「節分」の晩の恒例行事。

ニューヨークの道は、雪が溶け切れずに残っている為相変わらずぬかるみ、スノー・ブーツが手(足)離せない。そして今朝はまたかなり寒くなり、マイナス8度ー10度位では無いか…ニューヨークの春は、未だ遠い。

そんな中、地獄のカタログ制作も佳境に入り、何とか体裁を為して来たが、今筆者が最も力を注いでいるのが「南蛮屏風」だけの為のスペシャル・カタログで、過去にクリスティーズが売却した「南蛮物」の漆器や絵画等のイメージや、観れば観る程興味深いディテール・イメージを盛り込んで、南蛮交易の歴史や狩野派に就いてのフット・ノートを掲載している。残念ながら、このカタログは「世界のVIP向け・200部限定」なので一般の方の手には入らないと思うが、実に素晴しい出来になりそうで有る…大変楽しみだ。

さて皆さん、本格的に「新年明けまして、おめでとう御座います」…と云う事で、「節分」の夜は疲労困憊の足を引き摺り、冷たい小雨の中をやっとこさ家に帰ると、食事後はソファでゆったりまったりとして、或る番組をTVで観た。

その番組とは「MILES ELECTRIC:A DIFFERENT KIND OF BLUE」…そしてこの番組は、1970年に開催された第3回「Isle of Wight Festival」(ワイト島音楽祭)での、マイルスの38分間のライヴを中心に、当時のマイルスと共演したミュージシャンや関係者のインタビューで構成された、ドキュメンタリー番組なのであった。

この「ワイト島音楽祭」は1968年に始まったが、マイルスの出演した1970年の第3回目は、8月26日から30日迄計5日間開催され、恐らくは住民10万人に満たなかったであろうこのイギリスの離島に、ウッドストックよりも多い推定60万人以上の観客を動員し大混乱を招いた、ギネス・ブックにも載っている程の「伝説の」フェスである。

そしてこのフェスの出演者はと云えば、これ又物凄く、マイルス以外にもクリス・クリストファソンやジルベルト・ジル、プロコル・ハルムジョニ・ミッチェル、ドアーズにザ・フー、E.L.&P.、シカゴ、ジミヘン、スライ&ファミリー・ストーン、フリー、ジェスロ・タルジョーン・バエズにレナード・コーヘンやドノヴァン迄、「これでもか!」の面子であった(今なら「どんな事をしてでも」行くだろう!)。

また番組中のインタビューでは、その時にステージ上でマイルスとプレイしていたゲイリー・バーツチック・コリアキース・ジャレット、また同フェスに参加していたジョニ・ミッチェルハービー・ハンコック等が登場し、当時を振り返る。

そして画面は最終的に「ワイト島」でのマイルスのステージに戻り、名曲「Call It Anything」を映し出す。この曲こそ、マイルスがこの音楽祭に出演した最も大きな理由なのだと思うが、「ジャズ・ロック・ブルーズの垣根を取り払った、これから俺のやる音楽を、『どうとでも呼べ』」と云う事なのだろう。このステージでのマイルスのプレイは、ピンクのレザーと共に何ともマジにカッコ良く、画面で見ても信じられない位大勢の観衆が、「陶酔」と或る種の「畏敬の念」を持って、この20世紀最大のミュージシャンの1人と為った「歯医者の息子」を見守っていたのが非常に印象的であった。

そして「A Different Kind of Blue」を観終わった後は、気を取り直して、節分の夜の「恒例行事」を行う事に。

それは何かと云うと、豆まきでは無く「一陽来復」を天井の角に貼る、と云う行事である。この「一陽来復」と云う物を知っている人が、世の中に一体どれ程居るか知らないが、知らない人の為に簡単に説明すれば、東京は早稲田に在る「穴八幡宮」と云う神社で冬至から節分の間のみ頂く事の出来る、「金運・商売繁盛」のお守りである。そしてこのお守りは、冬至・大晦日・節分の0時ジャストに、なるべく高い天井の角か柱に、その年の決められた方角に向けて貼り付けなければならないのだ。

何しろ我が「地獄宮殿」は、広さは無いが「武器庫(アーモリー)」を改造したロフトなので、天井がかなり高い。と云う訳で、お隣の中国人カップルから恐ろしく背の高い、ステップも8段は有ろうかと云う脚立を借りて来て、糊を用意した後、方位磁石で「一陽来復」を貼るべき位置を確認、そして心を安らかにして2月3日の午前0時を待った。

が、最近の余りの疲労と食後の睡魔で意識朦朧…プリンス妻に「寝ちゃダメでしょ!」と起される羽目に。とは云え、この妻もお能内弟子時代、お師匠さんのS師に命令され、冬至の日には必ずアサイチで穴八幡宮に行って並び、この「一陽来復」を買わされたと云う美しくも素晴しい思い出が有るそうで、神道な我が家の行事の経験が有り、大変有り難い…S師に心より感謝である(笑)。

その後はと云うと、途中間食をしながら(涙)何とか真夜中迄頑張り、23時55分になると、糊と「一陽来復」を持ち脚立の下へ。23時59分になると脚立を昇り準備万端…しかし高所恐怖症の筆者には、この高さはかなり堪える…そして遂に2月3日の午前0時となり、妻の合図で思い切り手を伸ばして、「一陽来復」を天井の角に貼り付けたのだった。

こうして地獄宮殿に於ける、節分の夜の「恒例行事」は無事終了…これで、今年の我が家の財政も安泰だ!…と良いが(笑)。