれて会議室に連行され、いきなりビンタされた。「何するんすか!」と僕が叫ぶとUさんは、

「おいマゴ、営業の癖に財布に此れしか金が無くて、客先でいきなり『桂屋さん、今晩飯でもどうですか』とか云われたら、お前客に金出させる気か?営業は最低でも、常時3万は財布に入れて置け!」

と怒鳴った。

悔しいが、誠に真理では有る。そうして僕は毎日Uさんに、「お前は何も出来ない、無能な給料泥棒だ!早く辞めちまえ!」と怒鳴られ続け、打ち拉がれた僕は入社からの数ヶ月の間、何度辞めようと思ったか判らない…が、辞められなかった。それは「本当に自分は『何も』出来ないのか?」と自問し続けた末、或る朝「何か」をしようと決心したからだ。

そして僕が無い知恵を絞り、考えに考え抜いた末のその「何か」とは、前の晩どんなに遅く迄仕事をしても、毎朝始業時間の1時間半前には出社して、フロア中の始業前に鳴る電話を走って取って回り、誰も居ないデスクにメモを残す事…この事を決めた翌朝からは、出張の日を除いて唯の1日もこの日課をサボった事は無かった。

そんなこんなで、怒鳴られ怒突かれ続けた1年後、入社翌年3月末の年度末ミーティングで、驚くべき発表が有った。何と何1つ満足に仕事が出来なかった僕が、当時「猿のウォークマン」のCM等で世界的評価を得て居た、売り上げトップのエリート集団で有るSONY担当局に異動するとの事…その理由は、朝の早いSONY担当局長が、毎朝早くから駆けずり回って電話を取ってはメモを置いて居た僕を見て、「アイツは何処の若僧だ?」と興味を持ったからだと云う。

そうして異動が決まった僕が1年間お世話に為ったU局を去る日、Uさんは僕にこう云った。

「マゴ、俺もお前が朝早く来てるの知ってたぜ。俺の下で1年耐えられた奴なら、世界中何処行ったってやって行ける…自信持って良いぞ。S局でも頑張って、俺の面汚すんじゃねえぞ!」

もう有り難くて、涙が出て、仕方が無かった。

長く為って仕舞ったが、これが僕の「セッション」的体験談…子供の頃から親にも学校の先生にも殴られて来た割には、そんなに曲らず、捻くれもせずに育った(と思ってるのは、自分だけかも?:笑)僕は、この「セッション」と云う作品を観て、不快感が全く無いとは云わないが、妙に納得し共感した処も多々有った事を告白せねば為るまい。

「師弟」の関係は、其処に「愛」や「理想」が有れば有る程「親子的」で有り、また苦痛が最終的に歓びに変わると云う意味では「SM的」ですら有る。この「セッション」と云う映画は、僕にUさんを思い出させて呉れただけで無く、今の僕のビジネスマンとしての土台を造って呉れた彼の厳しさに、改めて感謝の意を表したい気分にさせたのだった。

映画の最後の最後で、弟子のドラマーに対して「ドS」的にニヤッと笑う、J・K・シモンズの顔が忘れられない…俺ってやっぱり、唯の「ドM」なのだろうか?(笑)