さらばニューヨーク、さらば「ニューヨーク・アートダイアリー」。

「17年」と云う年月は短い様で長く、長い様で短い。

今から思えば、2000年3月に東京からニューヨークにやって来た時の僕は、今の僕とは似ても似つかない人間だったに違いない。年齢、体力、語学力、考え方、生き方…そして過去の僕は、この17年間で一新された。

今回のニューヨーク在住の17年間にも、数々の想い出が有る…住み始めて1年後に起きた「9.11」。現重文の伝運慶作「大日如来像」を、今でも日本古美術品としてはオークション史上最高額の14億3千万円で売った事。オバマ政権の誕生。プライベート・セールで世界の美術館に重要な若冲や南蛮屏風を売った事。トランプ政権。藤田美術館セール。そしてつい最近、某重要アメリカ個人コレクションを一括して日本に里帰りさせた事…数え上げればキリが無い。

今日僕はこの街に別れを告げるのだが、何故か寂しさや悲しさ、遣り残し感は無い…いや、遣り残した事と云えば、仲の良いアラフォー&シングルの男達、K・U・T・Gの4人の結婚式に出れなかった事位か(笑)。

それは、思い返せばその昔2年弱ニューヨークに住み、ロンドンに1年間住んだので、人生で都合20年を外国で過ごした訳だが、もうこの辺で良いだろう、とも正直思ったからなのだろうか。

或いは、ニューヨークには2通りの日本人が居て、日本には2度と帰らないと決めて居る人と、何時か帰ると決めて居る人なのだが、僕は来た時から後者だったし、父が5年前に亡くなって以来色々な意味で日本に帰らねばと思って居たので、寂しくないのかも知れない。

が、これから僕が戻る国の現状は最低だ。

総理を始めとして、品も教養も無く法律すら碌に知らない(今回の都議選に関する、防衛大臣自民党応援発言とその擁護発言を見よ…馬鹿か、あの大臣?そして罷免出来ない総理は、もっとタチが悪い)嘘吐き大臣達で固められ、「三本の矢」も夢の又夢のインチキ経済政策の現政権は早く打倒されねばならないし(先ずは都議選だ!)、この侭ではオリンピックも「ダサリンピック」で終わるで有ろう、日本。

そんな国に自ら戻る事を選んだからには、微力ながら世直しに精を出したい。若い人に世界の広さとアートの素晴らしさを伝えたい。日本の伝統文化芸術を守り、新しい芸術が生まれる環境を作りたい。そして今度は、日本に於ける"Legal Art Alien"として生きて行きたい。

と云う事で、こんな僕を17年間も支えてくれたこの街とこの街の友人や同僚、この街のアートとこの街に住んで必死に生きて居るアーティスト達に、心からの感謝を捧げる。

さて今朝ホテルをチェックアウトし、Kさんに最後のヘアカットをして貰った僕は、ニューヨーク最後の昼食を何処で取ろうかと考えあぐねた末、余りに天気が良かった事も有り、結局昼休みに良く1人で、或いは友達とランチを持って食べに行った、ブライアント・パークに行く事にした。

サンドウイッチと飲み物を買い、混雑する公園の中を5分程歩き回って、漸く椅子を見つけ、座って空を見上げると、緑が眩しい樹々の間から高層ビル群が見える。

僕の目前を楽しそうに語らい、忙しそうに通り過ぎる、如何にもニューヨークらしい多人種・老若男女の喧騒を他所に、イヤフォンを付けて映画「グランド・フィナーレ(原題:Youth)」(拙ダイアリー:「美しい芸術は『愛の在り処』を標す」参照)のテーマ曲「Simple song #3」を聞くと、煩かった周囲の音と云う音は掻き消され、スミ・ジョーの歌声だけが忙しく蠢く風景のBGMに為った。

そしてあの映画がそうだった様に、この曲は僕に自分の年齢と人生を省みさせ、自分が思ったよりも遥かに広い世界の中の小さな存在だと云う事、然し「僕だけが僕で有る」と云った自信、そして「僕は僕だけの存在ではない」と云う確信が、初めて、ほんの少しだけ僕を感傷的にさせた。

そう、ニューヨークとは当にそう云う街だった…今から4時間の後、僕は旅発つ。

Farewell my lovely New York, farewell my "New York Art-Diary"!!


ーお知らせー

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