全てが罰せられるべき「聖なる地獄」:Royal Shakespeare Company’s "Romeo and Juliet"@Park Avenue Armory.

昨晩は、なでしこJAPANの劇的な勝利に涙し、その感激を引き摺った侭、メルト妻と観劇に行った。

今年の春のシーズン最後の観劇と為る演目は、ピーター・ブルックに続き、此方も「Lincoln Center Festival」に参加しているロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに拠る、ご存知「ロミオとジュリエット」である。

「ロミ・ジュリ」のストーリーは超有名だが、実際に今迄舞台やスクリーンで観た事が何回有るのかと聞かれれば、先ずは1968年のフランコ・ゼフィレッリ監督作品、オリビア・ハッセー主演の名作を国立スカラ座で観たのが小学生の時で、そのハッセーの衝撃的な美しさと、その後の布施明との結婚の間に余りにギャップが有って(笑)、ガッカリした思い出がある。

その次の「ロミ・ジュリ体験」は、恐らくプロコフィエフのバレエ「ロミオとジュリエット」で、その後となると、これはもう大人になってからのディカプリオ主演の映画位で、こんなに有名なシェイクスピア作品なのに、筆者は恥ずかしながら実際に「演劇」としての「ロミ・ジュリ」を観た事が無かったのである!

さて今回のこの「ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー」の公演は、リンカーン・センターでは無く、ニューヨークのアート関係者なら知らない者は居ない(筈だ)と思う、パーク・アヴェニュー・アーモリーでの開催である。早速アーモリーに行って見ると、日頃アート・フェアでブースが出来ている雰囲気とは全く異なり、「こんなに天井が高かったか、此処は!」と思う程の吹き抜けに、「グローブ座」を模した3階建ての「小屋」が出来ていて吃驚仰天する。

満員の人を掻き分けてその鉄筋小屋に入ると、中は其れ程広くは無く、5つの「花道」を持つ四方の舞台を取り囲む様に客席が有り、舞台背景の上部に楽団が控えて居る…これは正しく「グローブ座」の再現であろう!座席も高くなっていて見易く、足を置くバーも有って中々宜しい。これなら3時間の観劇も大丈夫だ。

そして黒人の係員らしき女性が舞台に登場し、携帯等を切る様に注意したかと思ったら、実はその時からもう「『現代と過去を行き来する』ロミ・ジュリ」は始まっていたのだ!

ロミ・ジュリの2人、そして導入部と最後にだけ登場する、ヘッドフォンを付けた道化的な青年だけが現代の衣装(ジーンズやスウェット)で演じ、残りのキャストは中世イタリア風衣装でお馴染の場面を演じるのだが(ロミ・ジュリの死後、両家族がそろう場面は現代の装い)、何しろその皮革製中世衣装とセットが非常に洗練されていて、目茶カッコ良い。舞台セットはシンプルだが、如何様にも使える様に仕立てられ、時には室内での「テーブル」にも為る中央部の迫出からは火が出たり、煙が出たり、またランタンが上から降りて来たりする仕掛けになっている。

そして肝心の舞台は、重厚且つ過剰な迄の気迫溢れる演技と(特にマキューシオ役と乳母役の俳優!)、ユーモアたっぷりで流れるような台詞廻し、計算され尽くした飽きない演出等、全ては超一流、観客との遣り取りや「花道」の様な役者の登場路を見ると、歌舞伎との「大衆芸能としての近似性」を容易に感じられ(恐らく野次や掛け声も飛ぶのだろう!)、流石のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで有った!…が、唯一の難点は、ジュリエット役の女優が、全く美しくなかった事だ(笑)。

この「ロミオとジュリエット」は、プロテスタントの観衆の為に書かれたカトリックの話だと云う。それは、罪を犯した者には必ず報いが有り、死を以て罪を償わねば為らないと云う事だ。この世界で最も有名な純愛物話が、最終段階で悲劇的な「聖なる地獄」と化す所以が此処に有る訳だが、反目し合って来たモンタギューとカプレットの両家に、最後の最後に王子(この舞台では刑事)が「All are punish'd」と告げるシーンは極めて「カトリック的」な宣言で、これは大好きな映画「Godfather Part III」のマッシモ劇場でのラスト・シーンに通じる…因果応報、である。

「革新し続ける伝統」程、見応えの有る物は無い…21世紀に演じられたシェイクスピアの「聖なる地獄」は、斬新且つ重厚な素晴らしい舞台であった。