藤本壮介の「未来の未来」。

いきなりだが、東京都の観光「ボランティア」のユニフォーム・デザイン(→http://matome.naver.jp/odai/2143331249803511701)をご覧になっただろうか?

何とダサいデザインなのだろう…本当にウンザリするし、これではオリンピック全体のデザインも開会式も推して知るべし。ザハには国立競技場の違約金を払う様だし、恥晒し五輪を止めるなら今しか無い!(涙)

てな話は傍に置いといて、先週も数多の人に会い、展覧会を楽しんだ。

美味しい中華料理店「S」で元祇園の超売れっ子芸妓Aさんに紹介されたのは、アーティストのMさん。ナフタリンを使って「時」と「存在」を語るアートで有名なMさんは、お父様の関係で学生時代から舞妓さんに為る前のAさんをご存知だとか…アートを始め人生や祇園の話迄、「両手に花」の粋で楽しい一夜でした。

また久々に会った北陸の道具商T氏とは、T氏推奨の平河町の天麩羅屋「T」へ…此処ではもう驚きのご縁の連続で、年の頃70位の「T」のオヤジさんに修業先を聞くと、何と嘗て僕の神田の実家の直ぐ近所に在った「天政」だと云う。

当時僕の家族が通った「天政」は所謂「お座敷天麩羅」で、政治家や有名人等も良く来た店。或る晩僕ら家族が行った時、相撲の高見山が来て居たらしいのだが、天政のオヤジが云うには「もう良い加減にしろってんだよ…海老だけ『250本』も食いやがって!」と怒って居たのを思い出す(笑)。

その上「T」のオヤジさんが僕の父親の実家の事を聞くので、近所で叔父がやって居たホテルの話をしたら、オヤジさんは中学の修学旅行の際、何とその叔父のホテルに泊まったと云う(因みに田原俊彦も泊まったと、以前テレビで云って居た:笑)!「ご縁」が旨い天麩羅をより旨くした晩と為った。

その翌晩はシュー・メイカーT氏とかいちやうを訪ね、頼んで有った「僕似」茶碗の箱書を受け取る。箱裏に墨書された銘は「黒不動(トス)」…が、この銘はその前に書かれた「故アッテ」がミソ(笑)。その後はお茶室で一服頂き、男3人で行った代官山の行きつけ「A」では、Kシェフ絶品の大好物ガスパチョや肉を頂き大満足。

そして週末は現代美術系の友人達と会ったが、某現代美術館の学芸員T女史を囲む恒例の「T会」は、これもサッパリ&超美味な六本木の中華「K」で。

然し出席者中男はコレクターT氏と僕の2人だけで、後はT女史、ギャラリストのY、U、K女史、ベルリンから帰国したアーティストSさんの、云ってみれば「女子会」中の黒二点…料理も色々、人生も色々な超盛り上がりの夜でした。

翌日某私立美術館では、オーナー氏からのご招待で、氏のご家族やドクメンタ出展のカナダ人アーティストと和気藹々と夕飯の食卓を囲む。食事中は美術品の「霊祓い」や、鎌倉に居らした僕の祖父の親友のご縁で盛り上がり、最後は僕の「出馬」話で終了…ウーム、人生は一度きりだしなぁ(冗談です)。

翌日曜日は朝イチから現代美術コレクターY氏と、東京美術倶楽部で開催された「アンティーク・フェア」にご一緒する。Y氏もそうだったが、Y氏の友人でお茶をやられる浅草の置屋K氏も眼がランランとして居て、将来可也有望ナリ…こう云う人が出て来ないと、骨董業界も詰まらない(笑)。

さて今度は展覧会…先ずは原美術館で開催中の「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」展へ。

ここ数年、海外アート・マーケットでのトゥオンブリーの評価は鰻上りで、然も日本では此処迄の規模の個展は無かったと云う事、また開催が原美術館と云う事も有って訪ねたのだが、トゥンブリーの即興性と構築性の双方を堪能出来る、予想を裏切らない展示に満足。

またワタリウムでは、館蔵名品展「古今東西100人展」を観る。

「100人展」と謳っては居るが実施は115人の作家の作品が、オールドマスター絵画に出て来るコレクターの邸宅内図の様に、壁一面に飾られて居る。シュタイナーやビアード、ギンズバーグやウォーホル、パイクやボイス、メイプルソープマン・レイ、チンポムや坂口恭平迄、もうこれでもか!の時と場所、ジャンルを超えた爆発展示…ワタリウムの蔵の深さに驚きを隠せない必見の展示だ。

が、此処最近の僕のイチオシ展覧会はと云えば、間違い無く乃木坂「ギャラリー間」で開催中の展覧会、「藤本壮介展 未来の未来」だろう!

藤本壮介の作品は、以前それこそワタリウムで展覧された時に観た事が有るのだが(拙ダイアリー:「忙中『宴』有り」参照)、今回ダッシュで観に行ったのも、実は和多利さんに「早く、絶対に、観に行くべきだ!」(展示は今月13日迄)と強く勧められたからだった。

ギャラリーに所狭しと並べられた、藤本に拠って国内外で建てられた、或いは現在進行中の建築モデルの数々は、何ともイマジネーション豊かでイノヴェイティヴ…まるで「夢の建築遊園地」の如きで、藤本の云う「建築をつくると云う事は、『未来の種』を蒔く事だ」と云う事が良〜く判る。

然し藤本のそれは、単に「未来の予想」や「未来を決めつける」完成された未来予想図では無く、飽く迄も「可能性の種」で有り、その種がまた新たな未来を予感させると云う、不確実だが実に希望溢れるモノな所が素晴らしい。

さて建築とは、何時でも何処でも土地の文化的背景や立地条件、そして依頼主の要望を考えざるを得ず、結果的に最も厳しい実用性を求められる芸術分野だろうが、そんな建築分野だからこそ、他のアート以上に「夢」が必要だと僕は思って居て、そしてそれは公共性と云う視点からも、決して建築家のエゴでは代用出来ない「人類の夢」で無ければ為らないと思う。

僕は藤本壮介の作品を観ると必ずその「夢」を感じるのだが、それは恐らく何時でも彼の頭の中に、本格的な「人類の未来と夢」が渦巻いて居るからでは無いか。

そして「ギャラリー間」の2フロアと中庭に並べられた、未だ建築としての形を全く為して居ないモノ迄も含む藤本のモデル達は、まるで宝石の様で、子供のみ為らず、僕が観に行った日に多かった外国人を含めたオトナ達をも童心に返し、そのモデルを観る目をキラキラと耀かせる程に、魅力に充ち満ちて居るのだ!

藤本壮介の「未来の未来」は、決して絵空事では無い…実現可能な、僕らの夢でも有るのです。