龍安寺での「再会」。

台北・香港から帰ったばかりだと云うのに、昨日の早朝から関西出張に出ている。

さて朝7時半過ぎ、東京駅の新幹線ホームの弁当屋で、「何れにしようかな?」と真剣に駅弁を選んでいたら、いきなり後ろから「桂屋さん!」と声を掛けられ、吃驚して振り向くと、声の主は何と9月にMETオペラのガラ・ディナーで御一緒した、S社の執行役員O氏であった。

本当にこの孫一、至る所で何故?と云う人にバッタリ会うのだが、此処で会ったが百年目、O氏に「海老蔵、大変な事になってますねぇ」と問うと、「いやぁ…」と本当に大変そうであったが、流石O氏、何も仰らなかった(笑)。

新幹線に乗り、品川から乗って来る筈の後輩I君を待っていたが、結局来ず。そして何と、乗り遅れたとのメールが来た…全くなっちょらん(笑)!結局I君とは静岡で合流し京都へ向かったが、途中下車して作品査定。良きクオリティの作品を数点ゲットし、良い気分で久々の京都へと向かう。

そして京都に着くとタクシーを捕まえ、先ずは北山の龍安寺へ。

以前此処に記したが、9月のオークションで里帰りし(拙ダイアリー:「里帰りする『襖絵』」参照)、龍安寺旧蔵の伝狩野孝信筆の襖絵が、期間限定で展示されていると聞き、「有るべき場所」に戻ったその「群仙図」を観る為である。

陽の光に美しく照らされた、境内の紅葉も未だ残る龍安寺社務所に着くと、学芸員のI氏にお会いする。襖絵落札迄の経緯や、その後日談等を聞き話し、I氏と共に早速方丈へと向かった。

この襖絵6面は、この10年間で2度筆者の手を通り、115年振りに「実家」に戻った。そして、1450年に細川勝元に拠って建立され、有名な「枯山水石庭」で、「靴を脱いで上がる寺としては、全国最高拝観者数(年間100万人)」を誇る、この臨済宗妙心寺派の寺の方丈・室中の間に久し振りに佇み、研ぎ澄まされた「ミニマル・アート」と呼ぶに相応しい石庭を、確りと見渡していた。

陽の光に照らされた襖絵の金地は、信じられない程に美しく、クリスティーズの下見会場や旧蔵者の部屋とは比べる迄も無いが、正に「『在るべき場所』に戻った美術品」特有の、力強いオーラを放っていたのである。

ニューヨークを離れて未だ間も無い、短い期間の襖絵のその「変貌」に感動しながらも、I氏から龍安寺史や、「何故石庭の右の土塀が斜めに上がっているのか?」「石庭には石が15個置かれているのに、何故方丈からは15個全部が一望出来ないのか?」等を伺いながら、襖と共に記念写真を撮って、龍安寺を後にした。

その後は、有力顧客の某社長氏と再会し商談、その侭社長氏と何人かで祇園花見小路の「A」に行き、旨い河豚やこっぺ蟹等をご馳走になる。満腹に為った後は、鯔背なゲイのHママのバー、「I」に移動して夜中過ぎ迄飲んだ。

京都での「再会」は、何時でも嬉しく、楽しく、美味しいものである(笑)。