夢現(ゆめうつつ):Part II。

目を開けると、真っ白い病室の壁に、ギュスターヴ・モローの「出現」が掛かっているのだけが、見えた。

どうも私は入院中らしく、私の母親らしき女が、さっきから異様に気を遣って私に語り掛けて来るのだが、その女の話に因ると、私が数ヵ月前に病を得た後、私の抜けたアイドル・グループでは、私のポジションをテイク・オーヴァーする娘を選ぶ為の、人気投票が始まっているらしい。

肌寒さを感じる部屋に、予言的な音楽が微かに流れる中、私は母親らしき女と会話をしている。しかし、この部屋は何と寒いのだろう…。

「でも、わたしね、今回の病気のお陰で、人間に取って一番大事なのは、健康と友情だって分かったから、スゴく勉強になった。それに私なんか居なくても、皆確りやってくれるから、心配ないし…」

母親らしき女が何か云いかけた瞬間、壁の絵が、モローからオディロン・ルドンの一つ目の怪物を描いた「キュプロークス」に突然変わる。

アイドル化した私の頭は錯綜し、そして原型を留めない程に、物凄いスピードで、まるでベーコンの描く法王の様に極端に振れ始める。

「あの娘は、ホントに優しい子…何時だって自分の事より先に、私の事を考えてくれていて。花も持って来てくれたし…でもあの花、少し古くなってなかったっけ?社交辞令?そう云えばあの娘、結構嫉妬深い所も有るし…アレ?って云う事は…あのアマ、私の事、これを機会に葬り去ろうと思ってんじゃねえか?どうせ良い気味だと思ってんだろ?ふざけんなよっ!」

私は激昂し、手元に有ったコップを白壁に投げ付け、怯える母親らしき女に喚き続ける間、粉々に砕け散ったコップの破片は、生き物の様に自然に1ヶ所に集まり、原型を再現し始める。

「その点、あの娘は違う…あの娘は何時も正直で裏表がなかった。でも一寸、お金に欲が強かったかしら?そう云えば、今回の投票でもお金バラ蒔いてるとか、誰か云ってた気がするけど…正直さ?いや、そんなもん、要らねえだろ?あの女、世の中金が全てです、金の為なら何でもやります、みてえな顔してんじゃねえか!結局金がなけりゃあ、得票もねえんだろう?ケッ、馬鹿にすんな!」

この時点で、病室内に微かに聞こえていた「コヤニスカッティ」らしき予言的な音楽は立ち消え、怯えきった女は私を落ち着かせ様と、果物に手を伸ばす。音楽はグールド晩年のゆったりとした「ゴールドベルク」へと変わる。

音楽に因って、少し落ち着きを取り戻した私がふと見上げると、壁の絵はドミニック・アングルの「グランド・オダリスク」に変わっている。

「あぁ、何て美しい体なのかしら!あの足裏のふっくらとした肉感や、お尻の笑窪、透き通るように白くピンク掛かった肌、それにあの挑発的な眼差し…まるであの娘の様じゃない?あの娘だけは私の心も体も、決して裏切る事は無かった…決して。決して?本当に?」

「でもドアを開けたあの時、あの娘が見せた恥にまみれた顔は一体何だったの?其処に一緒に居たあの子と何か有ったんじゃ?えっ、有ったんだろ?フン、正直に云ってみろ、この売女…なめてんじゃねえぞ!」

部屋の温度が急激に上昇し、汗ばむ程に為ったその瞬間、私は果物を剥いていた母親らしき女の手から針の様なナイフを奪って立ち上がり、ブニュエルが嘗てそうした様に、「オダリスク」の右の瞳を刺し抜く。

刺されたオダリスクの瞳から止めど無く溢れ出る真っ赤な血は、白い病室を端から少しずつ深紅に染めて行き、ふと気付くと血は乾き、その先から極めて肌触りの良いヴェルヴェットへと変貌を遂げて行く。

ヴェルヴェットに拠って、すっかり内装を赤に変えられた白い病室に満足し、私は再びベッドに、スローモーションで倒れ込む。

ベッドから眺める赤い壁の絵は、いつの間にか趣味の悪い額に入った、ヒエロニムス・ボッスの「愉楽の園」に、そして音楽はマーラーの「アダージョ」に変わっている。


夢は現…風邪は悪化し、未だ働く事能わず。