里帰りする「襖絵」。

今日は、昨日のダイアリーでも少し触れた、一昨日終了した日本・韓国美術オークション出品作品中の「ちょっと良い話」を。

この話の主役は、オークション・カタログ中のロット537、龍安寺旧蔵の「中国仙人図」4面と「河辺唐子図」2面の襖絵である。

先ず、この六面の襖絵の概要を説明せねばなるまい。この作品は1606年、細川氏(幽斎か三斎)に因って発注され、狩野孝信とその周辺絵師に拠って制作されたと云われている。明治政府に拠る「廃仏稀釈」政策に拠り、仏教寺院は財政困難に陥り什物を手放すが、京都の龍安寺もその例外では無かった。そして都合71面とも云われる龍安寺の襖絵群は、1895年に東本願寺に引き取られ、今回出品の6面は恐らく三井高昶の仲介に拠り(その件に関しては、1895年11月3日付の高昶の日記にその旨の記述が見受けられる)、九州の炭鉱王伊藤伝右衛門の元に移った。

その後この6面の襖絵は、九州でホテルを経営する一族の手に渡っていたが、筆者がニューヨークに渡っての最初のオークションである、2000年3月の「日本・韓国美術セール」に出品され、その時に別の個人コレクターに購入されたのだが、10年振りにマーケットに戻って来たのであった。

この襖絵の貴重性は、当時龍安寺の石庭を見渡す「旦那之間」中央部屋の北側に在ったと云う事が確認されている点でも、その歴史的価値が高い。因みに同部屋に在った残りの襖絵の一部は、メトロポリタン美術館とシアトル美術館にそれぞれ収蔵されている。またこの襖絵群が龍安寺旧蔵品だと判明したきっかけは、1989年にMETが購入し修復した際に墨書が見つかった事に拠る、と云う事も付け加えておこう。

さて、話は此処からである。

下見会前の或る日、或る顧客から連絡が入り、「この襖絵に非常に興味が有る」との事だった。筆者はこの顧客には何度か会っているのだが、その日本文化に賭ける情熱は並大抵では無い。何故其処まで興味が有るのかその理由を尋ねると、何と「龍安寺に寄贈したいのだ」と云う。そしてその顧客は「幾ら位になりそうなのか?」、「何人位が興味を持っているのか?」等の質問をし、その質問はオークションの日迄何回か続いた。

さて、オークション当日。早朝からその顧客からメールが入り、テレフォン・ビッドの時間などの確認をし、オークションが始まると6ロット前位に顧客に電話をする。

そして運命の時が来た。

エスティメイトは10年前と同じ、8万ー10万ドル…そしてオークショニアの発句は、4万5000ドルから。10年前にこの作品を売却した時もそうだったが、この伝孝信の襖絵には400年間の内の修復も勿論有り、画題が儒教の中国仙人図(ハッキリ云って「アグリーな爺」である:笑)と有って、その日本絵画的・歴史的貴重性からすると、一般的には余り人気が無い…そしてそれが、今回効を奏した。

オークショニアによって、徐々に値段が上げられていく。値段を実況中継しながら伝え、6万5000ドルに上がった時点で、顧客に「行ってみますか?」と声を掛ける。「行って下さい」…顧客はそう答え、筆者が指を挙げると此方に7万ドルのビッドが宣言される。競争相手が出て来るのを待っていたが、会場は静かな侭…そして100年間「実家」を離れていた襖絵は、里帰りを実現させる事の出来る顧客に因って、落札された。

この話には2点程、良い点と云うか語るべき点が有る。先ず1点目、オークションは通常、業者の様に買い手を選べない。「一見さんお断り」では無いが、売りたくない相手でも「最高価格」を付けた者に売らなければ為らないからで、これは西洋的「フェア・プレイ」ではあるが、個人的には内心忸怩たる思いの場合も有る。だが、今回の襖絵の場合に代表されるように、時折美術品は「行くべき所に行く」事があるのだ。

これは、筆者が何時も唱える「美術品DNA説」の基本で、美術品所蔵者等は長い「来歴」の中の、ほんの一時の「肉体」で有り、美術品はその悠久の歴史を数々の「肉体」を経て生き残っていく、云わば「DNA」なのである。人間としての美術品愛好家は、自分がその作品を選んで買い、所蔵していると思っているが、人間がいつか死んでしまう以上、美術品に「選ばれている」のでは無かろうか。「行くべき所に行く」とはそういう意味なのだが、しかし其処には今回強い競合者が居なかった事、エスティメイト・落札価格がバジェット内で有った事などの「運」も有って、それだからこそ一寸オカルト的では有るが、こう思わざるを得ないのである。

2点目は「流入」の話である。外国で日本美術のオークションをやっていると、「伝運慶作大日如来坐像」の時に顕著であった様に、「重要な日本美術品を『流失』させている」と云われる事が本当に多い。そして何時も「『流入』もさせていますよ」と反論するのだが、今回の様に「里帰り」のお手伝いが出来た時は、本当に嬉しく思うのである…作品がオークションに出て来なければ、「里帰り」も永遠に無かったかも知れないのだから。日本のメディアには「流入」の時も、きちんと公平に報道して頂きたいものである。

今回のこの結果に、龍安寺からは「約百年振りに襖絵が戻ってくる事に、感無量です」とのコメントを頂いている。

近い将来京都に行き、「龍安寺」で美しい石庭と共に、この襖絵とも再会できる事を筆者は心待ちにしている。