31年間の記録。

小沢一郎氏が、再び無罪に為った。

火を見るより明らかな結果だが、日本の検察とは何故こうもレヴェルが低いのだろう…その上「謝罪」すら満足に出来ないのだから、手に負えない。

こんな事では、検察官に「秋霜烈日」のバッヂを着ける権利は無い。東電OL事件もそうだが、自分達の過ちを認める事が出来なければ、人を裁く事など出来る訳が無いからで、「秋霜烈日」の意味を、今一度考えるべきだろう。

さて先週末は、相変わらずの酷い時差ボケの中、先ずは根津美術館で開催中の展覧会、「ZESHIN 柴田是真の漆工・漆絵・絵画」へと向かった。

海外でも一部のコレクターの間で人気が高く、価格も高騰している是真だが、最近日本でも「エドソン・コレクション」の展覧会が有ったり、また明治の工芸が(やっと)脚光を浴び始めた事から、この展覧会の開催も絶妙のタイミングだったと思う。

観てみると、筆者見覚えの作品も幾つか含む本展は、何しろ名品の連続…余りにも美しく、技巧的な印籠や飾り棚、硯箱や拵等の漆工品のみならず、素晴らしいクオリティの「漆絵」画帳や「瀑布図屏風」迄、見処満載で有った。

帰りには、美術館の向かいのマンションに入って居る、石黒ギャラリーの茶碗屋「アルテ・クラシカ」で茶碗を拝見…1点気に為るモノが有ったが、泪を飲んで店を後にし(笑)、今度は三井記念美術館で開催中の「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」へ。

此方も根津に負けず劣らずの名品揃いの展覧会で、延暦寺園城寺石山寺等、都合42の社寺から集められた国宝・重文62点を含む名宝が(全出展作品の半分以上だ!)、「東京出張」を果たして居た。

個人的には、絵画では何と云っても聖衆来迎寺の「六道絵」、彫刻では小槻大社の「男神像」2体や熊野神社の「熊野本地仏像」4体、そして園城寺の盛忠作「不動明王像」等に魅力を感じたが、昔から快慶が余り好きで無いのは、一体何故なのだろう…。

そんな疑問を抱えながら向かったのが、今日の「本題」。

さて唐突だが、爆風スランプと云うバンドの「大きな玉ねぎの下で」と云う、名曲をご存知だろうか?

「玉ねぎ」とは「日本武道館」のテッペンに有る宝珠の事で、この曲の舞台は、東京は千代田区の九段坂。
そしてこの九段こそ、筆者が13年間通ったG学園が在る思い出の地なのだが、その九段坂下に在るホテル「グランド・パレス」が、この日のメイン・イヴェント会場…G学園高校卒業後、31年目の「学年同窓会」で有った。

筆者が幼稚園から高校迄通ったG学園は、フランス人宣教師が作ったカトリック系の男子校で、小学校迄は3クラス、中学・高校は4クラスしか無い…なので、一学年160人程の同級生の顔は当時殆ど判っていたし、況してや幼稚園からの同級生等、6歳から18歳迄を一緒に過ごすのだから、愛が芽生えるのも、もとい、友情が深まるのも当然だろう(笑)。

さて、立食パーティーの会場に着いてみると、6-70人の出席だろうか…噎せ返る様なオヤジ臭がムンムンとしていたが(笑)、其処に有った顔は、見覚えの有るモノから、余りの変貌振りに、全く見覚えの無いモノ迄様々(笑)。

しかし、31年と云う歳月は、こんなに人を変えるのかと思う…あんなに痩せていたのに風貌が激変し、「尊師」そっくりに為った(笑)有名カラオケ・チェーン店を持つ御曹司や、頭髪の殆どを失った某クラブ部長、何処かの俳優の様にダンディーなロマンス・グレイに為った落第同級生迄、枚挙に暇が無い。

しかし、この会の素晴らしさは、落第してしまった者、上から落第して来た者、放校に為った者も何の蟠りも無く出席する事で、中1から中2に上がる時ですら落第させるG学園の厳しさと共に、この学校の同級生の、そんな屈託の無さが大好きなのだ…因みに、高校時代一番出来の悪いフランス語のクラスだった奴が、今G小学校の教頭をしたりもしている(笑)。

さて今回の学年会には、大分年を取った当時の先生方も何人か出席していて、会が始まると1人ずつスピーチをした。

先生達は当時のエピソードを語り、また多くの先生が、当時振るった「鉄拳」等の体罰を冗談混じりに謝ったりした。が、散々殴られた筆者も、今ではその体罰を少しも恨みに思って居ないばかりか、却って有難く思って居る節が有る…ハッキリ云うが、体罰が100%悪いとは思わない。

しかし、当時新任だった音楽のT先生には、筆者が他の授業をサボって「授業の先生からは、許可を得てます」と嘘を吐き、音楽室でビアノを弾かせて貰っていた上に、毎回コーヒー迄ご馳走に為っていた居た事が卒業後バレ、この日滔々暴露されてしまった…「31年目の真実」と云う訳だ(笑)。

また高校2年の時、授業中大喧嘩をして、1年間授業をボイコットした英語のF先生には、「桂屋、後で話が有るからな」と云われ、左フックが有名だった(笑)「元ボクサー」F先生のリベンジか?とマジ焦ったが、ニヤッと笑った末に「お前、前に新聞で見たぞ…あれだけ俺の英語の授業サボって、イギリスの会社とは見上げたもんだ!」と誉められたり。

懐かしい同級生達とのそんな2時間は、昔話に花が咲くとアッと云う間に過ぎ、北原白秋作詞の校歌とフランス国歌を皆で合唱して、終了。

その後、20人程の居酒屋での2次会を経て、3次会は小学校から同じクラスだった、今は外資系IT企業の日本法人社長をしているF君と、中学だけG学園に居てその後桐朋学園に行き、今はN響チェリスト為っている(此方も)F君との3人で、最近綺麗に為ったパレス・ホテルのバーへと赴いた。

外国での生活経験の有る我々3人は、今度は「未来」の話をし、日本やアメリカの政治経済やアートの話をして、真夜中前に解散。

そしてタクシーに乗って家の近所で降り、コンビニに向かって歩いて居る間に思い出して居たのは、学生時代の女友達のお母さんが昔筆者に云った、

「男の顔は『履歴書』、女の顔は『領収書』なんだからね」

と云う言葉で有った…成る程、この日見た同級生達の顔は、高校卒業後の31年間を記録した「履歴書」の様な気がした。

学年で、判っている限り2人が亡くなり、行方不明者も居る。大病をしたり、倒産したり、離婚したり(汗)、親の介護をしていたり、娘の言葉遣いの酷さに悩んだり(笑)…この日聞いた話も、当に人生色々だ。
しかしこの会の意味は、子供時代に還って昔を懐かしむ事も有るが、筆者に取っては「31年間の記録」を確認する事で有った。

そしてその「確認」とは、卒業後成功したとか、失敗したとかでは無く、唯々「あれから31年間、生きて来た」と云う、命の記録の確認なので有る。

記録を刻めるのも、確認出来るのも、生きて居ればこそ、なのだから。